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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.15] ■■■
[320] 前生因縁説教の緒
【天竺部】巻二 天竺(釈迦の説法)の冒頭はこうなっている。[→釈尊初期教説記]・・・
  -----《1-2 父母教化》-----
  [_1]仏御父浄飯王死給時語___《釈尊》教化《父 浄飯王》
  [_2]仏為摩耶夫人昇利天給語_⇒生母に説法 《釈尊》教化《母 摩耶夫人》
  -----《3-5 前生》-----本生譚
  [_3]仏報病比丘恩給語
  [_4]仏拝卒堵婆給語
  [_5]仏人家六日宿給語
  -----《6-7 弟子による教化》-----
  -----《8-20 出家者阿羅漢果》-----
  -----《21 在家得預流果》-----
  -----《22-25 在家者富貴果》-----
  -----《26 国土領地》-----
  -----《27 在家者身体好相出現》-----
  -----《28-32 殺傷報》-----
  -----《33-40 罵詈雑言報》-----
  -----《41 貪欲報》-----

仏教の根幹をなす因縁輪廻思想たる本生譚が収載されている。
何れも、かなり刺激的な例に映る。
天竺社会の実情からすれば、ほったらかしで糞尿まみれの重病人とか、眼を抉り脊髄を取り出された死体があったところで、誰も驚くこともない社会であることを示しているのが前2譚とも言えよう。
3譚目は極端な印象を与えるが、因果をなんとしても教えたい釈尊の姿が見えてくる。

  [巻二#_3]仏報病比丘恩給語
 膿血が流れ出る悪性瘡に罹り、
 大小便の汚れで悪臭を放っている比丘を
 釈尊が見舞い、手で撫ぜることで、治癒させる。
 そして、前生の因縁を語る。
  軽罪の官物盗人の財産を奪おうとの国王の悪略で
  優婆塞を捕縄した伍百と呼ばれる男は
  善行の人は罰せないと放免。
  現世の病人は伍百で、優婆塞が釈尊。
 「此の故に、我れ来て恩を報ずる也。」と。


  [巻二#_4]仏拝卒堵婆給語
 釈尊が、卒堵婆を拝礼した理由である前生の因縁を語る。
  国王が重病に。
  医師の見立てでは、
  瞋恚を起こしたことの無い人の眼と骨髄の薬で治癒する、と。
  太子は父王に捧げることに。
  治癒した父王はその行為を聞き哭き悲み、太子の卒堵婆を起塔。
  太子が現世の釈尊。
 「此の卒堵婆に依て、我れ正覚を成じて、
  一切の衆生を教化する也。」と。

場所は、伽頻国=迦羅衛城:釈尊故郷の喩山陀羅樹=経文書写用の貝多羅葉樹

  [巻二#_5]仏人家六日宿給語
 釈尊は、ある家で6日間宿泊し供養を受けた。
 7日目の朝、還ろうとした時、暴風雨で洪水発生。
 家の主人が「今日のところは、留まられたら。」と。
 舎利弗・目連・阿難・迦葉、等も同意見。
 ところが、釈尊はことわった。
 そして前生の因縁を主人に語る。

  一言の詞を交へ、一宿の契を成す事は、
  皆是れ前世の業因也。

  汝は捨てられ、寒さで死ぬところだったが、
  6日間汝を身で温め、命を助けた。
  しかし、7日目にたえられず死んだのである。
  そこで、6日間だけ汝から供養を受けた。
  これ以上留まる訳にはいかない。
 「一言一宿も、皆前世の契り也。」なのであると。


《父母教化》も見ておこう。
こちらでは、因縁が語られていない。説教により解脱への道筋をつけてはいるものの、どう見てもこの譚のテーマは亡父母への恩であり、ヒトは必ず死んでいくという観点での無常感である。

  [巻二#_1]仏御父浄飯王死給時語
 釈尊、
 父の浄飯王が臨終を前に息子に会いたいと思っていることを知り、
 難陀・阿難・羅羅等の弟子を引将て
 霊鷲山から王宮に行き
「本経」を説法。
 阿羅漢果を得たと。
 葬送となり、

  仏、末世の衆生の、
  父母の養育の恩を報いざらむ事を誡しめ給はむ。

 葬儀では香炉を持ちお棺の前に。
 墓所は霊鷲山の上。
 火葬では

  無常の文を説給て、
 舎利を拾って起塔後安置。
「本経」がどの経典を意味するのか判然としないが、因縁本生譚の根拠を記述している"毘輸安王子本生史經"を所収している、南傳「本生經(ジャータカ)」だろうか。
"無常の文"については一言も書かれていないが、【震旦部】巻六#5[→天竺伝来釈迦像]では、後生善所を願う法要で読誦される円仁[智より将来]:「法華懺法」の後唄が引用されている。・・・
  処世界如虚空 如蓮華不着水 心清浄超於彼 稽首礼无上尊
中華帝国では、大乗仏教は事実上消滅させられたから、この辺りがどうなっているか調べようがない。

  [巻二#_2]仏為摩耶夫人昇利天給語
 釈尊、
 誕生7日後に逝去した母 摩耶夫人が転生した利天にへ。
 文殊が使いとして伝える。
  「願くは、今我が所に来り給ひて、
   我を見、法を聞き、三宝を恭敬し給へ」と。
 そして、母に、「永く涅槃を修して、世間の楽苦を離れ給へ」と説法。
 摩耶夫人は預流果を得た。
 その場所は歓喜薗
=帝釈居城の北側庭園の波利質多羅樹=梯梧
 釈尊は3ヶ月滞在後、
 早々に涅槃に入ると伝え。
 閻浮提に下りた。

尚、利天から閻浮提へと下る道は、天帝釈が3つこしらえさせた。(中の道は閻浮檀金、左の道は瑠璃、右の道は馬瑙。)左右に随伴したのは、梵天・帝釈・四大天王と、一大儀式である。
閻浮提で迎えたのは、波斯匿王等。

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