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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.11] ■■■
[11] 空飛ぶ亀
亀譚を取り上げておきたい。

「今昔物語集」には8譚あるが、先ずは、そのなかで世界的に有名な話に絞り込んで眺めてみよう。
 【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#24] 不信鶴教落地破甲語

別に、中身がどうのこうのではなく、インド発祥のモチーフが極東の外れの島国の書籍にも"収載"されているというだけのことだが。

もちろん、「空飛ぶカメ」のこと。
「今昔物語集」から外れるが、ココの理解はことの他重要だと思うので、少し検討しておきたい。

肝心なのはこのモチーフ分類。
小生は「空飛ぶカメ」など意味が薄く、「おしゃべりカメ」と見るべきでは。
学者は別だろうが、大衆社会ではキャッチーなほどウケルから致し方ないとは言え。

ことの契機は、パンチャタントラPañcatantra[五巻の教訓]から翻案した"La Tortue et les Deux Canards"の発表(「Fables de La Fontaine」@1668年)。この梵語の動物寓話本は、古くからシリア語やアラビア語等に翻訳されており、中東では人気を集めたらしい。当然ながら、欧州に持ち込まれ重訳されていったのである。
そんなことで、インド発祥の動物寓話が世界中に伝播しているとの話が拡がっていったのであろう。時あたかも民俗学や言語学で系譜や系統分類研究が進んだことも大きいだろうが。

と言うことで、「今昔物語集」にも載っていると喧伝された訳だ。凄いぞインドといったところだろう。

当然のことながら、イソップAesopも伝播例に入ることになる。(但し、1種ではない。分岐した理由とか、異なるソースの可能性については、どうなっているのか、調べなかったが。)この場合、亀が鳥のお蔭で空を飛ぶという点では同じだが、登場するのは《鷲》。前述したように、小生にはこれは別話としか思えない。
ご教訓がかなり異なるからだ。鉤爪で掴まれているので、空中から岩上への落下は鷲側の一存で決まる。しかも、鷲は亀が空を飛ぶのは無理と言っているのに、亀が頼み込んでいる。元ネタとは状況が違いすぎるのだ。

そのパンチャタントラだが、「亀と二羽の白鳥」。(巻一"友人を失う"34譚の#13)
両者は仲が良く、岸辺で聖仙の話をするのが楽しみ。それが旱魃で、水がなくなって来たので白鳥は心配する。このままでは死んでしまうといことで、亀が噛んでいる木片を嘴で咥えて池に運ぶことに。ところが、街の上を飛んだので、人々は大騒ぎ。亀は何故に喚くのだと声を出して落下。人々にバラバラにされてしまう。
(2万頌を越える梵語説話文学集「カター・サリット・サーガラKathāsaritsāgara[Ocean of the Streams of Story]」@11世紀Chapter LX所収の"The tortoise and the two swans"もほぼ同じ。白鳥と亀は友達であり、亀は白鳥が行こうとしている池に連れてって欲しいと頼む。)
このパンチャタントラだがもちろん梵語。婆羅門のヴィシュヌシャルマVishnu Sharmaが著者とされている。
全84譚でジャータカの10分の1しか収載されていないが、話がマトリョーシカ構造になっていたりして異なるモチーフが持ち込まれているので、本来的な元ネタは結構数が多い。このような形式で書かれているのは、おそらく、説話の聞き手が飽きてこないよう、次々と新しい展開を盛り込んで話す習慣が持ち込まれたからだろう。いかにも童話的。

同じインド発だが、パーリ語ということでか、ジャータカの方には余り触れられないことになっているようだ。こちらは亀Kacchapa本生譚は3つあり[→]、空飛ぶカメ[#215]も所収されているのだが。・・・
亀が鵞鳥と仲良くなり、素晴らしい家に来ないかと誘われる。棒を噛んでいれば運んであげると。乗ったまではよかったが、おしゃべりだったので落ちて死亡。この事件のお蔭で、おしゃべり王を諌めることに成功。
ここでは、おしゃべりを諌める話だけでなく、せっかく教えたのに従順でないため、悲惨な結果を招く話になっている。

さて、そこで「今昔物語集」版がどうなっているかだ。
小生は、流石、日本版。素晴らしい出来と賞賛したいが。

天竺で旱魃。水が枯れ草消滅状態。一匹の亀が池に住んでいたがもう死にそう。そこに、一羽の鶴が餌取りにこの池に来た。
亀は鶴に語る。
 「あなた様と私メには前世の縁があります。
  仏によれば鶴亀は一対なのですゾ。
  今、私メは、水が涸れてしまい、命も絶える寸前。
  どうかお助けを。」
鶴曰く。
 「その通り。
  実は、言われぬ前から、
  水辺にお連れてしようと考えていました。
  私共、空を行くなら自由自在でして。
    春は 天下の草木の花葉、色々にして目出たきを見、
    夏は 農業の種々に生ひ栄えて様々なると見、
    秋は 山々の荒野の紅葉の妙なるを見、
    冬は 霜雪の寒水、山川・江河に水凍て鏡の如くなると見、
    それこそ、極楽界の七宝の池の自然の荘厳をも
     我 皆見るのですから。

  しかし、お運びするといっても、
  普通にはできそうにはありません。
  唯一、できそうなのは、
   一本の木をあなた様が咥え、
   我々二羽が両端を咥えてお運びすること。
  しかし、あなた様は、生来、おしゃべり。
  なにか尋ね、私共が応えようと口を開けたら、
   その瞬間、あなた様は墜落してしまいます。
  どうしたものか。」
亀は直ぐに答える。
  「私メは口を縫い付けておきますから、
   決してものを言うようなことは致しません。」
そこで、空高く飛んで行ったのである。
ところが、その途中は山・川・谷・峰の美しい景色。
亀は見たこともない情景に感動の余り、
  「ここは何処ですか?」と口に出してしまう。
鶴もそれを聞いて思わず、
  「ここでしょうか?」と対応。
途端に亀は落下し絶命。
(甲羅はもともとヒビ入りだから粉々に、か。)
そして、譚の最後は、仏のご教訓の〆。
 「守口摂意身(莫)」。(口意身をつつしめ。)
 世間で広く言われている諺は、「不信の亀は甲破る」。
(真言宗系の、語源を説明する民俗学的な百科事典「塵袋」@1264-1288年に収載とのこと。当時はよく使われていたようである。)

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