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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.28] ■■■
[303] 捨髮供養
女性が家族のために美しい髪を売るという悲話は西洋小説としてよく知られている。
  ルイザ・メイ・オルコット:「若草物語」@1858年
    …マーチ家四姉妹の次女ジョーは美しく豊かな髪が特徴。
     前線で罹病した父看護に行く母の旅費のために髪の毛を売る。

  オー・ヘンリー:「賢者の贈り物」@1905年
    …貧乏夫婦のクリスマスプレゼント交換。
     髪の毛を売って買った時計用プラチナの鎖と懐中時計を売って買った鼈甲の櫛。


日本版では、芭蕉の、月さびよ 明智が妻の 咄しせむ か。
現代ではとうに忘れ去られている話かも。

ちなみに、現代インドでは、髪の奉納巡礼先として有名な寺院は10程度あり、慣習として定着していると見てよいだろう。地域的には南方。例えば、Venkateswara Temple@Tirumalaは昼夜日々数万人の巡礼が訪れ、祭礼時はは50万人に達するとも言われている。(Venkateswaraはヴィシュヌのアバター)供養("Mokku")は、もともとは貧者のお布施だったが、現代では欧米へのヘアウィッグ供給元(1t/day/temple)なので金銭的価値は高く、極めて盛んだ。

そんな髪を売る話が「今昔物語集」に収録されている。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#40]天竺貧女書写法花経語
《十方諸仏+法華経》
 貧女が仏神に子供ができるように祈請すると
 たちまち懐妊して、女の子が産まれた。
 比類なきほど端正美麗。
 やがて10才を越し、母は娘を限り無く愛おしんだ。
 傍の人々も誉めない者はいないほどだったが、
 家が貧しいので、夫を添わせることはできなかった。
 そんな時、母は決心。
 「人生の半ばを過ぎてしまった。
  残りはほとんど無いようなもの。
  後世の貯えを考えて、
  法華経書写で供養しよう。」と。
 しかし、貧しいので写経費用の都合がつかなかった。
 そこで、歎いていると、娘が言う。
 「財産は無いですが、
  もともと、生き続け、死なずにいることはできません。
  死ねば土になるだけ。
  持っているものは、この髪だけ。
  ですから、これを売って、法華経書写供養の費用にあてましょう。」と。
 美しい姿を壊してしまうので、母が泣いて惜しんだものの、
 娘は髪を売りに出て行き、家々に立ち寄り、
 髪を買って下さいと頼む。
 しかし、比類なき容貌を見て褒めるだけで
 その髪を切らして買おうと言う者は居なかった。
 そこで、娘は考えた。
  "小家では、この髪を必要としないのだろう。
   国王の宮に入り売ることにしよう。"と。
 王宮に入ろうとすると、旃陀羅に出会った。
 その有様は、怖ろしくて人とは思えない。
 旃陀羅:「国王の宣旨で、探していたところだ。
    ついに汝を得た。
    すぐに、殺すとしよう。」
 娘:「なんの犯罪もしておりません。
    孝養のため、髪を売ろうとして、王宮に入りました。
    どういう理由で殺そうとするのですか?」
 旃陀羅:「太子は13才になったが、
    生まれてから、物を言ったことがない。
    医家の診断では
    "長髪美麗、比類なき女の肝を取って薬にするように。"
    国内では、汝に優る女はいまい。
    従って、汝の肝を取ることになる。」
 娘は涙を流し
 娘:「どうか助けて下さい。」
 旃陀羅:「汝を放免すれば、
    その代わりに、我が咎を蒙ることとなる。
    放免はできかねる。」
 刀を抜き、娘の胸にあてる。
 娘:「汝が助けられないと言うなら
    このことを国王に申し上げて下さい。」
 ということで、旃陀羅はそれに従い奏上。
 国王は女を召し、見ると、その端正さは比類ない。
 国王:「求めていた薬はコレだ。」
 娘:「我太子のために命を失うことを惜しんではおりません。
    家の貧母の、法華経書写の願いをかなえてあげたいのです。
    貧しく財がないので、髪を売るために家を出たのに、
    命を失った聞けば、母は歎き、堪えがたきものがあるでしょう。
    と言うことで、家に返って、母にこの状況を告げてから、
    戻って参上したいと思います。
    大王の命に背くことはございません。」
 国王:「申す事は道理である。
    しかしながら、我が太子をいち早く話せるようにし
    その声を聞きたいと考えており、
    汝を家に返し遣わすことはできぬ。」
 そこで、娘は心の中で祈願。
 「我、孝養のため家を出て、
  まさに、命を失おうとしています。
  十方の仏よ、私をお助け下さい。」
 その時、太子は簾の内に居り、娘を見て、
 極めて愛おしくお思いになり、初めて声を発し
 父の大王に申しあげた。
 太子:「大王、この女を殺さないで下さい。」
 大王・后・大臣・百官、皆、太子の声を聞いて、
 際限なく喜んだのである。
 国王:「我は愚かだった。
    孝子を殺そうと考えていた。
    願わくは十方の仏よ、この咎をどうか免じてくださるよう。」
 そして、
 国王:「太子が物を言ったのは、汝の徳に依る。」
 と言うことで、娘に無量の財を与え、家に返した。
 娘は母に一部始終を語り、共に歓喜。法の通りに法華経供養。


