→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.17] ■■■
[17] 文殊菩薩
「今昔物語集」の成り立ちを推測する上で重要な視点を提供するためには、どの譚がベストか、思案した結果、文殊菩薩にした。
 【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  [巻三#_2]文殊生給人界語

この譚を選んだのは、仏陀波利三蔵を取り上げたせいもある。[→]676年、文殊菩薩に法を教わりに遥か天竺から五臺山へ。しかも、一度戻って経典持参で再訪。どうしても来礼したかっただけでなく、その地から以後離れようとはしなかったのだ。五台山は全アジア的に文殊菩薩の聖地としての地位を確立していたのである。

ただ、ここで見ておきたいのは、菩薩の描き方とか文殊信仰の思想基盤ではなく、ひとえに情報ソースであり、そこから想定できる「今昔物語集」の編纂者イメージ。

実は、今野達[校訂]:「今昔物語集 巻一」岩波書店の巻一冒頭の解説と"出典考証の栞"が大いに気になるから。
この道では著名な学者なので直接的に示唆するような表現を避けているとはいえ、凡人からすれば、「今昔物語集」の選述者は一流の知識人とは言い難いと見なしているように映るからだ。
この文章を読まなくても、おそらく、真面目に「今昔物語集」を読んだ教養人なら、なんとなしに同じような思いに囚われているに違いない。
簡単に説明すると、ほとんど素人でも間違えるとは思えない手の、天竺の地理の記述を誤っているという指摘がなされているということ。ミスや勘違いは一流の人物でもありうるし、写本時の誤植的なエラーとは次元が違う。これは、明らかに無知からくるもの。

当時の日本状況からすると、それも止むをえまいと見なされているが、小生は、それは選述者は二流の書き物屋か俗物的僧侶を意味するとしか思えない。
思わず"そう考えてもよいのか?"と訊きたくなるが、一流の学者は答を持っていても、ものの見方の剽窃は絶対にしないし、証明する論拠を自ら揃えていないと、"解りません"としか言わないので、どうにもならないが。

もっとも、小生は、はなから勝手に自分なりの答を持っている。

魯迅が愛したとされる唐代の書「酉陽雑俎」をじっくりと眺め、今村与志雄の注と解説を読んだからだ。そのカバーする領域は広く、今村番号では1,200譚を越えている。
この本の著者 段成式は親の七光り的非科挙の官僚だが、インターナショナルなセンスを持つ知識人が集まる仏教的サロンをこよなく愛していたようで、そこでの話題となった話の集成ともいえる。しかしそれは趣味の世界の話ではない。焚書の国であるから、後世に残しておかねばということで、真摯な姿勢で、"事実"をピックアップしたのである。危険スレスレで社会の見方を提起しているようなもの。つまり、この作品は様々な話を読んで、俯瞰的に眺めることができないと意味が薄いのである。
例えば、王朝のほんの一断面の、場合によっては下らなそうに見える話でも、それがいくつか集まると王朝史が見えてくるように工夫されているのである。現代と違って、「史書」は帝国の権威でもあり、断片についてはいくらでも語れるが、全体像に係わるものの見方を語れば首が飛ぶからでもあう。為政者に都合の悪い情報も、すぐに讒言で零落させられる社会でもある訳で。
しかも、「酉陽雑俎」の情報ソースのバラエティさは、驚くべきもの。それを丹念に拾い上げることができたのは、しっかりしたサポート者を育てあげていたからだ。おそらく、超優秀な奴婢である。細かいことは、すべて任せていたに違いない。それだけの資力もあり、精神的に落ち着いた仏教徒でもあり、身分や出自に関係なく愉しくつきあう術を持ち合わせているからこそできたこと。

小生には、「今昔物語集」の編者は段成式と似たようなタイプと見た。
この書は、編纂方針にこそ思想が凝集されているのであり、個々の譚の細かな部分にはたいした意味はないと思う。
唐とは、上流階層の生活が大きく違っており、同じようなサポート層が作れなかったということでもあろう。例えば、「鳥獣戯画」なら、ポンチを渡して絵師に描かすという手の仕組みになる。絵の技術は一流であっても思想性を共有するまでにはいかない。
文章であれば、サポート役に出典から取り出す箇所と余計な部分を指定することになる。言うまでもないが、出典とは漢籍で記載は日本語。つまり、サポート役とは翻訳者になる。ここに問題がでる。翻訳者の能力にはバラつきがあり、必ずしも様々な仏典に造詣が深いとは限るまい。誤訳はあり得る。そして、翻訳者だから、筋がわかりにくいとなれば、勝手に文言を追加するだろう。現代の書なら注にあたる部分だ。
そう思うのは、一流の知識人は仏典は漢籍のママ読みだからだ。場合によっては梵語も理解できるレベルだから、漢籍のどの譚のどの部分を引用すべきかの議論はするものの翻訳はまかせたのでは。余りに大部すぎるからだ。それに、訳者名がとりだたされる訳でもないのだから、翻訳のし甲斐があるとは思えず、このような作業には直接かかわらなかったのではなかろうか。おそらくサポート役は若手の貴族出家者。
それだけでも、大仕事なのは、見ればわかる。保存過程での物理的失滅ではなく、意図的な欠巻・欠譚・欠分・文字削除が至るところに見られるからだ。

前段話が長くなったが、文殊譚の出典について。尚、必ずしも、この漢籍とはされていないようだから、そこらはご容赦頂きたい。
  非濁[n.a.-1063年][撰述]:「三寶感應要略

この書籍は、「今昔物語集」編者の共感を呼んだようで、多数の譚が引用されている。
マ、どのようにして引用され翻訳されたのか、文殊菩薩譚でみておこうと言うこと。尚、「今昔物語集」では文章の順番は変更されている。
   非濁:「三寶感應要略」下1
     文殊師利菩薩感應
  文殊生給人界語
  今昔
文殊師利。
  文殊は
舊云妙コ新云妙吉祥。立名有二。初就世俗。因瑞彰名。此菩薩有大慈悲。
  −
生舍衛國多羅聚洛梵コ婆羅門家。
  中天竺舎衛国の多羅聚落 梵徳 婆羅門と云ふ事の子也
其生之時。家内屋宅。凡如蓮花。
  生れ給ふ時には、其の家及び門、皆蓮花と成りぬ。
從母右脇而生。
  其の母の右脇よりぞ生れ給ひける。
身紫金色。墮地能語如天童子。有七寶蓋。隨覆其上。
  身の色は金色にして、天の童子の如く也。七宝の蓋を覆へり。
具有十種感應事。故名妙吉祥。
  庭の中に十種の吉祥を現ず。
 一 天降甘露。  一は、天降て覆へり
 二 地涌伏藏。  二は、地より伏蔵を上ぐ。
 三 倉變金粟。  三は、金変て粟と成る。
 四 庭生金蓮。  四は、庭に蓮花生ぜり。
 五 光明滿室。  五は、光り家の内に満たり。
 六 生鸞鳳。  六は、鶏、鸞鳳を生ず。
 七 馬産騏。  七は、馬、麒麟を生ず。
 八 牛生白𤞌  八は、牛、白を生ず。
 九 猪誕龍豚。  九は、猪、豚を生ず。
 十 六牙象現   十は、牙象現る。
所以菩薩。因瑞彰名。  此の如き瑞相に依て、名を文殊と申す。
二依勝義立名。如金剛頂經説。由菩薩身。
  −

  釈迦仏の御弟子と成りて、
普攝一切法界等如來身。一切如來智惠等。及一切如來神變遊戲。
  普く一切法界等の如来の力、一切如来の智恵及び、一切如来の神変遊戯を摂し給ふ。
已由極妙吉祥故。名妙吉祥也。
  −

文殊は、釈迦仏には九代の師に在ます。然りと雖も、仏、世に出給へり。世に二仏並ぶ事無ければ、菩薩と現じ給て、無数の衆生を教化し給ふ也。仏け、末世の衆生の為に、宿曜経を説き給て、文殊に付属し給ふ。文殊、是を聞て、仏涅槃に入給て、百五十年に高山の頂に在まして、其の所の仙人の為に、説き聞しめ給ふ。
凡そ、内外典を世に弘めて、末世の衆生に善悪の報を知らしめ給ふ事は、此の文殊の御力也

となむ、語り伝へたるとや。

譚の構造は、ジャータカのように、明瞭である。
中核の本生譚では、「昔々」から始めるが、そこが「今は昔」となる。
完璧な出典邦訳バージョンである。不要部分は割愛し、流れに不適な語彙は削ったり変更する。ここでは見られないが、筋がわかりにくければ補足的な文章が入ることになろう。それは創作とか改竄を糸しているのではないと思う。小生の印象からすれば、"忠実"な訳。できる限りママとの指示はあったのでは。
翻訳者として腑に落ちぬ場合やご時世にそぐわない内容と判断すれば、欠字部分が生まれる。そんな手ではどうにもならなければ欠文として、題名だけ翻訳で済ますことになる。それも難しければ、題名ごとの抹消しかなかろう。
その作業が終わったら簡単な"解説"を適宜補充。ここは編纂者の意見を聞いてサポート役が勝手に加えた文章だと思われる。補足情報であるから、手元にある本邦書籍から引いてきておかしくなかろう。
そして"結語"。ここは、編纂者の意見であり、この譚は、このように考えられているとの話を聞いたサポート役が適当に文章化したものだとみる。

[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

 (C) 2019 RandDManagement.com    →HOME