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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.18] ■■■
[141] 恐怖死
アナフィラキシー殺人を描いたとの解釈話をしたが[→]、続いて、精神的ショック死譚を取り上げよう。

前者は、"真田虫転生男など殺してしまえ"という、いかにも中世的社会現象。
後者もショック死だが、こちらはずっと古層の観念に起因している。現代でも時に発生していると思われるが注目されることはまず無い。

アナフィラキシーはようやく知られるようになったが、それが"人にやさしい"社会化を意味しているのかはなんとも。アレルギー持ちをからかう御仁は今もって少なくないからだ。社会とはそういうものである。

それはともかく、この言葉を聞いただけで、アレルギー症状がでてくる人は少なくない。症状の個人差は極めて大きいが、人間の体はそのようにできているもの。

俗に言う"人喰い"習慣が残る、隔絶された部族集落での、社会人類学調査報告では、無害な筈なのに食べると死ぬと言われている禁忌食物があり、それを間違って食べて死んだ例が散見されると言われている。ナイーブで繊細な感覚の人には、耐えられないことがあると見てよいのではなかろうか。
従って、精神的ショックを受けて死ぬことは、実は、珍しいことではなかったのかも。

「今昔物語集」編纂者は、その辺りをうすうす知っていたのではあるまいか。

そう感じるのは、恐ろしさを味わい、不調となり、その後に死亡するのだが、その原因は明らかに精神的ショックしかかんがえられぬ話だからだ。

世間では、それを、鬼の仕業と見なす訳だが、お話のなかで、鬼が仕掛けた兆候は一切ないのである。

廃屋的な場所で、幽鬼がでてきそうな雰囲気なのは確かだが、夜中、仏に燈明をあげ、鬼のような形相の人間が出て来たというにすぎない。出て行ってくれと言っただけで、他になんらの干渉をするでもなく、特段の接触もしていない。
しかし、世間はそうは解釈しないのである。

粗筋はどうということもなき話であり、夏の夜によく語られる手の凡庸なもの。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#16]正親大夫□□若時値

 正親大夫が若い頃の話。
 ある女房と恋仲に。
 しばらく、遠ざかっていたが、
 会いたくなってたまらなくなった。
 逢引の手引きをしてくれる女が
 人々が来訪中なので、外で見つけるといい、
 七条大宮辺りの使われていないお堂を選んだ。
 真夜中、女の童が出て来て早く出て行けという。
 男は鬼と見て、命からがら、
 意識朦朧の女を引き連れて逃げ戻る。
 女房は不調のままで、
 係累も無いので、仮小屋に放置され
 そこで死去。

小生は、「今昔物語集」編纂者は、以下の話を知っていたと見る。内容は違うと見れば違うし、同じと見れば同じである。
恐ろしい対象は鬼ではない。・・・
 大和の國なりける人の娘、いと清らにて在りけるを、
 京より来たりける男の、垣間見て見けるに、
 いとをかしげなりければ、
 盗みてかき抱きて、馬にうち乗せて、逃げて往にけり。
 いとあさましう、恐しう思ひけり。
 日暮れて、竜田山に宿りぬ。
 草の中に、泥障解き敷きて、女を抱きて臥せり。
 女、恐しと思ふこと限りなし。
  侘しと思ひて、
  男のモノ言へども、
  いらへもせで泣きければ、
 男、
   誰が禊 結う付け鳥か 唐衣
    竜田の山に 終り果てなく
 女、返し、
   竜田山 岩根をさして 往く水の
    行方も知らぬ 吾がごとやなく
 と詠みて死にけり。
 いとあさましくて、男、抱き持ちて泣きける。

 [「大和物語」@951年 第154段]

男を鬼の化身と考える人はまずいまい。
しかし、実質的には鬼である。

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