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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.20] ■■■
[20] 月中之兔
月に兎がいるとの説話はお馴染みだが、由来は自明ではない。
話を収載した文献としては「今昔物語集」が一番古いかも知れないが、話そのものはずっと古くからあったのは間違いなかろう。
 【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  [巻五#13]三獸行菩薩道焼身語

「今昔物語集」はわざわざ三獸とことわっている。
思わず、南伝系であるパーリ語のジャータカ兔本生譚[#316]を思い出すが[→]、そちらで登場するのは、兎、猿、ジャッカル、獺と、四獣なのだ。
北伝系も、たいていは四獣で、捨身布施に焦点があてられるから、兎だけでもよいのであるし、月と兎の話も必要ではない。

それでは、これはどこから伝来したのかとなるが、単純で、玄奘:「大唐西域記」巻第七婆羅斯国バーラーナシーでのストゥーパ堵波の由来譚を引用したにすぎない。
話の結末だが、兎は入火致死してしまい、布施心を試している帝釈天が遺骸を拾うのである。そこらがあるので、兎を釈尊前生として、本生譚にできなかったのかも。

  《三獸堵波》
烈士池西有三獸堵波,是如來修菩薩行時燒身之處。
劫初時,於此林野,有狐、兔、猿,異類相ス。
時天帝釋欲驗修菩薩行者,降靈應化為一老夫,謂三獸曰:
 「二三子善安隱乎?無驚懼耶?」
曰:
 「渉豐草,遊茂林,異類同歡,既安且樂。」
老夫曰:
 「聞二三子情厚意密,忘其老弊,故此遠尋。今正饑乏,何以饋食?」
曰:
 「幸少留此,我躬馳訪。」
於是同心虚已,分路營求。
狐沿水濱,銜一鮮鯉,猿於林樹,采異花果,倶來至止,同進老夫。
惟兔空還,遊躍左右。老夫謂曰:
 「以吾觀之,爾曹未和。
  猿狐同誌,各能役心,惟兔空還,獨無相饋。
  以此言之,誠可知也。」
兔聞譏議,謂狐、猿曰:
 「多積樵蘇,方有所作。」
狐、猿競馳,銜草曳木,既已蘊崇,猛焔將熾。
兔曰:
 「仁者,我身卑劣,所求難遂,敢以微躬,充此一餐。」
辭畢入火,尋即致死。
是時老夫復帝釋身,除燼收骸,傷嘆良久,謂狐、猿曰:
 「一何至此!吾感其心,不泯其跡,寄之月輪,傳乎後世。」
故彼鹹言,月中之兔,自斯而有。
後人於此建堵波。

玄奘三蔵は、この三獣版が"月中之兔"として皆の知るところになったとしている。だから、「今昔物語集」がこちらを選んだということではなく、「大唐西域記」からの引用方針があったからに過ぎない。

ただ、ママ引用ではない。
猿が集めたものは、天竺的大分類品名ではなく、細かく分類した本朝品。随分と律儀に集めたもの。
 木…栗、柿、梨子、菜[棗]、柑子、𦯉[藍]
    椿[榛]𣗖[櫟/伊智比]、郁子[野木瓜]、山女[木通]、等
 里…[瓜]、茄子、大豆、小豆、大角豆、粟、[稗]、黍、等
狐も鯉ではなく海産物。
 人の祭り置たる供物@墓屋の辺…粢/糈、炊交
               鮑、鰹、種々の魚類
これらは、どう見ても日本での祭祀で並べる物である。日本人の琴線に触れよく知られている話故の変更か。

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