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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.30] ■■■
[153] 上清珠
流石、インターナショナルな交流を愛好する人達向けの書と思われる譚がある。
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#16]鎮西貞重従者於淀買得玉語
 京大夫こと貞重は鎮西筑前の府官の一族で、勢徳。
 筥崎
@福岡の大夫則重が祖父である。
 輔の任完了による上京に際し
 朝廷の藤原氏、宇治殿へ献上するため、
 京の貴族層に人気の"唐物"を購入。
 そのため、懇意にしている
(宋の)貿易商人から借金。
 額は6000〜7000疋で、質草として太刀を納めた。
 宇治殿だけでなく、知人には志を配り帰途についた。
 その途中、淀で、貞重の舎人男が水干と玉を交換した。
 交換相手がすぐに去ったので、損して悔し、と思っていた。
 筥崎に船が着き、貞重一行はその足で貿易商人のもとへ。
 舎人男、そこで玉を売ろうとして
 その価値が10倍以上であることに気付いて、
 すぐに取引を撤回。
 ところが、取引相手は主の船頭にその玉のことを知らせた。
 そこで、船頭は貞重に玉を貰えるように頼む。
 お安い御用となり、
 持主が誰かは宋人は知っているから、
 玉は即刻船頭の手に渡る。
 すると、おカネのことにはなにも触れず
 質草の10振りの太刀すべてが返されたのである。


日頃の功徳のお蔭で、これぞ福報は間違いないものの、ここでは、それを取り上げたい訳ではなかろう。
対宋貿易の現場では、信用借りができるほどの密接な交流関係が構築されていることがわかるし、日宋情報格差による、交易の利益がいかに莫大なものになるかも指摘したとも言えよう。

尚、「酉陽雜爼」によれば"上清珠"にはとんでもない価値がある。 [→"珍品(貢物とお宝)"]
もともと、西域では鉱物の玉はとんでもなく珍重された訳で、珠にしても特別なものは格別だったろう。珠はカシミール辺りでも珍重されたりしていたらしいし。
そのような物の価値に際限などないのである。

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