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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.15] ■■■
[77] 閻魔王
閻魔といえば、本朝では小野篁がすぐに思い浮かぶが[→小野篁]、全体のなかでは少ないとはいえ、他の本朝譚にも閻魔王は登場してくる。

「酉陽雑俎」の冥界話は結構面白いのだが、「今昔物語集」は、それと比較すると、ワンパターンの菩薩譚に映ってしまう。風土の違いは大きいと言わざるを得ない。
震旦では、冥界も官僚システムが完備しており、官吏も色々と役割分担が進んでいる。御迎えというか連行役は書類で本人かチェックしないと責任を問われる訳だし、やって来たことに気付けば逃亡するとか、賄賂を払うなど、対処は色々あるし、裁判になっても公正さに問題ありとして提起してすぐに判定されないように頑張ることもできる。そのため、様々なお話が生まれる訳だが、本朝譚にはそのような複雑さを感じさせるものは全くない。そもそも、真面目な人が多そうだから、連行されなくとも、自発的に行くのかも知れぬという気をおこさせる話も少なくない。
全体の少数譚である閻魔譚でまとめてしまうと、両者の基本概念は同じとしてしまいがちだが、そこらは要注意である。全体に見れば、本朝譚では閻魔大王による裁定というセンスは薄いからだ。しかも、本朝版の記述は、地獄という現場と、冥界という役所の峻別を避けているようにも映る。地獄からの生還とか、冥界で上手く立ち回って地獄行を逃れるタイプの話を意図的に避けているのかも知れない。

「今昔物語集」の編纂者が、単純モチーフの、菩薩あるいは経典の霊験を沢山並べたかったとは思えないから、何らかの問題提起をしている可能性があろう。
例えば、徹底的な法華経読誦生活をすると、功徳は確実なのか?と言いたかったのかも。
遊び半分に地蔵像を作って、おままごと的な坊さん遊びをしていてもそれが功徳に勘定されるとか、諸国修行しているなら地蔵に救ってもらえたりと、色々あるようですゾ、と指摘しているとも言えそう。
慎重に読むと、閻魔大王に許すように語る場合でも、「とんでもなく長期間に渡って読誦を続けているから」という理由で説得してはいないように思える。真に菩提心があるから、と言い、閻魔大王もそこを見ていそう。
実は、ココ、なかなかに奥が深い譚なのかも知れぬ。

  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_6]摂津国多々院持経者語
 摂津豊島の多多院の聖人のような僧。
  山林で仏道修行。
  長年に渡り、日夜、法華経読誦。
 貴いということで、食べ物供養をする男がいたが、
  そのうち病気で死んでしまった。
  納棺し木の上の安置後5日目、
   棺の中から叩いていることに気付き、
   家族が棺を降ろして開けると
   男は生き返っていたのである。
 家で、その状況を語る。
  「私は、死んで
閻魔大王のもとへ。
   大王は帳面や札を見たりして考えていた。
   お前は罪状からは地獄行だが、
   この度は、許して元に返してやる。
   法華経修行僧を助けているからだ。」と。
  その功徳は限りなく、
  さらに聖人を助けるなら、
  あらゆる諸仏供養より価値が高い、ということ。
 そして、
閻魔大王の館から戻る途中、
 素晴らしい仏塔を見た、とも。
  その荘厳さは筆舌尽くし難し。
 ところが、私が布施する聖人が、
 口から火を吐き仏塔を焼いいたのだ。
 虚空から声があがる。
  「この塔は、僧の読誦が見宝塔品に至って出現。
   ところが、今、僧は弟子達に怒りをぶつけている。
   そのため、その怒りの炎が仏塔を焼いてしまった。
   お前は、帰って、僧にこのことを告げよ。」と。
 男は、それを聞いた途端に生き返った、という。
 ともあれ妻子大喜び
 一方、僧は男の話を聞き大いに恥じた。


  [巻十三#13]出羽国龍花寺妙達和尚語
 出羽の竜花寺の住職 妙達和尚。
  清らかな生活で、正直な心根。
  長年に渡り、常に法華経を読誦。
 955年、病気でないく、経を持ったまま突然死。
 お日柄悪しで、葬儀は7日間延期。
 ところが、七日目に蘇ったのである。
 そして、蘇えって、弟子たちに話した。
  「死んで
閻魔王の宮殿に行き着いた。
   
閻魔王が玉座よりお下りになり拝礼。
   "ココに寿命が尽きてない者は来てはならない。
    お前は、寿命ではないが、呼んだのである。
    お前はひたすら法華経を信奉し
     濁世で仏法を護っているからだ。
    お前に、直接、衆生の善悪行為を説くためだ。
    お前は、もとに帰り、
     忘れずに、善を勧め、悪を止め、衆生を救え。"
   と聞かされて、私を帰したのだ。」と。
 この話を聞いた人の多くは出家し入道。
 造像、写経、立塔、堂舎創建する者も限りなし。


