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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.20] ■■■
[235] 八幡宮放生会
放生会については、その開催利権を巡っての、石清水八幡宮の僧・神人らが山科藤尾寺に乱入した事件の背景が描かれた譚をすでに取り上げている。大々的に行われる人気のお祭りでもあったようだ。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#_1]東山科藤尾寺尼奉遷八幡新宮語 [→逢坂山越の寺]

当然ながら、放生会そのものの始まりは別途記載されている。
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#10]於石清水行放生会語
 八幡大菩薩の前生はこの国の帝王。(誉田別命/応神天皇)

称号は神聖不可侵な国王イメージを与える帝王。合議制と馴染む神格としての天皇とは違うし、天帝から独裁者として指名された皇帝でもない。

 大軍勢で夷と戦い、大殺生。
 大隅、宇佐、石清水の順に鎮座された。

大隅正八幡宮とは、鹿児島神宮@霧島隼人。伝創建708年。但し、御祭神は彦火火出見尊/山幸彦・豊玉姫尊である。殺戮された熊襲の霊を祀る隼人塚(石塔+四天王石像)は正宮戒壇所(伝正国寺)として離れた場所にある。神宮には、最勝寺と呼ばれる社家があり、宇佐同様に国家鎮護の法会が行われていたのであろう。・・・「今昔物語集」が聖徳太子以前の皇室の歴史を取り上げていない訳ではないことがわかる。

 そして、僧俗の神人に生類を購入させ、放ったのである。
 この誓願を支えるべく、諸国に放生を分担させた。
 そして、毎年8月15日に、大菩薩にその結果を申し上げ
 「金光明最勝王経」講の大法会を行う。
 前世釈尊の流水長者が魚を救った功徳が説かれているからだ。
 これが「放生会」という名称の由来である。
 この日は 大菩薩が1日だけ天下りなさるので、御行が行われる。
 上卿・宰相・弁・史・外記が随伴。
 兵杖を帯びた六衛府武官が警護しており、行幸と同じ体制。
 もちろん、僧も同様に対応、唐・高麗の楽奏も。
 法会の後は相撲となる。
 この日御誓願に合わせて放生を行えば、大菩薩は大喜びされる。
 それに、大菩薩の守護で、日本国が保たれているのだから
 この参詣には格別の意義がある。
 大菩薩が宇佐宮に鎮座されていた時、
 大安寺僧 行教が御宮に参拝した。
 
(山城守紀魚弼の子で石清水八幡宮別当安宗の叔父。
  空海の弟 真雅の推挙により、
  藤原良房の外孫惟仁親王の即位祈祷で宇佐に派遣された。
  祈祷するまでもなく清和天皇として即位したので護持祈祷。
  その際ご神託を受け、翌、860年、山城男山の護国寺に石清水八幡宮創建。)

 
(聖徳太子建立の熊凝精舎が官寺となり、
  平城京遷都で左京六条四坊に移転し大安寺に。
  大安寺での行教の師は唐僧の道ということになる。
  829年別当になった空海・最澄・行教は入唐組だろう。)

 大菩薩のお告げがあった。
 「王城の守護のために、汝と共に行こう。」と。
 拝礼の上、お受けすると、
 行教も金色の衣となられ、三尊姿で 出現された。
 大安寺の僧房にお連れし安置し奉ったのである。
 そして、供養の上、石清水宮にお移り頂いたのである。
 降雨で宝殿の場所を御託宣になられたという。
 その後、行教は常に参詣し、お告げを承わる役を続けた。
 大菩薩が変じた行教の衣は大安寺に残されており、
 南塔院僧房に御出でになったので、宝殿にお祀りしている。
 こちらでも放生会が行われる。
 もちろん、同じ日に、宇佐宮でも。
 造りお祭り奉った。そこでも、放生会を行っている。
 さらに、大菩薩を勧請された国々でも。


放生は広く行われたようである。
  [巻十二#17]尼所被盗持仏自然奉値語
 河内若江 遊宜の沙弥の尼は仏道を深く尊び修行一途。
 平群の山寺に住み、信者の寄進を得て、仏画を描いていた。
 六道図を描き、供養の上で安置し礼拝を欠かさなかった。
 ところが、所用で出かけていて、絵を盗まれてしまった。
 悲しみ嘆いていたものの、捜し歩くことにした。
 しかし、見つけることは出来なかった。
 そのうち、
 寄進を集め、放生のために、摂津難波の浜に行くことに。
 川の辺りを往来して行き来していたのだが、
 市帰りの人が多いところで、
 樹上に背負い箱が置かれていることに気付いた。
 すると、そこから様々な生き物の声が流れて来たのである。
 畜生類を入れているようだから、
 これを買って放生することに決め、
 持ち主が来るのを待つことに。
 しばらくすると持ち主が返って来たので
 早速、箱の中にいる生き物を買いたいと言うと
 生き物は入っていないと言われてしまうが
 放生なので執拗に頼むが、その男も頑固。
 そのうち、市の人々が周りに。
 それなら開ければよいと言い出すと
 男は箱を置いて離れてしまい
 どうも逃げたようだということになり
 箱を開けたのである。
 すると、そこには盗まれた絵。
 尼は涙を流し喜び、感激して語る。
 「失った仏画を日夜捜しておりました。
  思いがけずも、遭遇できまして、
  嬉しいこと限りなしでございます。」
 そして、心をこめて放生に精をだし、返って行ったのである。


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