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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.8] ■■■
[131] 前生蚯蚓の僧
お経を暗記できない持経者の因縁を示す7つの前世譚を取り上げた。[→前生蟋蟀の僧]
それに続く、7譚を見ておこう。
現代人からすれば、身体的特徴のインフェリオリティ・コンプレックスに悩む持経者に因果論で納得させ、心の平安を与えると解釈するしかないお話。余りお勧めしたくない主旨ということになろう。創造主の宗教だと、神か与えたことであり、それは祝福と解釈することになるが、実社会では差別されるモトになることが多い訳である。
そんな話は1つで十分だと思うがよりもよって7連続。編纂者としては、何らかの問題意識を持っていたのだろうが、その真意はよくわからない。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#19]備前国盲人知前生持法花
  [巻十四#20]僧安勝持法花知前生報語
  [巻十四#21]比叡山横川永慶聖人誦法花知前生
  [巻十四#22]比叡山西塔僧春命読誦法花知前生
  [巻十四#23]近江国僧頼真誦法花知前生
  [巻十四#24]比叡山東塔僧朝禅誦法花経知前生
  [巻十四#25]山城国神奈比寺聖人誦法花知前生報語

先ずは、現代なら、メラネシア系というだけの話から始めよう。

 僧 安勝は幼時から法華経を習っており、昼夜読誦。
 ところが、体色がかなり黒かったのである。
 世間に、色の黒い人はいるものの、墨のような黒だった。
 それを嘆くだけでなく、大いに恥じていたので、
 人々との交流もしなかった。
 しかし、仏道心が、極めて強かった。
 常に仏像を造り、写経し、供養し奉っていたのである。
 貧しい人を哀れむ心があり、
 寒さで震えている人を見れば、
  知らぬ人でも衣を脱いで与えた。
 病を煩う人を見れば、
  親しいか否kかに関係無しに、薬を求めてきて施した。
 このような調子で年月が経っていったが、
 色黒を恥じての歎息は続き、
 長谷寺観音に参詣し、
 どんな因縁なのか教えて欲しいと祈願。
 三日三晩籠って祈請すると、
 夢に、高貴な女性が出現。
 美しい姿で気高く、普通の人ではなさそう。
 そして、前生を知らせてくれたのである。・・・
  黒い色の牛である。
  法華経信奉者の近くにいたので
  常に法華経を聞いていた。
  そのお蔭で、畜生から人に転生。
  だからこそ、僧となり読誦しているのだ。
  体が黒いのは、牛の名残り。
  嘆いたりしてはならぬ。
  法華経信奉を続けていれば、
  兜率天に昇天し、
  弥勒菩薩にお会いすることが出来る。
 夢から覚め、安勝は観音を礼拝し奉った。
 そして、喜んで帰って行ったのである。
 もちろん法華経の読誦を続け怠ることなし。
 尊い入滅姿だったという。


もう一つ、よく似たモチーフ。

 近江金勝寺の僧 頼真。
 9才から学んでいたが今や知恵ある老僧。
 ただ、ものを言う時に
 口を歪め顔面が動いてしまう。
 その様が牛に似ているので恥じて嘆いていた。
 悪行のせいかも知れぬと、
 比叡山根本中堂で七日七夜お籠りし、
 前生とその因果応報をお教え下さいと祈念。
 すると、六日目、夢に尊い僧が出現しお告げ。
  近江依智の官首の家に飼われていた鼻の欠けた牛。
  供養のために法華経八部を背負って山寺に運んだので
  人に転生し、僧となり法華経読誦している。
  この功徳で菩提に至ることになろう。
  しかし、宿業で、口が牛に似ている。
 納得し、仏道一途の生活。
 70才で、法華経六万部読誦。
 苦しむことなく心静かに法華経を誦して逝去。


この手の話を7連続は勘弁して欲しいというのが現代人の感覚だろう。

ただ、圧巻は蚯蚓である。節足動物、両性類や爬虫類ならわかるが、常人にはとうてい思いつく動物ではなかろう。
輪廻観を受け入れていない人に、突然、「あなたの前世はミミズです。」と言ったらどのような反応が返ってくるか、考えただけでもゾッとする。
そこらを考えた設定かも知れぬ。
ただ、筋は単純でなんのひねりもないから、冒頭を読めば、ストーリーはすぐわかる。

