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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.19] ■■■
[203] 下毛野朝臣
下毛野朝臣は公家の武官家。

摂関家上皇の随身の地位を築いて、摂関家散所雑色を支配するように。
摂政随身役拝命と馬芸熟達は一体のようで、競馬が特に重要だったようだ。権力者にとっては、お抱え身辺警護官は華やかで技量が跳びぬけていないと話にならぬ、といったところか。
  《下毛野朝臣系譜》
○敦実@右京

○敦行

○重行
├┬┐
○公忠
│○公助…1008年右近将曹
○公友/公奉

○公時[1000-1017年]…"金太郎"
○公武

○敦季
│     【職位】将監-将曹-府生-番長-案主-府掌-舎人衆


すでに取り上げてはいるが、この譚だけは外しているので見ておこう。[→近衞官舎人]

同僚と伏見稲荷参詣に出かけたのは将監の公助
  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#_1]近衛舎人共稲荷詣重方値女語

さらに、有名な逸話らしいが、80才を過ぎて敦行は、騎射に失敗した公助を鞭打ったというのである。"止事無き年老たる官人"とされ、身分は違うが実質的に摂政側近扱いだったと思われる。
  【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#26]下野公助為父敦行被打不逃語

租税を払わせようと近衛府武人が大勢で押しかけ、狸親爺に一杯喰わされた話でも、敦行が登場してくる。
  [巻二十八#_5]越前守為盛付六衛府官人語

これらは、どれも、良くも悪くも武人的な話であるが、そこから一歩抜け出した、随身繁栄の基礎を築いた敦行賞賛話がある。
 右近将監 下毛野敦行は若い時より止事無き官人。
 近衛府出仕だが、朱雀天皇代[在位 930-946年]から。
 村上天皇代[在位 949-967年]は最盛期の舎人。
 晩年は出家し、西京に住んだ。
話の内容はなんということもない。隣家死者の車を、自邸の垣を壊して出させた"大英断"。これで、世間の賞賛を浴びたというに過ぎない。
長寿であり、90才ほどで死去。
  【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報)
  [巻二十#44]下毛野敦行従我門出死人語

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