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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.13] ■■■
[318] 「法苑珠林」の扱い
「今昔物語集」天竺部の出典書としては、道世[撰]:「法苑珠林」668年が圧倒的に多いようだが、小生の関心は出典探索にはないので、この書は無視することにした。
その辺りについて触れておこうと思う。

道世の師は仏教史家として名高い道宣で、「法苑珠林」がまとめられた頃は西明寺@長安656年創建の上座の地位にあった。「法苑珠林」と一対とも言えそうな「続高僧伝」30巻10編340名をまとめている。(「高僧伝」の最古は散逸した宝唱[撰]版で、その後が519年の慧皎[撰]の梁版14巻でこちらは現存。本伝付257名、府見243名が収録されている。)いかにも列伝を必須構成とする史書の国らしき著作といえよう。

この寺は祇園精舎を模した中華帝国歴史上最大の伽藍構成だったと伝わり、義淨、玄奘、佛陀波利の翻訳作業場でもあった。(本朝からすれば、空海が住した寺として有名である。)

そのような環境下で、道世は、先ず、宝唱:「経律異相」をベースとして「諸経要集」659年をまとめている。従って、「法苑珠林」は、この拡大再撰版(全100篇668部)ということになろう。そのなかには遺失原著が数々含まれており、引用元の典籍は400種以上とか。(巻末に書目リスト)「大唐西域記」とか「西域誌」だけでなく、諸論にも手を伸ばしている上に、儒教、道教の諸経典や雑書まで含まれているようだ。
網羅的思想・儀礼ガイドを目指した書ということになろう。

「今昔物語集」編纂者も目を通しただろうし、目的に合いそうな話を探すには至極便利ではあるものの、好きになれぬ書だったのではなかろうか。
仏法の根幹である因縁についての釈尊説法を収集整理した「賢愚(因縁)經」[→]や「撰集百縁經」[→]から引用するのとは性格が違うからだ。

その辺りを感じ取るために、1譚を取り上げてみたい。
  【天竺部】巻二天竺(釈迦の説法)
  [巻二#34]畜生具百頭魚語

「今昔物語集」「賢愚経」「法苑珠林」の文がどうなっているのか眺めるには最適だからだ。
と言うのは、「法苑珠林」には、「賢愚経」から引用したと記載してあるから。つまり、どのように引用しているかを見れば、「法苑珠林」の意図するところが見えてくることになる。"引證"ということで書いていることでもわかるが、この書の主眼はあくまでも仏法を"分かり易く"解説すること。
一方、「今昔物語集」巻三では、釈尊の説法に焦点をあて、仏教団の広がりの"流れ"を描こうとの方針。どのような説法だったか示したいのであり、それを通して教団発展史を見せようということ。従って、「賢愚(因縁)経」のような、生の因縁説法譚の引用には積極的になるだろうが、「法苑珠林」から引用する気になるとは思えない。
そして、肝心なのは、「賢愚経」からの引用といっても、ママではなく、不要部分は削除している点。

 「賢愚経」巻十 迦毘梨百頭品(第四十四)
   「法苑珠林」巻七十六卷十惡篇[第八十四之四]惡口部第八引證部第二
   「今昔物語集」【天竺部】巻二[#34]畜生具百頭魚語
 如是我聞:
   賢愚經云。  ⇦
   今昔、
 一時佛在摩竭國竹園之中。爾時世尊與諸比丘,向毘舍離,到梨越河所。
   昔佛在世時。與諸比丘。向毘舍離。到梨越河。
   天竺に、仏、諸の比丘と共に、梨越河の側を行き給ふ。
 是時河邊,有五百牧牛人,五百捕魚人。
    其捕魚者,作三種網,大小不同,小者二百人挽,中者三百人挽,大者五百人挽。
    於時如來,去河不遠而坐止息,及諸比丘亦皆共坐。
    時捕魚人,網得一大魚,五百人挽,不能使出;
    復喚牧牛之衆,合有千人,并力挽出,得一大魚,
    身有百頭,若干種類,
驢馬駱駝、虎狼豬狗、猿猴狐狸,如斯之屬。
    衆人甚怪,競集看之。

   見人捕魚網得一魚。身有百頭。有五百人挽不出水。是時河邊有五百人。
    而共放牛。即借挽之。千人併力方得出水。見而怪之。衆人競看。

   其の河に人集て、魚を捕る。網に一魚を得たり。
    其の魚、
駝・驢・牛・馬・猪・羊・犬等の百畜生の頭を具せり。
    五百人をして引くに、其の魚、水を出ず。其の時に、河辺に五百人有て、牛を飼ふ。
    各牛を放て、寄て此を引く。然れば、千人力を合せて引くに、魚、水を出る事を得たり。

 是時世尊,告阿難曰:
    「彼有何事,大衆皆集?汝往試看。」
    阿難受教,即往看視。
    見一大魚,身有百頭,還白世尊,如所見事。
    世尊尋時,共諸比丘,往至魚所,
    而問魚言:「汝是迦毘梨不?」
    答言:「實是。」
    鄭重三問:「汝是迦毘梨不?」
    答言:「實是。」
    復問:「教匠汝者,今在何處?」
    答言:「墮阿鼻地獄中。」
    爾時阿難,及於大衆,不知其縁,
    白世尊曰:「今者何故,喚百頭魚,為迦毘梨?唯願垂愍愍!而見告示。」

   佛與比丘。往到魚所。
    而問魚言。汝是迦毘梨不。
    魚答言是。
    復問魚言。教匠汝者今在何處。
    魚答佛言。墮阿毘獄。
    阿難見已問其因縁。

   諸の人、此の事を怪むで、競むで見る。
    仏、比丘と共に、魚の所に行給て、
    魚に問て宣はく、「汝は、教へし母は何なる所にか有る」と。
    魚の云く、「無間地獄に堕せり」と。
    阿難、此を見て、其の因縁を仏に問奉る。

 佛告阿難:
    「諦聽諦聽!當為汝説!
    昔迦葉佛時,有婆羅門,生一男兒,字迦毘梨(晉言黄頭),聰明博達,
    於種類中,多聞第一,唯復不如諸沙門輩。
    其父臨終,慇懃約敕敕
    『汝當慎莫與迦葉佛沙門講論道理。所以者何?沙門智深,汝必不如。』
    父沒之後,其母問曰:『汝本高朗,今頗更有勝汝者不?』
    答言:『沙門殊勝於我。』
    母復問言:『云何為勝?』
    答言:『我有所疑,往問沙門,其所演説,令人開解。
        彼若問我,我不能答。以是之故,自知不如。』
    母復告言:『汝何以不往學習其法?』
    答言:『欲學其法當作沙門,我是白衣,何縁得學?』
    母復告曰:『偽作沙門,學習已達,還來在家。』
    奉其母教,而作沙門。

   佛告阿難。
    乃往過去迦葉佛時。有婆羅門生一男兒。字迦毘梨。聰明博達多聞第一。
    父死之後其母問兒。汝今高朗世間頗有更勝汝不。
    兒答母言。沙門殊勝。我有所疑往問沙門。無我解説令我開解。彼若問我。我不能答。
    母即語言。汝今何不學習其法。
    兒答母言。若欲習者當作沙門。我是白衣。何縁得學。
    母語兒言。汝今且可偽作沙門。學達還家。
    兒受母教即作比丘。經少時間學通三藏。還來歸家。

   仏、阿難に告て宣はく、
    「昔、迦葉仏の時に、婆羅門有りき。一の男を生ぜり。名をば迦利と云き。
    其の児、智恵明了にして、聡明第一也。
    其の父死て後、母、児に問て云く、
    『汝ぢ、智恵朗か也。世間に汝に勝たる者、有や否や』と。
    児、答て云く、『沙門は我に勝たり。我れ疑ふ事有らば、行て沙門に問むに、
     我が為に悦て悟らしめてむ。沙門、若し我れに問ふ事有らば、我れは答ふる事能はじ』と。
    母の云く、『汝ぢ、何ぞ其の法をば習はざるぞ』と。
    児の云く、『我れ、其の法を習はば、沙門と成るべし。
     我れは、此れ白衣也。白衣には教えざる也』と。
    母の云く、『汝ぢ、偽て沙門と成て、其の法を習ひ得て後に、家に返るべし』と。
    児、母の教へに随て、比丘と成て、沙門の許に行て、法を問ひ習て、悟り得て家に返ぬ。