⇒寶唱[撰]:「經律異相」第四十五(女庶人部下)@516年
 長髮女人捨髮供養佛(一)
昔有一女。端正紺髮髮與身等。國王夫人請頭髮與千兩金而不肯與。見佛歡喜願設供養。請其父母乞為呼之。父母言。家貧無以飯之。女言。取髮直以用供養。父母白佛願佛明日暫顧微飯。女割髮與王夫人。夫人知其懸急但與五百兩金。女取金買食歡喜無量。悔昔慳貪今世貧窮。願令我後莫此苦。女見世尊。金光五色照其門内。頭面著地遶佛三匝。頭髮還復如故。佛言。此女上世貧無可施。常持頭面著地作禮。後八十一劫常生人中。此福已盡今生貧家。猶識功コ見我歡喜福祐無量。命終當生第二利天上。盡天。福壽當發菩薩道心。女父母兄弟莫不歡喜命盡生天(出十卷譬經第三卷)
…「經律異相」五十巻516年は、仏典の経と律にバラバラと存在している、様々な事項を分類し、それぞれの中身から一部を抜粋して記載した事典的な書籍。当然ながら収録されている仏教説話の数は膨大になる。


もう一譚。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#15]天竺舎衛国髪起長者語
 舎衛国の80才になる翁は大変に貧しく、妻と一緒に物乞い生活。
 妻の髪は長く、並ぶ者なしで、世間の人々は愛でていた。
 「その髪を、美女に付けたい。」と人々が言うため、
 「髪のために、何時も、恥ずかしい目に晒される。」
 と言っていたのである。そんな風にして長年暮してきたが、
 ある時、夫婦並んで横になって話していた。
 「前世にどのような悪業を行ったせいで、
  現生で貧しい身に生まれたのか考えると 
 前世で善業を積まなかった結果ということだろう。
  現世でも、再び、少しも善業も積まないとすれば、
  来世でも、又、今の通りになるに違いあるまい。
  少しであっても、善業を積まねばならないな。」
 しかし、塵ほどの貯えもないし、
 妥当と思える方法が何一つ思いつかない。
 すると、妻が言った。
 「我は髪が長いが、それが、何の役にも立っていない。
  それなら、この髪を切って売り、そのお金で少しでも善根を積み、
  来世のための貯えにすることに致しましょう。」と。
 夫は、
 「現生での財産は、その髪だけ。
  その髪が、身体を飾っているのだ。
  それを、どうして"切る"と言うのか。」と。
 妻は、
 「この身は無常。
  寿命が百でも、
  死んだ後、髪を持っていて何の役に立つと云うのですか。
  今生は、今のままで終わってしまうなら
  後生は怖ろしい限りでしょう。」
 と言って、髪を切ってしまったのである。
 米一斗で売れたので、すぐに飯を炊き、
 工夫を凝らしてお数2〜3種を添え、
 祇園精舎に持参し、長老比丘の僧房に行き申し上げた。
 「飯二斗を持って参りました。
  僧供として奉ります。」と。
 長老比丘は驚き怪しみ、
 「どのような飯か?」と訊ねるので
 「髪を切って売り、飯二斗とお数2〜3種にして、
  僧房の御弟子に供養し奉ります。」と答えたのである。
 長老は、
 「この寺では、そのような僧供を贈る際は、
  一房だけで行うことはない。
  鐘を撞き、衆僧の鉢を集め、一合ずつでも皆に振る舞うもの。
  拙僧が行う訳ではない。」と言い、
 鐘を撞いて、3000人の鉢を集めた。
 翁夫妻は大いに驚き、騒ぎ、
 「この供養で、大勢の僧に捕まってしまい、大混乱の態。
  どうしたことでしょう。」と言うと、
 長老は、「何も存じ上げぬこと。」と。
 そこで、翁は妻に、
 「一策。
  ただ一人の僧の鉢に、この飯をみな投げ入れ、逃げ出そう。」と言い、
 すぐに、一番近くの僧の鉢に飯をみな投げ入れてしまった。
 ところが、桶には飯が残っているし、
 鉢には飯が入ったので僧は去ってしまった。
 それが、ずっと続いて、集まった3000人を越える僧すべてに供養したのである。
 翁夫妻は不思議なことと思いながら、喜んで返ろうとすると
 暴風に吹き寄せられ上陸した他国商人が、祇園精舎の近くに来ており、
 食糧が無くなり飢えて疲労困憊疲だったので、やって来ていた。
 「祇園精舎で今日大僧供があると聞き、
  飢え疲れ、どうにもならないので来ました。
  どうか命をお助け下さい。」と飯を乞うたのである。
 飯はまだなお残っていたので与えることができた。
 商人たちは、飯を施され、食べ終わると、
 「この僧供を与えてくださった優婆塞は下賤の人らしいが
  我等は、この僧供を受けたお蔭で、命拾いできた。
  この御恩に報いなければ、大変罪深いことをしてしまう。」
 と言い、各人が持つお金を三分割し、
 その一つをこの翁に与えた。
 それぞれ、50両、100両、1000両、という具合。
 翁はお金を得て家に帰ったので、並ぶ者なき長者に。
 そこで、髪起長者と呼ばれるように、


すでに取り上げたが、十大弟子の一人、迦旃延による教化活動譚のなかにも、女人が捨髮供養する話が挿入されている。
  【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  [巻三#26]仏以迦旃延遣賓国語 [→迦旃延的衆生教化]
捨髮で、仏弟子を90日間供養して説法聴聞。その功徳で、女は身体から光を放つ美貌を得て、国王の后に。その后の勧めで、王も民も皆仏法帰依。

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