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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.19] ■■■
[81] 在原業平の鬼
小生は、「今昔物語集」編纂者は「酉陽雑俎」の愛読者に違いないと見るが、そう感じさせるのが"鬼・霊"譚の取り上げ方。それだけで一書になりそうな「諾皋記」まで書き上げた精力にはとうてい及ばないものの、エスプリ発揮という点では決して負けてはいない。
  [→「諾皋記の意義」2016.3.11]

それは、読者層の質が高かったことを意味しよう。
そして、足を踏み外して落ちないように、塀の上を歩くことの面白さを読者と共に喜べる場を持っていたということでもあろう。

前段が長くなったが、要するに、「鬼・霊」で集めてきたお話を分析的に眺めても、なにもわかりませんゼ、と言うこと。
もともと、人々の意識上でかなり曖昧な概念ではあるものの、そういうことではない。

本当に「鬼・霊」と考えている場合もあれば、わからぬから「鬼・霊」にしておくかという場合もある。さらには、「鬼・霊」ではないとわかっていても、文芸的比喩として言葉を当て嵌めていることも。従って、話の背景を知らない限り分別などできないのである。
そして、なんと言っても圧巻は、鬼・霊のせいにしてしまう人達のお話。そんな御仁が大勢存在していることを忘れるべきではなかろう。

「酉陽雑俎」を読めばすぐにわかるが、宗教家から一般人風まで、強盗殺人集団は至るところにおり、彼らにとっては鬼・霊が殺ったことにするなど朝飯前。
これらを大前提として読む必要がある訳だ。

ただ、震旦と違い、本朝では、そのような態度を示すのはご法度に近い。従って、その辺りに注意しながらの編纂となる。

ご丁寧なことに、そのことがわかるようなお話を入れ込んである。
それを取り上げておこう。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#_7]在原業平中将女被

在原業平といえば「伊勢物語」。そのなかで、どういう訳か女が鬼に喰い殺される怪奇話[第六段芥川]があり、それを引用したように映るように創った話。
「伊勢物語」には和歌もあるから、それなりの情緒を感じさせるように作られているものの、なにか重要なシーンが欠けている気にさせる話だ。・・・
 昔、男ありけり。
 恋慕う女がいたが、高貴なお方で手に入らない。
 かろうじて、女を屋敷から盗み出すことに成功。
 芥川の暗い夜道を率いていった。
 女は草に降りた露を見かけ、何かと尋ねる。
 夜は更けていくし、先は遠く、
 雷雨になって来た。
 雨宿りということで、
  鬼の居る所とは露知らず
  あばらの蔵に女を押し込んだ。
 男は、弓と胡を背負い入口で番を。
 早く夜が明けないかと思っているうち
 鬼が一口喰ってしまい
  女は「あなや」と言うが
  雷で聞こえず。
 ようやく夜が明けると
  女はいなくなっていた。
 男は、足ずりして泣くだけ。

   白玉か 何ぞと人の 問ひし時
   露と答へて 消えなましものを
 [「新古今和歌集」巻八#851]
この歌は巻二十四 和歌集[→]には入っていない。重複しても意味ないし、男女の返歌になっていないからか。

さて、伊勢物語のこの話、和歌で了とはならず続きがある。
 コレ、二条の后(がたいそう若く普通の身分だった頃)
 従姉妹の女御のお側にお仕えしているように生活されていた頃。
 その容貌は素晴らしかった。
  背負って逃げられてしまったが、
  兄の堀川大臣と太郎国経大納言が
  まだ身分は低かったの頃だったが、
  泣き声に気付いて
 妹を取り返したのである。
 それを、かく鬼とはいふなりけり。

「今昔物語集」には、もちろん、この最後の部分は無い。話も微妙に異なる。・・・
場所だが、山城の荒れて人が住んでいない家の朽ちた倉の中に娘を隠すのである。畳を一枚敷いて女を寝かせることになる。 そして、夜が明けて中を見ると、娘の首と着ていた服だけ。
"人取り為る倉"だから、雷電霹靂ではなく、倉に住む鬼の仕業ということに。
ご教訓は、知らない所に下手に立ち寄るものではない、となる。
伊勢物語を知っている人ははてさてこの譚をどう読んだだろうか。インテリはおそらく、「伊勢物語」の段は実につまらぬから、「今昔物語集」版に差し替えてしまえではなかろうか。

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