 經少時間,讀誦三藏,綜練義理,
    母問之曰:『今得勝未?』
    答言:『學問中勝不如坐禪。
        何以知之?我問彼人,悉能分別;彼人問我,我不能知。
        因是事故,未與他等。』
    母復告曰:『自今已往,若共談論,儻不如時,便可罵辱。』
    迦毘梨言:『出家沙門,無復過罪。云何罵之?』
    答言:『但罵,卿當得勝。』
    時迦毘梨不忍違母,後日更論,理若短屈,
    即便罵言:『汝等愚!無所識別,劇於畜生,知曉何法?』
    諸百獸頭,皆用比之,如是數數,非一非二。
    縁是果報,今受魚身,而有百頭。」

   母復問兒。今得勝未。
    兒答母言。由未勝也。
    母語兒言。自今已往。若共談論。儻不如時。便可罵辱。汝當得勝。兒受母教。後論不如。
    便罵言。汝等沙門愚無識。頭如獸頭。百獸之頭無不比之。
    縁是罵故今受魚身。一身百頭。駝驢牛馬猪羊犬等。衆獸之頭無不備有。

   母、児に云く、『汝ぢ、法を習ひ得たりや否や』。
    児の云く、『未だ習ひ畢らず』と。
    母の云く、『汝ぢ、今より後、習ひ得ずば、師を罵辱しめば、勝るる事を得てむ』と。
    児、母の教に随て、師の許に行て、
    罵り辱めて云く、『汝ぢは沙門、愚にて識り無し。頭は獣の如し』と云て去にき。
    其の罪に依て、母は無間地獄に堕て、苦を受る事量無し。
    子は、今、魚の身を受て、百の畜生の頭を具せり」と。

 阿難問佛:「何時當得脱此魚身?」
    佛告阿難:「此賢劫中,千佛過去,猶故不脱。」
    爾時阿難,及於衆人,聞佛所説,悵然不樂,
    悲傷交懷,咸共同聲,
    而作是言:「身口意行,不可不慎。」
    時捕魚人及牧牛人,一時共合掌向佛,求索出家,淨修梵行。
    佛即言可。
    「善來比丘!」
    鬚髮自落,法衣在體,便成沙門。
    是時世尊!為説妙法,種種苦切,漏盡結解,成阿羅漢,
    復為衆會廣説諸法,分別四諦苦集滅道。
    有得初果乃至第四果,有發大道意者,其數甚多。

   阿難問佛。何時當得脱此魚身。
    佛告阿難。此賢劫中千佛過去。猶故不脱此魚身也。以是因縁。身口意業不可不慎。
    
又王玄策行傳云。
    佛在世時。游毘耶離城。觀一切衆生有苦惱者。
    即欲救。乃觀見此國。有二衆總五百人。於婆(去音)羅末底河。
    網得摩竭大魚。十有八首。三十六眼。其頭多獸(自外同前)
    佛為説法。魚聞法已便即命終。得生天上而為天子。却觀本身是大魚。

   阿難、重て仏に言さく、「此の魚の身を脱るべしや」と。
    仏の宣はく、「此の賢劫の千仏の世に、猶此の魚の身を脱れぬ。
    この故に、人、身・口・意を慎むべし。
    若し、人、悪口を以て罵詈せば、語に随て、其の報を受くべし」と説給けり

 爾時四衆聞佛所説,歡喜奉行。
   蒙佛説法遂得生天。乃持諸種香華瓔珞寶珠。從天而下至佛供養。
    于時二衆並發心悔過。即於末底河北一百餘歩燒焚魚網。銅瓶盛灰。
    埋之向説法處。於上起塔。尊像儼然。
    至今現在。雕飾如法。覩者生善。

   となむ、語り伝へたるとや。

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