 山城綴喜の飯の岳の戌亥の方角の山の上に
 神奈比寺
(=甘南備寺@京田辺)という山寺があった。
 その寺に、幼時より法花経を習って、
 日夜読誦する僧が居た。
   :
 ただ、常に、大寺に移りたいと思っていた。
   :

お寺の庭の土中に棲んでいた蚯蚓が法華経を聞いていたということ。土着であるから、他の寺に移ってはならぬという訳だ。もちろん、それを夢で告げたのは、ご本尊の薬師如来。
おそらく、当時としては、中途半端に不便な場所だったのだろう。
それにしても、目や耳といった感覚器官が見つからない動物を選ぶのは大英断であろう。聴覚があり、心まであると見ていたことになるからだ。実際、この動物は眼点を持ち、接触や振動には極めて神経質で反応は素早い。自分で掘った穴に被せ物をしたりもするとの報告もあるらしく、考えているより賢い行動をしている可能性もある。「今昔物語集」編纂者はそんな風にミミズを見ていたのだろうか。

身体あるいは性情の特異性を自覚していなくても、ほぼ同類。狐的に生活している自分を再確認したのであろう。

 比叡山西塔の僧 春命。幼時入山。
 昼は僧房で終日、夜は釈迦堂に籠って法華経読誦。
 他のお勤めせず。
 貧しい出身なので、乏しかったが、里に出ることもなし。
 夢に天女が出現し、前世が告げられる。
  法華堂の天井裏に棲んでいた野干(狐)で
  読誦と法螺を聞いていたので人に転生。
 納得し、さらに仏道に励んで
 法華経読誦は6万部を越えた。


読誦が犬のようだと気付かされる話も。
確かに、心地よい読経の声と、気に障るような音調の差はとてつもないものがある。誰も、それを口外することはないが。

 比叡山横川の僧 永慶聖人は
 覚超
[960-1034年]の弟子。
 幼時に出家し比叡山に。
 法華経を習い、日夜読誦。
 その後、山を去り、摂津箕面の滝に籠り、法華経読誦修業。
 ある夜、仏前で読誦礼拝していると、側に人が寝ていた。
 その人の夢に、老犬が現れ、
 仏前で声高く吠えて立ったり座ったりして礼拝していた。
 目が覚めると、犬ではなく、永慶。
 2〜3人がおなじ体験をした。
 それを聞いた永慶は、意味を知ろうと、
 七日間断食のお籠り行で祈願。
 七日目の夜、夢に、老僧が現れ
 「汝の前生は、耳の垂れた犬。
  法華経の持経者の僧房に居て、
  昼夜、法華経読誦を聞いていた。
  その功徳で、人に転生し、僧となり法華経を読誦しているのだ。
  そのため犬の性が今も残っている。
  他の人の夢には犬の姿になるのである。
  我は、竜樹菩薩なり。」と。
 そこで、永慶は夢から覚めた。・・・

どういうことなのか、よくわからない。垂れ耳は、良く馴れた飼い犬の象徴だと思うが、嗅覚だけ研ぎ澄まされ音には鈍感という性情を言っているのか。竜樹は畜生のようだと罵った婆羅門が屈服させられた話とつながるのかも。

人相見の見分も当たるとの、冗談半分のような話もある。

 比叡山東塔の僧朝禅は、幼児入山したものの天性愚痴。
 学問から離れ、昼は房で、夜は中堂に籠っての読誦。
 ある時、人相見が中堂に参詣。
 諸僧、僧を見てもらったのだが、
 朝禅については、
  前生は白馬なので
  肌の色が白く、声も荒く、馬の走る音のようになるのだ、と。
 朝禅は、
 外見や現状だけの判断にすぎず、前生がわかる筈なし、
 知るのは仏のみ、と言い放った。
 中堂に籠って、前生を教えてもらおうと祈願。
 すると、夢で老僧が人相見の言う事は本当で、
 持経者を乗せ遊行の功徳で転生した、と告げた。・・・


すべて僧の話ではない。

 比叡山根本中堂で
 12才の時に失った視力回復を祈っていた
 父母が連れてきた備前の女の子の話。
 前生は
 信濃桑田寺乾の角の榎の木中に棲んでいた
 読誦を聞いていた毒蛇。
 仏前の常夜燈の油を舐め尽くした罪があり、
 そのようになったのだ、
 と夢でお告げが。・・・


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