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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.21] ■■■
[296] 天竺の道教的仙果譚
📖「酉陽雑俎」卷十八 廣動植之三 木篇に収載されている【異果】と同じ話が書かれているので見ておこう。
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#31]天竺牧牛人入穴不出成石語
同じようなセンスで《仙薬服用牛(羊)飼》譚を選択したくなったのではなかろうか。「酉陽雑俎」ではこんな風に取り上げた。
  [→「酉陽雑俎」の面白さ"道教的ナンダカ話樹木篇"@2017.8.25]
  贍披國有人牧羊千百余頭,
  有一羊離群,忽失所在。
  至暮方歸,形色鳴吼異常,群羊異。之。
  明日,遂獨行,主因隨之,入一穴。
  行五六裏,豁然明朗,花木皆非人間所有。
  羊於一處食草,草不可識。
  有果作黄金色,牧羊人切一將還,為鬼所奪。
  又一日,復往取此果,至穴,鬼復欲奪,
  其人急之,
  身遂暴長,頭才出,身塞於穴,數日化為石也。

(上記は羊だが、テキストによっては牛である。)

贍披國は「大唐西域記」卷十に登場する印度の恒河下流南岸の瞻披/Champāではなかろうか。
人々はもともとは地の穴に住んでいたとの伝説がある地だし。穴から入ると別世界があり、そこの見知らぬ草を羊が食べると違った雰囲気になるとの話はそんなところから来ているのかも。
ただ、それは鬼(零界)が棲む世界だから、そこの果実も鬼(亡者の靈)用であり、現生のヒトが食せば石になってしまるという感覚なのだと思われる。
尚、Champāは前6世紀にはインド16大国に入っていたという。釈尊生存の頃の大都会だった訳であるが、「大唐西域記」の時代になると、伽藍はあるとはいえ、寺院は崩壊しつつあったのである。
この地名は、靈木の一種と思われる"銀厚朴/Campakaから来ている。

ストーリーはなんたるモノでもない。
天竺の牧牛人が岩穴に入って、果実を1つ取って出ようとしたら、鬼に襲われ、その果実を飲み込んだだけのこと。たちまち身体が肥ってしまい穴から出られなくなり化石化。
ただ、その地は、桃源郷を思わせるような風景という点が肝。
ともあれ、この話は、仏が出現される前のことである。
 牛飼人が面倒を見ている数百頭を林に連れて行くと、
 うち1頭だけが、集団から離れ、何時もどこかに消え失せる。
 放牧後、日が暮れたので返ろうとすると、
 その牛の姿だけ、殊に美麗。
 しかも、何時もと違って、鳴き、吠える。
 他の牛達は、この牛を恐れて、近付かないのである。
 この様な状態なので畏怖感を覚えていたが、
 理由も定かでないので、この牛の行先を調べることに。
 そいうことで、様子を窺がっていると、
 この牛は、山の片隅にある石の穴に入っていった。
 そこで、牛の尻を追って入ってみた。
 4〜5里入ると、そこは明るい野原。
 そこは天竺とも思えない風景。
 目出たくも花盛りだし、果実も豊富に実っている。
 牛は、一ヶ所に留まり、草を食んでいる。
 牛飼人が果樹を見るに、赤黄色で、まるで金でできているかの如し。
 1つ果実を取って、愛ずるものの、恐ろしいので口にはしなかった。
 そうこうするうち、牛が出て行ったので
 牛に続いて返ることに。
 ところが、石の穴の所に着いて、外に出ようとすると
 悪鬼が出現し、持っていた果実を奪おうとする。
 そこで、牛飼人、果実を口につっこんだのである。
 鬼は喉を捜るので、飲み込んでしまった。
 果実が腹に入ると、その実はすぐに大きく膨らみ
 穴から出ようとしても、頭は既に出ているのに
 身体の方が穴を満たしているので、出られない。
 通行人に智慧を求めても誰も助けることができない。
 家人は、これを聞き、行って見ると身体が変形して恐ろし気。
 穴のなかでの話を聞いたりし、
 諸々の人を集めて、引出そうとこころみたが、動く気配さえ無い。
 国王の耳にも入り、人を派遣し掘削させたが、動かない。
 そうこうして、時が経ち、牛飼人は死んでしまった。
 さらに年月が経ち、遺体は人形の石となった。
 その後、国王は、
 「これは仙薬を服用したから。」と知り、
 大臣に命令。
 「彼は、薬により身体を変形させた。
  石になったとは言えども、既に神霊である。
  人を派遣し、少しばかり削って取って参れ。」と。
 大臣は、王の仰せに従い、石工を連れその場所に行き、
 力を尽し削ろうと一旬も続けたが、一片も削れなかった。


天竺⇒震旦の一方通行ではなく、震旦⇒天竺の流れもありそうな、天竺の伝承譚ということ。

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