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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.13] ■■■
[197] 呆気者と虚気者
尾張の大うつけとは織田信長。髷は結わず、湯帷子を着て、帯でなく瓢箪と草鞋をぶる下げていたと伝わる。

その"うつけ"の漢字表記は色々あるようだ。

辞書を読むと、動詞"うつける"の連用形の"うつけ"とされており、その"うつける"の語義は、中実が無く空になっているという意味であるとされる。
用例としては、
  譬如鹿角。以無實(うつけき國也。 [「日本書紀」卷第九 氣長足姫尊/神功皇后]
見かけによらず空っぽで中身が無いということで、"空ける"呼んだようだ。
従って、"うつけ"の漢字は""ということになろう。
そこから、見かけは魂がありそうに見えるが、実は抜けてしまっているという意味が生まれたのだろう。
この場合は"虚ける"と表記した方がよさそうだ。この場合の"うつけ"の漢字は"虚気"がピイタリ。

本来的には、馬鹿げていることを意味する"をこ/嗚呼/烏滸/尾籠"とは違うが[→嗚呼絵師]、愚鈍と言うことは、"虚気"と同じようなものとされたのだろう。
概念形成をできる限り曖昧にしたがる文化風土のなせる技と言えよう。

そんなことがわかる2譚があるので眺めてみたい。

先ずは、"虚気"になってしまう例。

緊張感不足だと、わかっていても、"迂闊"にも常識外れのことをしてしまう。気もそぞろで、うっかり失敗すると、慌ててしまい、それが連鎖反応を起こす。
決して珍しいことではない。ただ、それがどのような場で発生するかで、周囲の反応が異なるに過ぎない。

  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#34]筑前守藤原章家侍錯語
 筑前前国司 藤原章家の父 定任が筑前守の時。
 若かった章家は四郎君と呼ばれる御曹司。
 任官されてず部屋住みと言う事。
 見目堂々として、髭は々と、雰囲気十分な頼方と言う侍が仕えていた。
 章家の部屋で、沢山侍達が居合わせ、談笑していた。
 その後で、食事ということに。
 章家は既に食べ終わってしまい、
 その食べ残しを下げ渡した。
 家来の上席から順番に器が回っていった。
 章家にも、隣の席から、差し出され
 残りものも少ないし、
 当然、自分の器に取り分け食べると見られていた。
 ところが頼方の器を受け取ると、
 残り物をそのまま口に入れてしまった。
 そのため
 「彼は、なんと御器からそのまま食べてしまったぞ。」
 との声があがる。
 頼方は、言われてから作法を思い出し、
 間違ってしまった気付き
 臆病者なので
 口の中に含んでいた飯を、御器に吐き入れてしまった。
 御器から直接食べてさえ、主人も侍達も穢と見られるのに、
 更に唾まで加った飯まで御器に吐き入れたしまった上に、
 長い髭に付いたので巾で拭きもつれたりして、
 醜悪な姿をさらしてしまった。
 これを見た侍達は、立ち上がり外に出て、笑うだけ。

ちょっと忘れてしまったに過ぎないが、この結果、賢き兵と見なされていたのに、兵としては劣るということで、"嗚呼"との名を付けられることに。
そんなものである。

ご教訓は、"人、何事也とも、急と思ひ廻して為べき也"だが、要するに、社会生活で気を抜くとエライことになるかも知れんゾということ。
習い性になっていた、自分で気が付いてはいないが、社会慣習に100%従う習慣が身についていないと、いつ何時、"嗚呼"とされるかわかったものではないということ。
逆に言えば、だからこそ社会慣習が成り立つのである。

次ぎは、これとは違い、正真正銘の"呆気者"。
こちらは、"虚気"ではなく、本気。
  [巻二十八#41]近衛御門倒人蝦蟆語
 近衛の御門内に大きな「人倒す蝦蟆」が一匹棲んでいた。
 夕暮に成ると出て来て、真平なるの様に見えるので、
 その門から内へ参内する上下の人々は、踏んでしまうことになり、
 そうなると、倒れずにはいられない。
 人が倒れると、すぐに、這って隠れてしまい見失う。
 そんなことがあったので、人に知られるようになったのだが、
 どうした訳か、同じ人が繰り返したりするのである。
 そうこうするうち、
 悪口好きである嗚呼者の、大学の衆の一人が、それを嘲笑。
 ある時、門の内に居る馴染みの女房と物語でもと
 暗くなったので、大学から、近衛の御門を入ると、
 平になっている蝦蟆がいた。「出てきましたな。
  その様にして人を騙そうとしても
  我には通用しないゾ。」
 と言い、蝦蟆を踊越したののである。
 そのため、押入ただけの冠が落ちてしまったが、気付かず。
 ところが、その冠が沓に当ってしまったのである。「こ奴め。
  人を倒すのは、こいつか。
  こ奴め。」
 と言いながら、踏みつけたのである。
 冠の巾子は頑強にできており、
 「蟾蜍の盗人の奴は、ずいぶんと強いものだ。」
 と言い、無き力を籠めて、無茶苦茶に踏みつけた。
 丁度その時内より、火を燃して上達部が出て来られたので、
 大学の衆は橋のたもとに突っ伏した。
 先払い兵が共、火を打ち振って見ると、
 そこには、髻がほどけたザンバラ男が居る。
 「こ奴は何だ。何だ。」
 と騒ぐと、
 大学の衆は声を挙げ、
 「おのずから音にも聞こえる、紀伝の学生、藤原と申す者。
  兼ねては、
  近衛の御門の人倒す蝦蟆の、追捕使なり。」
 と名乗るに。
 「何を言っているのだ。」
 と笑い、大騒ぎに。
 「あ奴を引き出して、見てやろうではないか。」
 と言う事になり、雑色達が寄り集まって引く出したのである。
 そのため衣の表も引き破れてボロボロに。
 大学の衆は、たまらぬと、頭をかいて捜ると、冠も無くなっている。
 この雑色連中が取ったとみて、
 「冠をどうして取るのだ。返せ。返せ。」
 と言い、走って追いかけた。
 そして、近衛の大路でうつぶせに倒れ、
 その時、顔を突いてしまったので、出血。
 仕方なく、袖を被せて行くうちに、道に迷ってしまった。
 何処かわからず行くうち、ようやく灯火を見つけ、
 人の家に立寄り、叩いたものの、開けてくれる訳もない。
 夜は更けていき、思ひは巡り、溝で伏しているしかなかった。
 やがて、夜が明け、家々の人々が起きてきて、
 髻がバラバラで表がボロボロの衣を着た男が、
 顔から血を出して、大路の溝に臥しているのを見て、
 「これは何だ。」
 と大騒ぎ。
 そうなってから、大学の衆は起きて、
 道を尋ね尋ねして、返ったのである。


こういった目に合う馬鹿者は何時の世にもいるもの。学生に多そうな感じがする。
学生の場合、馬鹿をすることが勲章だったりしかねない訳で。この話も、学生が引き継いで伝わったとのこと。

「今昔物語集」編纂者は、"賢く文を読習けるは、極く怪き事也かし。"とするが、当たっているだろう。学ぶためではなく、処世で大学に居るだけなのだから。にもかかわらず、エリート意識だけは強かったりする。
僧の嗚呼譚も、同じことで、中華帝国では徴用と兵役を逃れる最良な手だった訳だし、本朝では家の都合で出家させられた者も少なくないから、同じことがいえよう。意味なき仕事をするだけのドラ息子の殿上人も同類だが、こちらはもともとの生活がその類で埋まっているから収載する意味など無かろう。

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