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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.28] ■■■
[120] 陰陽師
【本朝世俗部】巻十五巻二十四 本朝 付世俗(芸能譚 術譚)には陰陽師譚が欠文1つを含め8つ収載されているので見ておこう。
  [巻二十四#13]慈岳川人被追地神語
  [巻二十四#14]天文博士弓削是男占夢語
  [巻二十四#15]賀茂忠行道伝子保憲語
  [巻二十四#16]安倍晴明随忠行習道語 [→道場法師子孫の女]
  [巻二十四#17]保憲晴明共占覆物語 (欠文)
  [巻二十四#18]以陰陽術殺人語
  [巻二十四#19]播磨国陰陽師智徳法師語
  [巻二十四#20]人妻成悪霊除其害陰陽師語

登場する陰陽師は、先ずは官人。

陰陽博士 滋岡川人[n.a.-868年]と、その弟子天文博士弓削是雄[848-908年]。読者は、後者の名前がえらく気になる筈としてエピソードを探し出してきたかも。
その後、主要ポストは加茂家と阿倍家が独占することになるが、その流れは確固たるものと見て選択したと思われるのが、加茂忠行と、その嫡男の保憲[917-977年]に弟子の安倍晴明[921-1005年]

律令制では、陰陽寮に登用された者以外は、天文・陰陽・暦・時とそれに係わる災異瑞祥等を説くことは禁止されていた筈だが、現実には闇の私人が多数存在しており、術を駆使することが生業化していたようだ。「酉陽雑俎」でも、隠形法のような術が大流行して いることがよくわかる。その原点はジャータカだと思うが。と言ってもその目的は、法力ありを示すために過ぎないから、千手空鉢の法と同類と見てよかろう。

しかし、もともとは占術者だ。呪術を駆使するのは僧・行者や道士/仙人であり、本来的には別なカテゴリーの専門家だったのが、習合したのだろうか。

と言っても。私人の場合は、占うだけでなく、早くから長寿法や蘇生法の依頼を受けていたと思われる。しかし貴族相手だから、一番の決め手は呪殺だろう。こんな目的に官人を使える訳がないから結構繁盛していた可能性も。
非官人として登場するのは、安倍晴明にやられる智徳法師。名前が知られる悪役、蘆屋道満は登場しないので、その師の可能性も。ともあれ、どのようなストーリーであろうと、都の公的陰陽師にとっては、進出してくる私的勢力の芽は早めに摘むしかないというお話と見ることもできる。

最初の譚は陰陽師慈岳川人の活躍話。
いかにも陰陽道のお話という印象を与える内容。
従って、この譚の粗筋とか要約はつまらない。細かなシーンあってこそ、うならせるものありの世界。

 文徳天皇崩御に伴い陵墓予定地占いの任が大納言安倍安仁に。
 大納言が連れた占術師の中に、陰陽師慈岳川人が居た。
 その陰陽道の力は、古今の名人に匹敵すると言われていた。
 大納言一行が、占い完了後、引き上げる途中、
 深草の北の辺りに差し掛かった。
 すると、慈岳川人の様子がなにやらおかしい。
 大納言の近くに馬を寄せ、言うことには、
 「今迄、間違ったことはありませんでしたが、
  今回は大きな過ちをしでかしました。
  こちらに祟り神"地神"が追ってまいります。
  陵墓占いで、地神領地を侵してしまったからです。
  この罪を二人で負うことになります。
  大変な事ですが、どうすればよいか、解りません。
  地神から逃げるのは難しいからです。」と。
 いかにも怯えた様子。
 大納言、怖れ慄く。
 ともかく、できる限りのことをする、と言って、
 供をすべて帰し二人だけに。
 やがて、日が暮れ、
 闇に紛れ下馬し、馬も帰した。
 道沿いの刈り終わった田に入り
 坐した大納言の周囲に藁を積み上げ、
 呪文をとなえて外側を周回した上で、
 内側に入り瞑想。
 大納言は生きた心地もせず真っ青。
 二人が静かにしていると、突如、大勢の足音。
 追手が怒鳴りながらやって来たのである。
 騒がしく探すものの、見つけることできず。
 地神は捨て台詞。
 今日は捕まえられなかったが、
 大晦日には見つけ出す、と。
 何とかしのぐことができ、
 川原から馬で帰ったのである。
 大晦日になり、
 約束通り対処すべく
 川人は大納言のもとに行き、
 日暮れ頃に、二人だけ密かに二条大路西大宮大路の辻で、と。
 混雑する辻で落ち合い嵯峨寺へ。
 持仏堂に入り、
 川人は天井に陰陽の呪文を、
 大納言は印を結んで、真言の文を唱えて、その時に備えた。
 真夜中、気分悪く、嫌な臭いがする、生暖かい風。
 大きな地鳴りも。
 そのうち、一番鶏の鳴き声。
 それとともに辺りは静かに。
 そして、二人は帰宅の途に。
 別れ際、川人は、大納言に、
 「もう、恐れる必要はございません。
  私の術が勝ちましたから。」と。


