→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.28] ■■■
[59] 大柞
🌳巻頭譚については、代表として選定してあると見なされるせいもあって、様々な見方が提起されたりすることになるが、巻尾譚は一般扱いされているように見える。

全巻の構成を眺めるに、相当に練った企画モノとの印象を持つなら、こうした姿勢は考えモノ。頭譚を各巻の象徴とする理由が自明ではないからだ。
知りたいのは、特徴そのものではなく、それが全体の編纂方針とどう繋がるかという点。

素人がつまらぬことを言っているに過ぎぬが。

そういう感覚で、「今昔物語集」収録の最終譚を取り上げてみたい。
どう見ても、その他、つまり拾遺の巻であるから、どうでもよく並べてあると見がちだが、〆の選定は別だと思う。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#37]近江国栗太郡大柞語
 近江栗太に、柞[ははそ]の大樹があった。
 五百人が手を繋いで周りをとりかこむほどの巨大さ。

 その影は 
  朝には丹波国、
  夕には伊勢国に届いた。
 地震が起きようが、大風が吹こうが揺れず。
 志賀 栗太 甲賀の地域は影に当たるので
  田畠を造れなかった。
 そこで、百姓達は天皇に上奏。
 早速、掃守の宿禰が派遣され
  この樹木は伐採されてしまった。
 そのお蔭で、以後、豊穣なる地と化した。

   "昔は此る大きなる木なむ有ける。
    此れ希有の事也"。


穀倉地帯にいかにもありそうな伝承譚である。

常識的には高木一本ではなく、伐採が厄介な、自然林化した広い栗林。
小生は、コレ、原生林ではなく、縄文時代に行われた林産物生産用植栽が生んだ風景と見る。
その林の象徴というか、樹木信仰の対象が、老木たる"栗太郎"。

一般に、巨大老木伐採は禁忌。霊が宿っているからである。
ところが、林を開墾して田畑を造るには伐採は避けられない。
その祟りを鎮めるためには天皇のお力を借りる以外に手はないのである。

思うに、この地域にも、古事記にあるような、高木信仰が根強く残っていたのだろう。言うまでもないが、風土記にも類似の伝承があり、特別なものではない。
(免寸河の高木は、朝日の影が淡路島に届き、夕日の影は高安山まで届いた。…高速船"枯野"の材になった木。)

さて、そこで、"柞/ははそ"だが、ブナ/ 系のコナラ/小楢のこと、と記載する辞書が多いようだ。ただ、その概念は広いらしく、団栗系の落葉広葉樹が含まれているとの注意書きがあったりする。
平城京北の佐保で詠まれた歌があり、それはどう見ても、里山の雑木林が紅葉してくる風景だから、そう考えるのは自然だ。
  佐保山の 柞の色は 薄けれど
   秋は深くも なりにけるかな

     坂上是則  [「古今集」#267]

   新玉津島社にたてまつりける歌の中に、山朝霧といふ事を
  朝はなほ 柞の色も うす霧の
   したに待たるる 佐保の山風

     飛鳥井雅縁 [「新続古今集」#546]

しかし、古代の言葉を重視する辞書には、イスノキ/檮の別称と書いてあったりする。沖縄名だとユシギ。[→櫛の木]
この場合、常緑照葉樹林帯の樹木になる。
(スダジイ/すだ椎, コジイ/小椎, アカガシ/赤樫, アラカシ/粗樫, ツゲ/黄楊やクスノキ/楠, タブノキ/椨)

小生は、高木信仰は南洋から船で流れて来て日本列島に居ついた海人由来と見るので、柞はこちらの説を推す。
船材に向かぬ、落葉樹のクヌギ/大歴木の類が高木信仰の原初である筈がないと思うのである。
つまり、堅材たる常緑樹は開墾の邪魔者とされていったことを、「今昔物語集」編纂者はご存知だったのである。
言うまでもないが、そうした材は仏像用材になっていったのである。

大柞譚で終わりたかった気分がわかる気がする。
「今昔物語集」は、事実をママで集めた"小説"だからだ。ノンフィクションではあるものの、よく読めば、そこから思想の結晶が見えて来るように仕組まれた文芸の粋でもある。

何故、そのようなものを執筆したかったといえば、唐の「酉陽雑俎」と同じ。どこかの穴倉にひっそりと隠された形でもよいから、なんとしても、思想的営為を後世に残したかったから。
インテリが集まる仏教サロンでの楽しい談義に明け暮れていて、ふと、後世に残るのは、"小説"と為政者が選んだ"歴史"しかないと気付いたのである。

[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

 (C) 2019 RandDManagement.com    →HOME