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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.14] ■■■
[229] 法華堂執金剛神
執金剛神像とは金剛杵を執って仏法を守護する夜叉神。

東大寺法華堂/三月堂北側厨子に安置される執金剛神立像(塑造173.9cm)は、半裸の力士ではなく、鎧で武装した神将姿。"目を瞋(いか)らせ、口をかっと開いて、いまにも怒号とともに金剛杵を振り下ろそうとする一瞬の姿が見事にとらえられている"ということで超有名。
   [Photo→(C)奈良国立博物館@尼崎市]

東大寺によれば、"東大寺の前身寺院である金鍾寺時代の良弁によって発願されたとすることはまちがいないとされる。"そうだ。

そうなると、すでに、鷲に攫われた良弁の話を取り上げたが[→子攫い鷲]、ほぼ実話ということだろうか。
   [東大寺執金剛神縁起 上巻・下巻 Photo→(C)奈良教育大学附属図書館

執金剛神の話も取り上げておかねばなるまい。
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)
  [巻十七#49]金鷲優婆塞修行執金剛神語

  聖武天皇代、
  東大寺造営以前のこと。
  平城京東山の市になる山寺に
  寺を造営した優婆塞 金就が住していた。
  そこには、仏道の行のため、
  執金剛神𡓳像が安置されていた。
  金就行者は、この神像の𨄔に縄を付て引き、
  昼夜、休息もとらず修行を続けていた。
  すると、その𨄔から光が放たれ、
  天皇の宮に届いたのである。
  この光を御覧になった天皇は、驚き怪しんで
  何処から来たのか知りたいと仰せになり、
  勅使を光を放った山寺に派遣したので
  仏道修行中の金就行者が礼拝する像からと判明。
  早速、金就行者をお召しになり、
  「汝、何事を求め願って
   そのように修行いたしておるのか?」と。
  金就行者の返答は、
  「我が願っておりますのは、
   "出家し、仏道修行すること"でございます。」
  そこで、出家許諾の度牒を与えた。
  この光を放った像とは
  東大寺羂索堂の北の戸に安置されている
  執金剛神𡓳像のこと。
  羂索堂は、金就行者が住していた昔の山寺。

尚、ここでは優婆塞の名前は、金就となっているが、譚題では金鷲である。
この山寺の名前は金鍾寺とされているが、金鷲寺の方がおさまりがよかろう。さらに、聖武天皇は、その名前を金光明寺とした訳である。総国分寺として位置づけたのである。
そして、盧舎那仏造像が始まり大仏殿が造営されることになる。

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