占いは当たるのである。細かいところまで。

 封戸催促に穀蔵院の使として東国に派遣された伴世継は、
 帰京の途中、近江勢多駅に宿泊。
 たまたま、陰陽師天文博士弓削是雄と同宿することに。
 近江国司に大属星祭に呼ばれていたのである。
 世継はその夜悪夢を見たので、吉凶を占ってもらった。
 「明日家へ帰ってはいけない。
  殺そうとする者が家にいる。」との結果。
 しかし、長く東国にいたので早く家に帰りたい上、
 持参の公物・私物が沢山あるし、
 従者も考えると留まるのは無理。
 どのように難を避けるべきか尋ねると、
 対処方法を教えてくれた。
 殺害者は丑寅の方角に隠れているから、
 家に到着したら従者を残したままにし、
 それらしき場所に自ら矢を放ち、br> お前の意図はわかっているから、
 すぐに出てこないと射殺すると脅せというもの。
 隠遁術で隠れていても姿を顕すと言うのである。
 翌日帰宅。歓迎で大騒ぎの態。
 世継は、そんなことに目もくれず、言われた通りに。
 それらしき菰を狙ったのである。
 すると、法師が出てきたので捕らえて尋問。
 「今更隠し立てするような事ではないが、
  私の主人の御房は
  殿の上と情が通じている。
  今日、殿が帰京する時、殺してと
  殿の上が仰せになったので
  こうして隠れていたが、
  すでにご存じとは。」
 伴世継、法師を検非違使に渡した上で離婚。


次は、加茂家の血筋がただならないことが一目瞭然となるエピソード。

 賀茂忠行は当代随一の陰陽師。
 歴代の巧者にも引けを取らぬと言われている。
 公私に渡り引く手数多。
 祓いを依頼された時のこと。
 賀茂忠行という陰陽師がいた。その道に関しては昔の人物と比較
 しても劣ることはなく、10才の息子 保憲が、付いて行きたいというので
 牛車に乗せ連れて行ったのである。
 舎殿でのお祓の間、保憲はずっと側にいた。
 その帰りの牛車の中で保憲が父親に尋ねたのである。
 「祓えの最中、
  恐ろしい形相の者ども20〜30人がやって来て
  お供えを食べてから、
  置いてある作った船・牛車・馬等に乗って
  それぞれ帰って行きました。
  何なのでしょうか?」と。・・・

親も驚く息子の超能力。親は子にすべての術を教え、やがて息子は父より高位に着くことになる。おそらく、陰陽師として初めての地位にまで上り詰めたであろう。

すでに取り上げた晴明譚には異なる話が共存しているので、簡単に記載しておこう。

〇師の賀茂忠行のお供をしていた幼少の晴明、
 夜道で鬼出現を知らせた。
 以後、忠行はすべてを伝授。
〇陰陽師晴明は、播磨の陰陽師(智徳法師だろう。)と術比べ。
 勿論、勝利し懲らしめる。
〇仁和寺の寛朝僧正の集まりに出席。
 公卿達にねだられ、術で蛙を殺害して見せる。
〇晴明家では式神を家事に使っていた。
 人がいなくても勝手に門が開閉するのである。


加茂忠行嫡男の保憲と弟子の安倍晴明の関係がどうだったかは定かではない。その話は削除されている。
⑰…欠文

播磨の国は凄いぞ、と言いたげな、私人の陰陽法師の話が加えられている。

播磨明石沖で海賊に襲われた船主を助けるため、智徳法師は陰陽の術で海賊を捕らえ、積荷を取り返した。海賊は説諭の上、放免。
それほどまでに力があるのだが、晴明にはかなわなかったのである。

一方、陰陽師とはあくまでも占い師であるとの、「今昔物語集」の編纂者の指摘とも言えそうな譚も並ぶ。

 登場人物は、中堅官僚。
 殿上人ではないがしっかりとした判断力の持ち主。
 血筋もそれを示している。
 │
 〇淡路守大夫の史 泰親
 │
 〇主計頭 忠臣
 │
 〇主計頭 小槻糸平
 │
 〇六位 "算の先生"…才賢く素直な心
 家で怪なる事があり、陰陽師に問うことにすると、
 閉門し謹慎物忌みにすべき日が占いで判明。
 言われた通りにしたつもりだったが、
 それが上手くいかず、
 その夜から頭痛が始まり、三日と経たず死亡。


「今昔物語集」の編纂者がどう考えているのか聞きたくなる譚が最後に来る。恨み骨髄で死んでしまった別れた妻の怨霊にどう対処すべきかが問われている訳で。
死者への供養は一切不要で、死体は放置したママでもかまわぬ。死体を馬の如く扱うことでその怨霊の難から逃れることができる、というのが陰陽道という調子の記述である。・・・

 長いこと一緒にいた妻と別れた男の話。
 妻は恨み、嘆き、悩み、数か月後死亡。
 親類・知人がいないので、死体はそのママ。
 髪も落ちず、骨も繋がっていた。
 それを覗き見た近所の人達は恐ろしさに震えた。
 家は光ったり、音もするので尚更。
 ご近所も逃げ惑うほど。
 旧夫、それを聞いて、死ぬほど恐ろしき心地に。
 このままでは取りつかれること必定。
 怨霊の難を逃れるべく陰陽師に頼むことに。
 難しいものの、なんとかなるということで、
 すべて任せることにして、恐ろしい死人の家へ。
 そして、死人の髪を強く引き、馬乗りに。
 陰陽師は去り、夜になった。
 死人は、なんとも重いと言いつつ立ち上がり、
 あ奴を探しに行くと言って走り始めた。
 そうこうするうち、鶏の声で、元通りに。
 夜が明け陰陽師がやって来た。
 言われた通りにしたことを話すと、一緒に帰宅してくれた。
 そして、難は去ったから、もう恐れる必要は無いと。
 男、泣きながら陰陽師を拝したのである。


ついでに、このグループ収載を見送った譚を付け加えておこう。ほとんど聞いたこともないような事例らしい。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚
  [巻二十七#23]播磨国鬼来人家被射語
 播磨でのこと。
 死の穢れのお祓いのため陰陽師を呼んだ。
 すると、近々、この家に鬼がやって来ると言う。
 家の者は、それを聞き大変怖がって、
 対処方法を尋ねたところ、
 その日だけ厳格に物忌みすればよい、と。
 その日のこと。
 物忌みをした上で、鬼は何処からどんな姿で現れるか陰陽師に尋ねた。
 門から人の姿で入って来るものの
 非道な行為をすることはありませんとの答えだったが、
 門には物忌み札を立た上で、
 桃の木を切って道を塞いで法術で護ることに。
 閉じた門の隙間から外を窺っていると、
 藍摺水干袴を着た男が笠を首に掛け、
 門の外に立ち、内側を覗いているのが見えた。
 陰陽師が、あれが鬼と言ったので、
 家の者は恐れおののいた。
 そのうち、この男は家の内に入って来て、竈の前に立った。
 ところが、主の息子は、若いので、
 どうせ鬼に喰われるのなら、
 鬼を射て名を残そうと考え
 実行に移した。
 矢は鬼の真ん中に命中。
 鬼は走り出て行き、消えてしまった。
 矢は突き刺さらず、はね返ったのである。
 皆、とんでもないことをしてくれた、と言ったが、
 その後、その家になにも起きなかった。
 鬼が、このような人の姿で出現することはほとんどないのだが。


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