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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.25] ■■■
[209] 飼鷹
鷲鷹の話の特徴的なものについては触れたが[→子攫い鷲]、この領域は、単純な話とは限らないので注意した方がよい。

ここでは、飼鷹マニアの話を取り上げておきたい。
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#34]民部卿忠文鷹知本主語
 宇治民部卿中納言 藤原忠文[873-947年]は、
  
(征東大将軍・征西大将軍にも任命されている。
   宇治川沿いの末多武利神社は藤原忠文を祀るが、
   それは、藤原実頼[900-970年]によって恩賞の対象から外され
   祟っているということでの鎮魂祠。)

 宇治
(西岸の知足院/富家殿)に居しており
 鷹飼育にのめり込んでいた。
 同じく、鷹を好む、式部卿 重明親王
[906-954年]
 鷹を数多く飼っていると聞いて来訪。
 突然のことで驚くが、一羽所望と。
 最優秀の飼鷹でなく、次の優秀な鷹を献上。
 親王は帰路狩りを試すが
 獲物を捉える能力も意欲も見せず。
 そこで戻って、さらに優秀な鷹を所望。
 そこで、最優秀鷹を譲ることに。
 帰路、犬を使い雉狩りをするものの
 鷹は捕獲どころか、雲の中に消えていった。
 親王は、しかたなく、京へ戻った。


実は、なかなかに読むのが難しい。

「酉陽雑俎」は飼鷹の薀蓄のレベルがただならないのだが、これを読むには、かなりの"専門的"註記が必要なことがわかったからである。
実は、「今昔物語集」も同じことが言えるのであって、最後のご教訓はここに書いておかなかったが、それは多分自明だからだ。
ところが、ココがかなり曲者。
本気か、いい加減に当て嵌めた解説か、どちらの可能性もありそうな書きっぷりだからだ。

ポイントは突然の来訪という点にある。

その一番の原因は、おそらく、小さいころから好奇心旺盛な重明親王の性情にあろう。矢も楯もたまらず鷹が欲しくなったと考えるのが自然である。
従って、突然の来訪になった訳だが、鷹を貰い受けたいならその準備が両者ともに必要な筈で書面でのやり取りはほぼ不可欠。対象はモノではなく、動物なのだから。ところが、親王の場合、そのような常識を欠いている。
このことは、鷹そのものを愛している訳ではなく、飼鷹と鷹狩の外面的風体を楽しみたいだけと見てよかろう。

そんなことに気付かされるのは、帰途になにげなく鷹狩をするという姿勢。
「酉陽雑俎」で学ぶとわかるが、鷹には換羽の時期があり、その時期は養生して過ごさせるのが愛好者の基本的態度。それを無視したか、全く無知ということに他ならない。

年齢も年齢の宇治民部卿と、それから見れば知識だけ頭に詰め込んだ若造の親王の間には、相当な開きがあるというお話でもある。

この辺り、実は、「酉陽雑俎」と似たところがある。
唐における飼鷹は、貴族層・宦官・高級官僚間の"お付き合い"として極めて重要だったから。
それを通じて、各人がどのような性情なのか、推し量ることができるからだし、様々な噂の類いもこのルートで流れて来るからだ。「酉陽雑俎」の著者は、飼鷹第一人者であり、おまけに筆頭グルメ家でもあるから、様々な生の情報を入手するとともに、仏教サロンでの談義を通じて判断能力を高めることができたのである。

要するに、鷹に対する態度一つを見るだけで、親王の人となりが透けて見えてしまうのである。

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