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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.4] ■■■
[96] 狗人
鬼という概念はヒトが造ったものであるだけに、そのヒトが所属する社会(コミュニテエィ)によって様々なタイプが生まれるという趣旨の話をしたが、要するに「鬼」でソートしてその特性を分析するような手法は止めた方がよいということ。

同じような意味で注意すべき譚があるので取り上げておこう。
対構成になっていると前譚[→四国辺地]のイメージに引き摺られることもあるし。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#15]北山狗人為妻語
題名からすれば狗譚だし、ヒトの女性と結婚しているから、異類婚の例としがちになるが、読めば、これをその分類に当て嵌めては拙いことがわかる。

素人がそんなことを言う訳だから、理由は御察しになれるだろう。

"天狗"を狗譚として検討しても全く意味がないのと同じ。

大天狗や小天狗は著名な霊山に住んでいるし、大海を渡って来る時もある。大した力がある訳だ。
しかし、あくまでも棲家は深山である。

それでは、そんじょそこいらの土俗信仰レベルで対象とされている、名の知れぬ山に、どうして天狗はいないのか。
ソウ、居ない訳がなく、天狗ほどの力量は無いものの同族が住んでいるのである。

その名称、狗賓

姿かたちとしては、必ずしも犬ではなく、狼のこともある。地場の人達から見れば、山仕事に係ってくる神だから、大切であり、尊崇は欠かせない。
その気持ちが全くないのは、都会の人達。
狗賓だが、当然ながら、天狗とは違い、術を駆使して威力を見せつけることはしない。そのほどの力はないものの、鬼や狐/野猪のようにムザムザとヒトに殺されることはない。しかし、そんな力があるからといって、ヒトに被害を与えることはしないようだ。度が過ぎた行動を起こせば別だが。
とは言え、あくまでも天狗族。天狗と同じように扱う人達がいてもおかしくない。

この譚は、このような土着信仰が目に入らないというか、外道として唾棄すべき対象としてしか考えていない都会の人々の行動が描かれているにすぎない。

話の筋はわかり易い。
 北山に遊びに行った男が山中に迷い込む。
 日が暮れ途方にくれていたが
 柴の庵に出くわす。
 そこには、美しい女性が住んでおり
  情夫を泊めたと誤解されるので
  宿泊は無理と。
 しかし、どうしても、ということで
  兄として振舞うことに。
 やがて、夫が帰ってきたが
   それは犬だった。
  食事も御馳走になる。
 他言無用だが、兄としていらしてと言われ、
 そこそこに、
  礼を言って帰京。
 帰ってから、
 男は、面白おかしく
  人間を妻にした犬の話をして回る。
 若者のなかに、
  犬を射殺して妻を奪おうと言う者がおり
  多くの人がそれにのった。
  100〜200人もがその庵に押し寄せたのである。
 犬は驚いたが、
  前の男を見つけると
  妻と一緒に
  鳥のように山奥に逃げていった。
 大勢が矢を射ったが一つも当たらず。
  皆、只者ではない、と言う。
 男はそれから気分が悪くなり
  寝込んで、2〜3日で死んでしまった。

犬とその妻は、都会の人と接点を持つ必要もなく、逆も言える筈だがそうはいかない。異文化の小さなコミュニティを見つけたら、それを抹殺することが大いなる喜びだからだ。

ただ、この話、わざわざ"白"犬としている点では、狗譚の系統に繋がる点も抱えてはいる。

例えば、「古事記」では雄略天皇により家を燃やされそうになった時に、白犬を献上して難を逃れる有名な話があり、"白"犬は特別。その後、結納品になる訳だが。
「今昔物語集」編集者からすれば「日本書紀」か。
そちらだと、"白"犬は日本武尊の美濃への道案内役として登場。

というか、以下の譚が収録されているので、どうしても狗譚として扱いたくなるのである。
  【本朝仏法部】巻巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#44]達智門棄子密来令飲乳語
 生まれて10日位の赤ん坊を達智門で発見。
 どうして生きているのが不思議。
 夜、密かに様子を伺うことに。
 白い犬が赤ん坊に乳を与えていたのである。

この扱いは実は簡単にはいかない。・・・
 実に奇異の事也かし。
 此れを思ふに、
  其の狗、糸只者には非じ。
  諸の狗、此れを見て逃去けむは、
  然るべき鬼神などにや有けむ。
 然れば、定めて其の児をば、平かに養ひ立てけむ。
 亦、仏菩薩の変化して、
  児を利益せむが為に来り給たりけるにや。


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