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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.23] ■■■
[420] 釈迦牟尼像
仏像霊験で蘇生といえば、観音菩薩か地蔵菩薩と思いがちだが、もともとは釈迦如来だったようだ。
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)📖「三寶感應要略」引用集
  <11-30像>
  《11-13釈迦仏》《14仏》

  [巻六#11] 震旦唐虞安良兄依造釈迦像得活語
  ⇒「三寶感應要略」上_9唐虞安良助造釋迦像免苦感應
  [巻六#12] 震旦疑観寺法慶依造釈迦像得活語
  ⇒「三寶感應要略」上_5凝觀寺僧法慶未畢釋迦像感應
  [巻六#13] 震旦李大安依仏助被害得活語
  ⇒「三寶感應要略」上_6唐隴西李太安妻為安造釋迦像救死感應(出冥報記)
  ⇒唐臨:「冥報記」中8李太安
  [巻六#14] 震旦幽州都督張亮値雷依仏助存命語📖落雷
  ⇒唐臨:「冥報記」中17張亮

⑪<造像費用を少々でも負担すると檀越>
 唐代。
 幽州漢県の虞安良、字は強だが、殺生が生業。
 殺した生類の数膨大。
 功徳などしたことも無し。
 37才になり、山野に狩りに出て、
 鹿を射ようとし、不慮、落馬し、悶絶絶命。
 眷属達は寄り合って嘆いていたが
 半日経って生き返った。
 立ち上がり哭き悲しみ、五体投地し、罪を懺悔。
 眷属達が、どういうことか状況を訪ねても泣くばかり。
 やがて、語り始めた。
 「我、落馬し悶絶した時、
  突然、馬頭の鬼・牛頭の鬼が大きな車を曳いてやって来た。
  "何の車だろうか?"と考えていると
  我が身を車中に投げ入れたのである。
  その車の中はすべて猛火で、身体が焼かれてしまい、
  堪え難いほど熱かった。
  すぐに、閻魔王の所に着いた。
  すると、誰かはわからなかったが、止事無き僧が出て来た。
  閻魔王は、この僧を見ると、
  即、階段を急いで下りて、合掌恭敬する。
  そして、来訪理由を尋ねた。
  すると、僧は、
  "この罪人は、我が檀越。
   この罪人の命をしばらくの間、頂戴したいがために、
   来たのである。"と。
  閻魔王は、
  "こ奴は、極めつけの重罪人。
   放免し難いところですが、
   大師が、わざわざおいでになったのですから
   惜しむことは致しません。"と言い、
  放免してもらった。
  僧に伴なわれ、戻ることになったので、
  歓喜そのものだったが、疑心と怖れも湧いたので、
  "我をお助け下さいましたが、どなたでございましょう?"
  そう申し上げると、僧が答えてくれた。
  "汝は知らぬのか。
   我は、汝の兄 安遁
(or 通)が発心し、造って奉った仏像の
   釈迦如来である。
   汝は、弟なるが故に、銭30枚を加え、造像させた。
   汝が発心したのではないものの、
   兄を助けようと、少々の銭を投じ、
   我が像を造らせたことで、
   我は、今、ここに来て汝を救ったのだ。
   汝、我が衣裳を見ておくように。"
  と仰せになると、掻き消すように見えなくなった。
  すると、そこで生き返った。
  そういうことで、五体投地し、
  ずっと続けて来た殺生の罪を悲しみ懺悔しているのだ。」と。
 その後、兄の安遁の家に行き、その釈迦像を拝観すると、
 冥途で見た衣裳と全く同一。
 拝観奉り、涙を流して返って来て
 自らも、釈迦如来像を造って、恭敬供養奉ったのである。


⑫<乾漆像流行期(完成迄長期間必要)>
 疑観寺@長安西北の僧 法慶は、隋の文帝代、583年に、
 一丈六尺の夾紵
[乾漆]釈迦像を造り始めた。
 しかし未完成のうち、突然、法慶示寂。
 同日、法昌寺の僧 大智も逝去。
 ところが、三日後に、大智蘇生。
 そして、寺僧に語った。
 「死んだ当日。閻魔王の御前に参上した。
  そこには、疑観寺の法慶師がおいでになり、
  お裁きを受けておられた。
  法慶師は愁歎のご様子だった。
  そこへ、止事無き僧がいらっしゃって
  王の御前に。
  僧は、
  "この法慶は、我が像を造っていましたが、
   造り終える前に命が果てました。
   何故に、死なせたのですか?"と。
  そこで、王は脇の者に問う。
  "法慶は死んだが、寿命が尽きたのか?"
  すると、
  "法慶は命が終わったのではございません。
   食糧が絶えたからでございます。"との返答。
  王は宣言。
  "速やかに、蓮の葉を法慶に与えるように。
   これで、臨終前の福業ができよう。"と。
  その途端、法慶が見えなくなった。」
 蘇生した大智の話を聞き、
 寺僧は、真否を確かめに、疑観寺に行ってみると、
 法慶が蘇生していた。
 大智の話に違っている点はなかったのである。
 生き返って以後、法慶は、蓮の葉を常食にした。
 これは美味いので、他はいらぬ、と。
 その後、法慶は釈迦像を造り終え、その数年後、逝去。
 その釈迦像は相好円満で、光を放っていた。
 今でも疑観寺に安置されているそうだ。



 李大安は従者に刺し殺された。
 しかし、妻が仏像を造ったので、
 その霊験で生き返ることができた。


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