→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.23] ■■■ [389] 反孝養現報 従って、"孝養"の語義は、親を大切に養うという意味。一般用語では親孝行だ。 そう思っていると、「今昔物語集」の"孝養"譚集(📖震旦孝養[巻九])には、その概念がはたしてに当てはまっているのか、わからない話が少なくない。 とりあえず、"現世反孝養報"というグループ名称にしてみたものの、単なる悪行現報譚としか思えず、どうもしっくりこない。追善供養を指す訳でもなさそうだし。 【震旦部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚) <「孝子伝」邦訳> <「冥報記」邦訳> 《37-42現世反孝養報》 眺めておきたい。 夫婦と一人娘の家族が登場するが、孝養が関係する行為が取り上げられている訳ではない。 【破戒】前世の悪業、并に善心を退せる故也 ●[巻九#37] 震旦周善通依破戒現失財遂得貧賤語 ⇒「冥報記」別書27(唐)周善通(朧西王李博乂の知人) 長安に住む周善通は貧しく下賎。 夫婦で京城の諸寺に行き僧に仕えていたので 懺悔し仏を礼拝し戒を遵守するように教えられており それに従ってお勤めしてきた。 その後、常に、市に出て商いをするようになり、 自然と物貨が貯まるようになった。 そこで、離れた里の家を購入し、豊かな生活を送っていた。 家族は一人娘だけ。 そこで、お堂の内で、銭四を穴に埋め瓦で覆っておいた。 沢山の衣類も購入し、櫃の中に貯えておいた。 そんなことで、善心は消え失せ、戒行もしなくなってしまった。 すると、 櫃の傍らに帯が垂れ下がっていたので、中を改めてみると、空っぽ。 怒りが湧き、嫁いだ娘ではないかと疑ったが 涕泣して否定されてしまう。 そうすると、穴の銭はどうなっているかということで、 点検すると、封が切られていないのに一銭も無い。 夫婦は驚き嘆くが、善心を後退させたからと考えるしかない。 その後、貧しくなり、家を売り、元の木阿弥。 寄り付く先も見つからず、光福坊に身を寄せた。 比較的知られた歴史上の人物である崔浩[381-450年]が登場するが、その親や子のことが記述されている訳ではない。 仏教が盛んだった北魏で宰相を務め、華北統一を実現させ、統治機構整備も進めた。経史通暁・天文陰陽博学であるため徴用されたようである。 名門貴族の家柄であり、その関係で天師道の寇謙之に帰心したので、そこから太武帝と繋がりができたようだ。 そして、太武帝を道君皇帝として446年に廃仏させたりも。(三武一宗の法難の最初の事件)さらに、鮮卑・胡族系国家であるにもかかわらず、漢族化を図ったので帝の怒りをかい、姻族ともども誅殺されてしまった。 どう見ても、この辺りの話以上ではない。・・・ 【不信三宝】尤も仏法を崇むべし ●[巻九#38] 後魏使徒不信三宝得現報遂死語 ⇒「冥報記」下31(後魏)崔浩 親が悪行で牛転生というストーリーで、子の悪行という訳ではない。子は、転生させられた牛を救おうとするから、そこは確かに孝養行為である。孝養の気があるなら、もっと前に、悪行を止めるべきだったということであろうか。 【慳恡不償】人を仕ては、必ず其の功を償ふべし ●[巻九#39] 震旦卞士瑜父不償功成牛語 ⇒「冥報記」下40(隋)卞士瑜父 揚州の卞士瑜の父は 隋代に、陳平定の功で儀同を授与された。 しかし、 家を建てるために雇った人に、未払のままだった。 そこで請求しにくると、打ち叩いた。 恨みをかい、 「払わないなら、死んで我が家の牛になって贖え。」と言われてしまう。 その後、卞士瑜の父は死去。 すると、建てた人の家の牛が孕んで、黄犢を産んだ。 特徴ある牛であり、 卞士瑜の父は踏み倒したから、 牛になってしまったと騒ぐ。 士瑜は、銭十万で代償するともちかけるも、 相手にされず、牛は死ぬ。 幼児のすることでも、親の勘違いを引き起こすようなことをすれば、それは反孝行行為ということか。正直に言わず、隠していたなら、悪行と言えなくもないが。 【呪詛】彼の詛ひの祟り ●[巻九#40] 震旦梁元帝誤呑珠一目眇語 ⇒「冥報記」下32梁元帝 梁の元帝[508-555年]が6才だった時、 母の飾り匣の中にあった大きな珠を 口に入れていて、誤って呑み込んでしまった。 そうとは知らない母は盗まれたと思い込み 生魚の目玉を焼いて呪詛。 明くる日、元帝の大便から珠が出てきて 母は事情がわかった。 その後、 元帝の片目が眇目になってしまった。 次の譚では、親への不孝に当たる行為は記載されていない。しかも、"親の悪行の報いが子に"、と言われてしまった話だ。 親に喜びを与えず、負担だけ与えて死んで行った子供を、反孝養者とみなすべきということだろうか。 【酷暴】其の器に有りと云ども、 慈悲の心有て、強く責をば加ふべからず ●[巻九#41] 隋大業代獄吏依悪行子身有疵死語 ⇒「冥報記」下38(隋)京兆郡獄卒 隋 大業代。[605- 618年] 京兆の獄吏が囚人を酷暴していた。 囚人達は限りなきほど苦しめられたのである。 その獄吏に子供ができたが、 身体が生まれつき異常で、歩けないままで、死んでしまった。 呵嘖したる年来の罪と言われたのである。 グループ末譚だけは、典型的な反孝養現報話である。ただ、親といっても義理の母ではあるが。 それはともかく、どうして姑を憎むようになったのかがわからず、今一歩理解し難いところがある。 【不孝】「設ひ、現罰無しと云ふとも、 天神、皆憎み給ふ事」と知て、 悪心を止めて、善を修すべし ●[巻九#42] 河南人婦依姑令食蚯蚓羹得現報語 ⇒「冥報記」下39(隋)河南人婦 隋 大業代。[605- 618年] 河南の婦人が養っている姑が失明。 非常に憎んでいたので、 蚯蚓を切って羹と称し、食べさせた。 姑は、味がおかしいので、密かに臠に隠しておき、 子が来た時に お前の妻に食べさせられた物として見せたのである。 すぐに事態がわかったので、離縁し、 妻を実家に帰すことに。 ところが、 到着する前に、突然の雷震があり、妻が見えなくなった。 怪しんでいると、 空から落ちて来た者がおり、 妻が着ていた物と同じだが、頭は白狗で、狗声。 どうしたのか尋ねると、 姑への不孝で天神の罰を給わったとの答えが返って来た。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |