→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.25] ■■■ [330] 「注好選」撰者 編者未詳:「注好選」は、"中国,天竺,そして動物にまつわる説話を集め,今昔物語集に大きな影響を与えた初等教育テキスト"とされている。 【参照】今野達[校注]:「(三宝絵)注好選」新日本古典文学大系31 岩波書店 1997年 今でこそ、なんとか一部の人に名前を知られるようになったが、初出論文が1953年であることでわかるように、長らくほとんど無名だった書。専門家でさえ書籍名をご存知ない程とか。 もともとは、一部しか揃っていなかった宮内庁書陵部本しかなかったが、不完全とはいえ、東寺で、形が整った写本が見つかり、さらに河内金剛寺でも発見と続いたお蔭で、全容が次第にわかって来たからである。もっとも、未だにかなりの数の佚譚があることもわかってしまったが、現時点では、完本は発見されていない。 写本年代が記載されていたこともあり、「今昔物語集」同様に成立時期は明らかではないものの、院政期に成立したと見てよさそう。 その構成だが、3巻本である。・・・ 上巻 "付_家"(俗/在家の意味であろう。)102譚…世俗部@震旦 中巻 "付法家明仏因位"_60譚…仏法部@天竺 下巻 "n.a."49+譚…禽獣部 上巻に序があり、童への啓蒙書として作られたと。 _惟末代学士未必習本文。因茲纔雖文書難識本義。譬如田夫作苗不作穂。 惟只竭力是有何益者粗注入譲小童云々。 マ、小生は、初等教育テキストとは思えないが。日本的話法がこの時代あったのかは定かではないが、学者が特に好む謙遜表現であろう。と言っても、まんざら、それだけでもなく、童に聞かせるための説教題材を集めたということだろう。 そのように解釈すれば、この著者は、様々な教説を検討しどのように教化すべきかを研鑽している学僧ということになろう。 さらに述べれば、この学僧の弟子、あるいは「注好選」作成への直接協力者に連なる人々のなかには、「今昔物語集」作成プロジェクト参画者がいた可能性もあろう。編纂者の"知"のレベルを尊崇し、そのサロンに加わって互いに学びながら談論を大いに楽しんでいた筈。 これは小生の勝手な見方だが、ともあれ、分析的には、「注好選」と「今昔物語集」にはただならぬ関係があると明確にされているようだ。概ね同文譚が10以上収録されており、同一らしきものなら20譚以上で、モチーフ類似で見れば40譚を大きく越えるからだ。しかも、両者のみに現れる類似譚もあるからだ。 だが、小生からすれば、両者の違いは小さいなものではない。この書は日本的漢文であり、短文もあったりということで。 そのため、いかにも僧の説教用アンチョコ臭さ芬々。安直な抜粋副読本的な雰囲気を醸し出している。 一方の、「今昔物語集」は漢語多用の訓読み的表現の、片仮名和文で、自分の頭で考えようとする本物の知識層を対象したかなり高度な書に映る。 主観的な評価ではあるが、この観点で考えれば、「今昔物語集」編纂者が「注好選」を元ネタにするとはとうてい思えない。共通の元ネタ、震旦撰の佚書、があったということだろう。 成書にする際、震旦文献から引用する際に、「注好選」関係者が翻訳を担当することになれば、そっくりそのママの文章が取り入れられて当然だろう。もちろん、編纂者もそれでヨシとなろう。 もちろん、そんな佚書が震旦にあったことを示唆する情報はなにもないが、それこそが震旦風土である。 「酉陽雑俎」の著者がいみじくも語っているように、公的なお墨付きなき書籍は、小説を除けば、洞穴に隠匿でもしない限り震旦には残らない、と言うか必ず抹消される。宗教としての儒教を根底に抱える社会では当たり前のこと。そのため、渡来先の本朝に消された筈の書籍が残っていたりして、その存在に気付かされたりする訳だ。 しかし、本朝でも残らない可能性もある。アンチョコ文書として秘匿されていたら、紛失してもおかしくないし、それに気付く人もいないだろう。(「注好選」写本の末尾には"可秘蔵ゞゞゞ 伝領大法師盛守"とある。) 遺されたのは、結局、高僧が便利なアンチョコとして使っていた抜粋版の「注好選」だけと見る。 それも、20世紀末になって、ようやくにして、寺院調査で2書発見なのだ。専門家さえも、初めてこの本の存在に気付かされたという事実を考えれば、そう解釈したくなるではないか。 それはともかく、重要なのは、「注好選」には驚くほど多くの出典未詳譚が収録されている点。 考証学者がいかに尽力して捜しても、全く類似無し譚とか、題材は同じでも帯に短し襷に流し的だったり、独自記載部分が存在したりと、結構ユニークさを誇るのである。 さらに、「今昔物語集」とは正反対で、元ネタを加工しようとの意欲がほとんど感じられないことも特筆モノ。 そう思えてくるのは、「今昔物語集」に収録されている「孝子伝」と重複しているからでもある。 