以下の話は、震旦的なセンスで、いかにも、見返り要求的に修行を追求してきたように描かれており、しかも、それは奏功するのだ。慈悲の大乗仏教的なイメージは薄く、現世利益追求の道教色に染まっているのが面白い。
それにしても、個人的に重要なことをお願いすることになると、寺を出奔して山に籠る理由はどこにあるのだろうか。
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚)
  [巻十七#17] 東大寺蔵満依地蔵助得活語
 東大寺の僧 蔵満は悪事で上京。
 途中で高名の相人登昭に占ってもらうと若死とのこと。
 長生きしたければ、心よりの菩提心発揮しかない、と。
 蔵満は寺を出奔し、笠置の岩屋に入り苦行。
 夜明けに地蔵菩薩宝号の108回口唱を日課に。
 そして、お告げ通りに、30才で突然のように死去。
 
冥界の使者がやって来て引き立てられる。
 そこで、蔵満、絶叫。
  「地蔵の本願で、私は助けられる筈!」と。
 すると、5〜6人を引き連れた小僧が現れ、
  端正な姿の小象が真実の行者と証言し
  
閻魔の使者は納得して引き上げる。
 途端に蔵満は蘇生。
 その後、90才まで健康そのもので、天寿を全う。


閻魔王は登場しないが、冥界の官人の様子が描かれている譚もある。ここでは、明らかに官僚の一存で放免が決定しており、意思決定機構が震旦とは違う可能性もありそう。・・・
  [巻十七#18]備中国僧阿清衣地蔵助得活語
 備中窪屋 大市の老僧 阿清は俗称の氏は百済。
 紀寺 基勝律師の弟子。
 天性の修験好き。
 国中の山々を巡り、渡海、難行苦行。
 24〜25才の時、疫病が流行し死者多数。
 阿清も恐れ本寺に戻るも、修行途中で重篤になり死亡。
 弟子は恐れて見捨てて逃亡。
 ところが、一両日を経て生き返った。
 そこで、その辺りを通過する人を呼びこんで語ったのである。
 ○本国より本寺に行く途中に病を受て、そのために死んだ。
 ○独り、広路に向かって、西北方向に行った。
 ○門楼に到着。
 ○中に、検非違使庁に似た器量き屋共があった。
 ○内に、数々の官人がおり、
  庭に並んで着席して、
  多くの人を召し集め
  罪の軽重を判定していた。
 ○多くの人を捕縛し
  獄へ遣るので
  泣き叫ぶ声が雷の響のようだった。
 これを眺めていると、身の毛竪ち魂が迷うほどで
 阿清は東西感覚をも喪失してしまった。
 そこでは、錫杖と一巻の文を持つ小僧が、東西方向に走っていた。
 いかにも諍事に対応しそうな態。
  なかに美麗なる童子がおり、阿清は随行した。
 阿清が誰かと尋ねると、地蔵菩薩との返事で、驚き恐れ礼拝恭敬。

結局のところ、地蔵菩薩が冥界の官人にかけあって放免が決定する。

遊びで仏像を作っただけでも、その功徳を認めてくれるとの譚。・・・
  [巻十七#19]三井寺浄照依地蔵助得活語
 三井寺の僧 浄照。
 出家前の11〜12才時分、同じ年代の子供と遊んでいたが、
 お坊さんの真似遊びをしていた。
  木を刻んで地蔵菩薩と名付け、季節の野花を添え、
  古寺の仏壇辺りに置いたのである。
 浄照は、師に従い修行に励み、高僧に。
 ところが、30才で重篤な病に侵され命を失う。
  すると、突然、荒々しい二人の者に抱えられて、
  山の麓に連行され、暗く大きな穴に落とされてしまう。
 法華経を唱え、観音・地蔵菩薩を敬っていたので、
  ご加護を願って、落ちて行ったのである。
 着いた先は
閻魔の廟。
 四方には、多くの罪人が泣き叫んで、まるで雷鳴状態。
 そこへ、一人の小僧が出現。
  「覚えていますか。
   私は、あなたが子供の頃作ってくれた地蔵。
   それがご縁で、日夜あなたを護っております。
   ただ、行に励んでいましたので、
    あなたは堕ちてしまっいました。」と話す。
 浄照、地にひざまづき涙を流す。
 小僧は、
閻魔の前に連れて行き、許しを乞う。
 すると、たちどころに蘇生したという。


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