→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.8] ■■■ [223] 源信物語 [3:母からの手紙] 清水谷公勝,他:「恵心僧都絵巻」1401年 [画像→(C)NDL] そのハイライトは母からの手紙。 【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚) ●[巻十五#39]源信僧都母尼往生語 ○948年 7才 父逝去 遺言が出家 ○950年 9才 旅の僧が賢い子と評価 出家請われる。 源信は幼くして比叡山に登った。 ○956年 15才 天皇に「称讃浄土経」講義 【"母に手紙と下賜褒美"⇒"母からの返信と返品"】 学問に励み、御八講に起用された。 そして、初めて頂戴した布施の品々を郷里の母に送った。 母は、我が子の成長した様子を喜んだものの、 仏道に対する姿勢を諭す手紙を届けた。 名刹の名僧を目指すな。 多武峰の聖人を見習い、 真の求道者となるように。 後の世を 渡す橋とぞ 思ひしに 世渡る僧と なるぞ悲しき 多武峰の聖人とは、もちろん、隠遁者的な増賀聖人のことである。[→多武峰] そこで、源信は山籠もりを誓い 母の許諾なしには下山せず、と返信。 母からは励ましの手紙が来た。 そして、7年が過ぎ、 寂しいだろうから会いに行こうと 気遣いの手紙を送ると、 恋しいものの、会ったから善行になる訳でもなく 仏道に専心するよう励まされたのである。 さらに2年経ち、 虫の知らせで下山し、母の元へと直行。 途中で、母からの手紙を持つ使者に出逢い 馬を飛ばし 臨終目前の母に会うことができた。 ○42才 【母への臨終説法】 お蔭で、母は大往生。 比叡山の僧達はこの話に感激する訳だが、それはひとえに母を往生させたことにある。仏道における結縁が、母子の紐帯と重なっており、その縁の強さに心を打たれたということ。 源信は、良源にならい、和讃にも力を入れた筈だから、手紙のやり取りで和歌を詠み交わしてもよさそうにも思うが、絵巻物とは違ってそのような展開にはなっていない。 和歌で心象風景が深まるとは思っていなかったということか。 残っている和歌が少なく残念である。・・・ 恵心僧都は、和歌は狂言綺語なりとて読み給はざりけるを、 恵心院にて曙に水うみを眺望し給ふに、 沖より舟の行くを見て、 ある人の、 「こぎゆく舟のあとの白浪」 云ふ歌を詠じけるを聞きて、 めで給ひて、 和歌は観念の助縁と成りぬべかりけりとて、 それより読み給ふと・・・ [藤原清輔:「袋草紙」上巻一雑談@1156〜1159年] 僧都源信 [「新古今和歌集」巻二十釈教#1925] 我だにも まづ極楽に 生まれなば 知るも知らぬも 皆迎へてむ [「続古今集」巻八釈教#754] よもすがら 仏の道を求むれば 我が心にぞ たずね入りぬる (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |