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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.24] ■■■
[360] 密教系欠巻[巻十八]
18巻十八は欠巻。

つらつら思うに、不動明王を中心とする話を収める箇所として、"準備していた"と見せかけるためではないか。

この巻は、企画段階から欠巻として設定されていたということ。体裁を整えるための"欠"巻である。

不動明王はご存知五大明王の主尊(降三世明王・軍茶利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)。他の明王としては、無能勝明王、大輪明王、歩擲明王や、孔雀明王、太元帥明王、烏枢沙摩明王、愛染明王が知られているが、圧倒的存在感を示している。
  →[6]胎蔵曼荼羅 「般若菩薩と不動明王」
従って、無視する訳にはいかないが、収録したくはなかったので、欠巻を設けたのである。いかにも、収録の意志はあったようにカモフラージしたと見る訳だ。

不動明王像は仏教敵対者を排除する真言の威力を示すために造像されたと言われており、もともとは修行者加護の役割を担うべく安置されたと思われる。千日回峰行で真言を唱えるのも、その辺りに由来すると。
しかし、不動明王信奉は、それだけに留まっていた訳ではない。
例えば、「紫式部日記」には、中宮彰子安産のために、五大明王修法が三井寺高僧達により行われたと記載されていたりするからだ。

但し、修法と言っても、経典の読誦や陀羅尼口唱というレベルではなく、特別な法具を必要とする上、護摩による火での浄化が不可欠。当然ながら相伝秘法と見るべきもの。在家者にとっては、法華経・観音/地蔵への直接的な帰依とは違い、高僧に請う間接的な信仰とならざるを得ない。
従って、呪術の果は様々であっても、呪術僧の記述は画一的で平板な話になってしまう。

深い発心の在家入道や聖人達の生き様を描くことに心を配ってきたと言うのに、一挙にトーンダウンである。「今昔物語集」編纂者としては、できれば避けたい分野と言えよう。

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