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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.14] ■■■
[14] 荘子
荘子[B.C.369-B.C.286年]は、無為自然の脱俗的思想家。政治的言動をしない点が特徴。
尚、すでに眺めた孔子の盗跖譚[巻十#15][→]の原典は「荘子」盗跖第二十九である。
登場譚は3ツあり、部分的に原典と違うところもあるが、ほぼママ。変更にたいした意味はなさそうである。
 【震旦部】巻十 震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  [巻十#11]荘子□□□許借粟語
  [巻十#12]荘子行人家殺雁備肴語
  [巻十#13]荘子見畜類所行走逃語

荘子だが、思想に直接触れる話を避け、外篇/雑篇といった周辺の話を所収している。しかも有名譚は避けている。
しかし、食物連鎖の構造や、それぞれの種だけが持つ感性の存在を示す話とか、無用か有用かは勝手な判断であることを示唆して話を選定しているところを見ると、浅薄な発想で選んでいる訳ではなさそう。

#11譚は、話からすると"轍鮒の急/涸轍之鮒"だが、所謂"後の千金"と云うことと末尾に記載されている。
元は300両のところ、千金に代えるとか、河伯神の使いで高麗に行くという程度のいくつかの手直しだけなので、原典の漢文の方がわかり易かろう。・・・[「荘子」雜篇 外物第二十六]
莊周家貧,故往貸粟於監河侯。
監河侯曰:
 「諾。我將得邑金,將貸子三百金,可乎?」
莊周忿然作色曰:
 「周昨來,有中道而呼者。
  周顧視車轍中,有鮒魚焉。
  周問之曰:
   『鮒魚來!子何為者邪?』
  對曰:
   『我,東海之波臣也。君豈有斗升之水而活我哉?』
  周曰:
   『諾。我且南遊呉、越之王,激西江之水而迎子,可乎?』
  鮒魚忿然作色曰:
   『吾失我常與,我無所處。
    吾得斗升之水然活耳,君乃言此,曾不如早索我於枯魚之肆!』」


#12譚は、材不材。原典の荘子の最後の言葉は無いが、用不要や賢愚で決定されるのではなく、「自ずからしからしむる事也」と荘子が云ったと記載されている。・・・[「荘子」外篇 山木第二十]
莊子行於山中、見大木、枝葉盛茂、
伐木者止其旁而不取也。
問其故。曰:
 「無所可用。」
莊子曰:
 「此木以不材得終其天年。」

夫子出於山、舍於故人之家。
故人喜、命豎子殺雁而烹之。
豎子請曰:
 「其一能鳴、其一不能鳴、請奚殺?」
主人曰:
 「殺不能鳴者。」

明日、弟子問於莊子曰:
 「昨日山中之木、以不材得終其天年。
  今主人之雁、以不材死。
  先生將何處?」
莊子笑曰:
 「周將處乎材與不材之間。
  材與不材之間、似之而非也、故未免乎累。
  若夫乘道徳而浮游則不然。
  無譽無謗、一龍一蛇、與時倶化、而無肯專為、
  一上一下、以和為量、浮游乎萬物之祖、物物而不物於物、則胡可得而累邪。
  此黄帝、神農之法則也。
  若夫萬物之情、人倫之傳、則不然。
  合則離、成則毀、廉則挫、尊則議、有為則虧、賢則謀、不肖則欺、胡可得而必乎哉?
  悲夫!弟子志之、其唯道徳之郷乎!


#13譚は、2つの話で、前の方の題名で代表している。
#13-1は、「荘子」外篇 山木第二十の翻案。原典の余計な情報をカットし、より身近でありそうな情景にしている。簡単に言えばこんな具合。・・・
沢に鷺が立ってじっとしていた。
荘子は杖を持って近付くが全く感づく様子もない。
「しめしめ」と。
ところがよくよく見ると、
 鷺は蝦を、
 蝦は小さな虫を、
  今まさに「食べよう」と狙って集中している状態。
ハッと気付いた荘子。
一目散にその場から逃亡。
《「荘子」》
莊周遊乎雕陵之樊、睹一異鵲自南方來者、翼廣七尺、目大運寸、感周之額而集於栗林。
莊周曰:
 「此何鳥哉?翼殷不逝、目大不睹。」
蹇裳覆歩、執弾而留之。
 睹一蝉方得美蔭而忘其身、
 蟷螂執翳而打之、見得而忘其形、
 異鵲従而利之、見利而忘其真。
莊周愁然曰:
 「噫!物固相累、二類相召也。」
捐弾而反走、虞人逐而謗之。


#13-2は「荘子」外篇 秋水篇第十七 知魚楽/荘子・恵子の濠上問答。
水の上で大きな魚浮かんで来て遊んでいる様子。荘子夫婦はそれを眺めていたのだが、妻が言う。
 この魚喜ばしいことがあったのネ。
荘子同意せす尋ねる。
 どうして魚の心を知ってるのだ?
妻答える。
 どうして、私が魚の心を知らないことを知っているの?
荘子、思うところあり、一言。
 魚でなくては魚の心は知りえない。
 私以外の人が私の心を知りえる訳がない。
この話を以て、実に悟り深し夫婦なり、と言われている。

ここは、表層的解釈なら簡単でわかりやすいのだが、3つを並べて考えると、かなりのインテリジェンスを必要とすることに気付かされる。

簡単に結論を下せば、荘子の言ってることはたいして役に立たぬナとなる。そこに逆説的意義があると言っているようなもの。
役に立たないことが分かってから、初めて、本当に役に立つとはどういうことか考えることができるようになると言う事。
役に立たぬと見捨てていたモノが、実は一番役に立っていたりするかも知れないのである。そのためには、先ずは視野を広げる必要があるが、それだけでは決定的に不足である。

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