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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.26] ■■■
[148] 花山院
花山院/入覚は、尋禅、院源、厳久との交流もあるようで、事実上、良源師事門下だったように映る。
しかし、出家しても気のむくママ体質は、若い時からかわらなかったようだ。

  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#13]銀鍛冶延正蒙花山院勘当語
 銀鍛冶師 延正は父が延利で、祖父は惟明。
 花山院は延正を召し、
 検非違使庁にお下げ渡しに。
 それでも、面白くなく、
 「よく戒めよ。」と仰せに。
 そこで、検非違使庁の大きな壺に水を張り、
 延正を入れて首だけ出して放置。
 頃は十一月なので、震え迷う状態に。
 次第に夜が更け、
 延正は声の限り叫びだした。
 検非違使庁は花山院御所に大変近かいので、
 その叫び声が聞こえてきた。
 延正が言うには、
 「世の人よ、恐れ多いことだが、
  ゆめゆめ、大
(大いに恥ずかしくなるような)法皇の御辺には近寄るな。
  大変に恐ろしく、耐え難い事になるそ。
  下衆のままでいた方がよいぞ。
  この事、よく聞いておくように。」と。
 花山院はこれを聞き、
 「こ奴め、
  痛く申したる物云ひにこそ有けれ」と仰せに。
 すぐに召し出し、禄を与えて放免。

身分制がなくなっても、このタイプの傲慢な人は沢山いる。花山院が特異という訳でないように思う。つきあっていくにはスキルが必要だが、そうご太宗な能力という訳ではない。

  [巻二十八#37]東人通花山院御門語
 東国の人、事情に疎いため、
 花山院の御門前を乘馬して通過しようとしてしまった。
 これを見て、
 院の内から人々が出て来て、
 走り寄り、馬の口を取り鐙を抑へ、御門の内に引入れてしまった。
 中門まで、そのまま引き入れ、
 さざめめきしゃべくり合っているので、花山院に聞こえて、
 「何事でガヤガヤしているのか?」と。
 「御門前を乗馬のままで通過したので、
 そのまま引き入れたのでございます。」と。
 花山院、これを聞き、激しい怒って
 「我が門を、馬に乗って渡るとは何事か。
  そ、奴、乗せたままで南面に連れて来い。」と仰せになった。
 二人がかりで馬の左右の轡を取って、
 さらに、他の二人が左右の鐙を抑さへ、
 南面に連行。
 花山院は寝殿南面の御簾内から御覧になった。
 30才ほどの男で、黒々した鬚で、鬢の毛も素晴らしく、
 少し面長の顔付きで、色白で立派。
 綾藺笠を被ったままだが、その下から見える顔立ちは、
 吉き者に見え、肝っ玉も坐っていそう。
 紺の水旱に白き帷を着ており、
 白い星付の赤色の、夏毛の行騰を履いている。
 打出したばかりの大刀を帯ていて、背負っている節黒の胡録には、
 雁胯が2本と征箭が40本ほど差して蚕簿は塗蚕簿らしく、
 黒めいている。猪皮製片股を履いており、
 所々に革が巻かれた太弓を持っている。
 馬は、真鹿毛の法師髪で5尺ほど。足は固く、7〜8歳馬。
 素敵な一物であり、究極の乗馬姿であった。
 その馬は、左右の口を取られているので、
 至極ふるわせていた。
 弓は、御門から乗せたまま引き入れた際に、院の下部が取り上げて持参して来た。
 花山院は、馬がふるわせている様子を御覧になっていて、
 感ずるところがあり、庭を度々引廻させた。
 馬は、少し跳ねあがりつつふるわせるので、
 「鐙を抑たる者は去り、口も免せ。」と仰せになった。
 皆、馬から離れると馬、すぐに跳ねたが、
 男が手縄を緩め落ち着かると鎮まり膝を折って軽く跳ぶ。
 「見事な乗馬である。」と、感心され、
 「弓を持たせよ。」と仰せになったので取らせると、
 男は脇に夾んでで、馬を走らす。そうこうするうち、中門に人垣。
 見物人が市を成し、声援。
 そのうち、男は、庭を打ち廻してから、
 中門に馬を押あててたかと思うと、さっと馬を出すと、
 馬は飛ぶようにして走り出した。
 そうなると、中門に集っていた者共は、
 咄嗟に対応できず、終われるだけで、
 馬に蹴られないよう走る者もいたり、
 馬に蹴られて倒れる者も出る始末。
 その間に男は御門を馳け出し、
 東洞院大路を飛ぶが如くに下って逃げ去ってしまった。
 院の下部共が、後から追いかけたが、
 馳せ散じて行く馬に追着く筈もない。
 ついに、行方知れず・知らずして、失にけり。
 花山院は、
 「こ奴は大した盗人であろうか。」と仰せられたが、
 特段、お腹立ちにならず、
 捜させたりもしなかった。


  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#34]書写山性空聖人語 [→性空聖人] 
性空聖人には深く帰依していたようだ。換言すれば、浄土教ネットワークのパトロンとして生きて行こうと考えたとも言えそう。

以下は、花山院とは何の関係もない話に見えるが、そうではないらしい。

  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#_8]下野守為元家入強盗語
 下野守 藤原為元は三条南、西洞院西の家に住んでいた。
  
(花山法皇の執事を務めていたとも。)
 12月大晦日に近い頃のこと。
 家に強盗が入った。
 隣近所の人々が驚いて騒いだため、たいしたものも取らないうちに、
 囲まれてしまったと思って、
 位が高い女房を人質に取って、
 抱きかかえて飛び出した。
 三条を西方向に
 人質を馬に乗せて逃げ、
 大宮の辻に出た時、
 追っ手が近付いたと思い女房から衣を引き剥がして
 逃げ去った。
 女房の方は、思いにもよらぬことで、
 裸にされたまま、怖い、怖い、と思って動転し大宮川に落ちてしまった。
 川の水は凍っており、風も矢鱈に冷たい。
 川から這い上がって、人家に辿り着いて
 門を叩いたが、恐ろしと、門を開けてはくれない。
 そのため、女房は凍えて死んでしまっ野犬に喰われたようで
 翌朝、見ると川の中に
 凍りついた、長い髪、赤い首、紅の袴が見つかった。
 その後、この盗人を捕らえた者には褒美を与取らせるとの宣旨。
 お蔭で、大変な評判に。
 嫌疑は、荒三位と呼ばれていた藤原某に。
 野犬に喰われた姫君に懸想してが
 受け入れられなかったからのこと、と世間の噂に。
 そのうち、
 検非違使右衛門尉 平時道が、
 宣旨に従って下手人探索に大和に出かけたが
 その途中、
 山城 柞の社@相楽精華祝園(紅葉の名所)で不審者に出会った。
 検非違使に対する態度が腑に落ちなかったからで
 捕らえ奈良坂に連行し、
 悪事を白状せよと厳しく尋問。
 男は否定していたが、
 拷問にかけると
 一昨年十二月の大晦日に近い頃、
 ある人に誘われて三条と西洞院にある屋敷に忍び込んだだ。
 物を取ることができなかったので、
 身分高き女房を人質に取ったが、
 大宮の辻に棄てて逃げた、と。
 その女房は凍え死んで、野犬に食べられたことを、
 後から聞きました、と。
 時道は大喜びで、男を連行して上京し報告。
 これで、時道は、大夫尉に任ぜられると言われていたが、
 宣旨の話とは違い、何の褒賞もなく立ち消え。
 ただ、そ後に、時道は五位の位を得て、左衛門大夫に。
 ところが、世間的には、この任官をは非難されたという。


マ、拷問で吐かせた犯人は当てにならぬことは皆ご存知であり、それでうまく納まる時には一件落着となるが、そうでなければ決着はつかないのだと思われる。
もともと、強盗は上流階級が一枚噛んでいるという可能性もあるし、手引きする者もことかかないから、本当のところはよくわからぬといったところだろう。宣旨が出たりして、えらく胡散臭い盗人話も収録されていることだし。

尚、この話は、他の話と絡んでいるらしい。・・・
1024年、上東門院女房(花山法皇皇女)が夜中の路上で殺害され、翌朝に野犬に喰われた死体発見された。平時通が法師隆範を捕縛。藤原道雅(藤原伊周長男)の命で殺害と自白したが、盗賊が自首してくる。もちろん、有耶無耶になる。いかにも複雑な背景がありそうだ。
尚、995年、藤原伊周が、通い婚を続けていた花山法皇に対して、弓を射掛けた事件が発生。花山法皇は表沙汰にしたくなかったようだが、これが知れ渡り、伊周は権力闘争で敗れることになる。

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