尚、すでに巻九の出「孝子伝」譚は取り上げた。[→] 【震旦部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚) ●[巻九#_1]震旦郭巨孝老母得黄金釜語 ⇒「孝子伝」郭巨{5---生存中に扶養する} ⇒「注好選」上48郭巨掘地埋児 ●[巻九#_2]震旦孟宗孝老母得冬笋語 ⇒「孝子伝」孟仁/孟宗{26---生存中に扶養する} ⇒「注好選」上50孟宗泣竹 ●[巻九#_3]震旦丁蘭造木母致孝養語 ⇒「孝子伝」丁蘭{9---死後哀悼} ⇒「注好選」上55丁蘭木母 ●[巻九#_4]魯州人殺隣人不負過語 ⇒「孝子伝」魯義士{32---兄弟への悌} ⇒「注好選」上65義士遇赦 ●[巻九#_5]会稽州楊威入山遁虎難語 ⇒「孝子伝」楊威{16---生存中に扶養する} ⇒「注好選」上60楊威脱虎 ●[巻九#_6]震旦張敷見死母扇恋悲母語 ⇒「孝子伝」張敷{25---死後哀悼} ⇒「注好選」上63張敷泣扇 ●[巻九#_7]会稽州曹娥恋父入江死自亦身投江語 ⇒「孝子伝」曹娥{17---死後哀悼} ⇒「注好選」上61曹娥混衣 ●[巻九#_8]欧尚恋父死墓造菴居住語 ⇒「孝子伝」欧尚{19---死後哀悼} ⇒ ●[巻九#_9]震旦禽堅自夷域迎父孝養語 ⇒「孝子伝」禽堅{40---生存中に扶養する} ⇒ ●[巻九#10]震旦顔烏自築墓語 ⇒「孝子伝」顔烏{30---死後哀悼} ⇒ ●[巻九#11]震旦韓伯瑜負母杖泣悲語 ⇒「孝子伝」(韓)伯瑜{4---生存中に扶養する} ⇒「注好選」上56伯瑜泣杖 ●[巻九#12]朱百年為悲母脱寒夜衾語 ⇒「孝子伝」朱百年{23---生存中に扶養する} ⇒「注好選」上62白年返衾 ●[巻九#20]震旦周代臣伊尹子伯奇死成鳴報継母怨語 ⇒「孝子伝」伯奇{35---継子孝行譚} ⇒「注好選」上66佰奇払蜂 ●[巻九#43]晋献公王子申生依継母麗姫讒自死語 ⇒「孝子伝」申生{38---継子孝行譚} ⇒ ●[巻九#44]震旦莫耶造釼献王被殺子眉間尺語 ⇒「孝子伝」眉間尺{44---敵討} ⇒「注好選」上92莫耶分釼 ●[巻九#45]震旦厚谷謀父止不孝語 ⇒「孝子伝」原谷/厚谷{6---祖父に対する孝行} ⇒「注好選」上57原谷賷輦 ●[巻九#46]三人来会樹下孝其中老語 ⇒「孝子伝」三州(義士){8---生存中に扶養する} ⇒「注好選」上58三州義士 「今昔物語集」【震旦部】巻十収録の「孝子伝」由来の1譚は別途とりあげる。巻十には、非「孝子伝」系の数多くの「注好選」類似譚が存在しているので。 もちろんいずれも「注好選」上巻の102譚収録譚に属するが、この巻は冒頭は、"1劫焼→2開闢→【三皇】(3天皇→4地皇→5人皇)→【帝】(6伏羲子→7神農→8祝融 →9軒轅→ 10顓頊→11堯嚳→12帝堯→13帝舜→14禹王→15堯代→16湯辰[成湯])であり、22中途から26前半は欠落しているので、上記の箇所は決してマイナーな位置を占めている訳ではない。 「注好選」を一瞥すると、どうも主張や思想性はなさそうで、とりあえず業務に役立つ雑ネタを集めてみました的編集に映る。特に、"○○[S:人名]、△[О]を〜[V]する。"という漢字4文字の震旦方式の題名にえらく拘っており、いかにも覚え易く使い易くする配慮としか思えない。そのため、知的営為とは言い難い印象を与えてしまうが、逆に、現場の僧には大好評だった可能性もありそう。 そのような書を、「今昔物語集」編纂者が引用したくなるとは思えないが、元ネタの引用譚を決めたら後は担当者に書かせることはありそうな気がする。 【参考】「注好選」巻上人名 (1-16天地開闢〜三皇五帝) 17蘇秦 18n.a. 19車胤 20匡衡 21幻安, 22君長 (23-26頭:欠文) 27薫仲 28桓栄, 29孝明, 30-31n.a. 32高鳳 33常林 34朱寵 35_安, 36石勤, 37長儀 38亀毛 39_雪 40白元, 41羅由 42張仲, 43伯英, 44孝尼, 45鎮那, 46舜 47閔騫 48郭巨 49姜詩 50孟宗 51王祥 52曾参 53顧初 54劉殷, 55丁蘭 56伯瑜 57原谷 58三州義士 59蔡順 60楊威 61曹娥 62白年 63張敷 64許牧 65義士 66佰奇 67郎女 68義夫, 69養由, 70李広 71蘇武 72燕丹 73紀札 74利徳 75蘇規, 76楊娃, 77耆婆, 78鶣鵲, 79陳安, 80南郊, 81許由 82巣父 83利楊, 84陳薩, 85孔子, 86文選 87酉夢 88恵竜, 89荊保 90楚那 91焚会, 92草耶 93奚仲 94貨狄 95蒙恬 96杜康 97田租 98胡楊, 99武帝 100劉縞, 101漢皇 102嶋子 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |