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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.12] ■■■
[135] 盗人の裏をかく
盗賊話は、滑稽話に仕立て上げるのでなければ、どうしても殺伐したものになりがち。
そういう点では例外ともいえそうな譚を取り上げよう。

ご教訓はこうなっている。
  古は
  此る古代の心持たる人ぞ有ける。

昔はのんびりしていてよかったネとは、どの時代でも言われること。
本当にそういうこともないでないが、多くは過去を美化したくなる頭脳構造の産物。
現実を見る目がないと、必ずそうなる。と言うか、多くの場合は政治的主張にそれを利用するので、のせられ易いのである。

そんなことを考えると、この話、なかなかに筋の良い話では。

  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#12]筑後前司源忠理家入盗人語

先ず、登場人物の源忠理を紹介しておこう。
 大和守 藤原親任の舅。
 官職は筑後の前司であり、
 賢く、豊富な知識があり、
  諸芸に秀でているとされている。
家柄も良く、落ち着いた家風で育ったのであろう。

《藤原北家/房前》
基経[836-891年]…良房養子(長良三男)

時平[871-909年]

敦忠[906-943年]

助信[n.a.-966年]

相如[n.a.-995年]…正五位下出雲守 藤原道兼家司

親任…正五位下大和守/伊勢守

是忠親王[857-922年 光孝天皇第一皇子]

源正明[893-958年]

源助理

源忠理

お話は、盗人団の裏をかいたというだけ。

 源忠理、方違えのために、屋敷近くの小家で宿泊。
 大路に面した垣の近くで寝ていたところ
 真夜中に、側に人が立ち止まった様子、
 不安でじっと耳を澄ませていると、
 ひそひそ話が始まったが、
 なんと、源忠理家に強盗に入る相談話だった。
 明後日押し入る算段ということがわかった。
 その一人は、仕えている侍で、
 盗人の手引きをしていたのである。
 そこで、源忠理は一計を案じた。
  手引きの者がいない時を狙い、
  屋敷の家財を全てを運び出したのである。
  当日夜も、家の者は被害に合わぬよう外出。
 10〜20人もの盗入が予定通り屋敷に押し入ったが、
 家探ししても何も取る物が無い。
 手引きの者をさんざ痛めつけ、
 支柱に縛って出て行ってしまった。
 翌朝、戻った源忠理は、
 知らん顔をして召使を呼ぶと、うなり声。
 話を聞いただけで、何もせず。
 そのうち、姿をくらましてしまった。
 新たに、侍2人を入れた。
 家財は、運び出したままで、
 必要な物だけ取り寄せるようにしていた。
 ある日、近所から出火。
 延焼の恐れというころで、家財取り出し。
 もちろん、目ぼしいもの何もなし。
 大きな唐櫃だけが目立っていた。
 延焼もなく鎮火したので
 源忠理は家財置き場で状況を眺めていた。
 すると、侍が来て、唐櫃の鍵をねじ切った。
 中は空であり、
 このような家に仕えても得るもの無しということで
 逃げ去ってしまった。


この譚の面白さは、途中に編纂者の感想が入っている点にある。
 近頃の人なら、
 夜が明けたら、
 早速に 宿直を大勢集め、
 手引き役の侍を捕らえて
 盗人の居所を吐かせ
 別当や検非違使に告知するもの。
 以前は、人の心も古風だったし、
 この筑後前司も心がしっかりしていたこともあるので、
 こうはしなかった訳だ。


マ、考え方である。
被害を受ける側からすれば、山賊と関所役人の違いなどなにもないとも言えるどころか、後者の方が余程危険なのが実情の社会だった訳で。
盗人を逮捕しに来た検非違使が盗人だったりすることもあるし、バレたところで不問になる訳で。[→"羅生門"]
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