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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.3] ■■■
[156] 山姥
鬼神は、仏道を行くのを邪魔するものの結局は帰依するだけで実害は小さなものだが、正真正銘の鬼は必ず"人喰い"を伴う。
そういう意味では本朝特有の"山姥"は、このタイプの鬼の代表ではないものの、そのカテゴリーに入れてよいだろう。
姥捨てはすでに取り上げたが[→歌物語(姥捨山)]、棄てられた老婆が鬼になっておかしくない訳だが、社会的には面倒を見れば一家全滅しかねない社会システムを考えれば、当人も当然のことと諦めていたり、家族の為を思っての自殺行為とされていた可能性もあり、どこまで鬼的存在と見てよいかはよくわからないところ。

雑種文化の国であるから、"山姥"の由来もゴチャゴチャであって当然だが、日本独自という点からすると、山の神に仕える巫女を妖怪化させたと見るのが一番自然だろう。
本来的に"人喰い"ではないが、山に昇った死霊が里や都会の人々に恨みを抱いて"人喰い"人に化けるという観念と融合したと見る訳である。従って、恐ろしい鬼女の側面と、もともとの母性的な側面が同居することになる。

人々が、そのように考えていたと思わせる譚が収載されている。

と言っても、"山姥"とされている訳では無い。山奥に一人で住む老女が、産穢で逃げてきた妊婦のお産の世話をしただけのお話。しかし、産んでから見た夢に"人喰い"で登場したから、鬼と見なされてしまう。両者に実害は無い。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#15]産女行南山科値逃語
 宮仕えの若い女房の話。
 父母親類縁者無しで、特段の知人がいる訳でもない。
 病気にでもなったらどうしようと心細い状態。
 
(重篤なら、間違いなく即刻放逐の憂き目という社会である。)
 特定の通い夫が決まってもいなかったのに
 妊娠してしまった。

 (産穢の風習は厳格で、お産が近づけば叩きだされること間違いなし。)
 こまったが、頼るところもなく、相談する人もいないし
 仕えている主に申し上げるなど恥ずかしくて無理。
 しかし、賢い女であるから、思慮の上、
 女の童一人だけ伴い、
 こっそりと深山に入ってお産をすることに。
 どこかの木の下でも、ということで
 死んだらそれきりだし、そうでなければ
 知らん顔で帰えればよしと考えたのである。
 臨月になり、準備を調え
 いよいよとなり、夜明け前に、東山へと。
 川原で夜明け。粟田山方面に山深く入っていった。
 北山科の辺りで、損壊しかけた家を見つけ、
 ここぞ、と落ち着くと、主人の老婆が出て来た。
 産穢も気にしないと好意的。
 これそ、仏のお救けと感じ入る。
 7日逗留して帰ればよいということで
 色々と、面倒も見てくれ、無事出産。
 棄てる筈だったが、
 可愛い子供だったので乳をのませたり。
 女房が昼寝をしていると、
 その老女が
 「なんと、美味そう。只、一口。」と言うのをうっすらと耳にした。
 これは鬼であり、ココに入れば喰われてしまうと思い、
 必死に、来た道を走って逃げた。
 川原の小家で着替えて、巣変えている家に戻ったのである。
 その後、子供を養子にだしたと言う。
 そんなことがあったとことを、
 この女房は、高齢になってから初めて話したそうだ。


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