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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.28] ■■■
[425] 上陽白髮人
👵玄宗と楊貴妃と言えば、「長恨歌」だが、もう一つ「上陽白髮人」もとりあげられている。
魅力的な若い女性が各地から送られてくるが、宮廷に入ってくるなり妃によってすぐに上陽宮送りになり、そこへは玄宗が行くこともなく、幽閉され、ただただ年老いていくだけという境遇を詠ったもの。
手を入れようとする気が無かったようなので、白楽天の作品をママ引いておくだけにしたい。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
     📖「注好選」依存 📖「俊頼髄脳」好み
  《1-8 王朝》
  [巻十#_7] 唐玄宗后楊貴妃依皇寵被殺語
  ⇒「長恨歌伝」(白居易:「長恨歌」)(「旧唐書」「新唐書」)
  ⇒「俊頼髄脳」楊貴妃
  ⇒「注好選」上101漢皇涕密契
  [巻十#_6] 唐玄宗后上陽人空老語
  白居易:「新楽府」809年#7上陽白髮人@"諷諭"
  天寶五載已後(746年),楊貴妃專寵,後宮人無復進幸矣。
  六宮有美色者,輒置別所,上陽是其一也。貞元中尚存焉。
  上陽人,紅顏暗老白髮新。
  壕゚監使守宮門,一閉上陽多少春。
  玄宗末初選入,入時十六今六十。
  同時采擇百餘人,零落年深殘此身。
  憶昔悲別親族,扶入車中不教哭。
  皆雲入内便承恩,臉似芙蓉胸似玉。
  未容君王得見面,已被楊妃遙側目。
  令潛配上陽宮,一生遂向空房宿。
  秋夜長,夜長無寐天不明。
  耿耿殘燈背壁影,蕭蕭暗雨打窗聲。
  春日遲,日遲獨坐天難暮。
  宮鶯百囀愁厭聞,梁燕雙棲老休
  鶯歸燕去長悄然,春往秋來不記年。
  唯向深宮望明月,東西四五百回圓。
  今日宮中年最老,大家遙賜尚書號。
  小頭鞋履窄衣裳,青黛點眉眉細長。
  外人不見見應笑,天寶末年時世妝。
  上陽人,苦最多。
  少亦苦,老亦苦。少苦老苦兩如何?
  君不見昔時呂向:《美人賦》,
   〈天寶末,有密采艷色者,當時號花鳥使。
     呂向獻《美人賦》以諷之。〉
  又不見今日上陽白髮歌!


これをネタにしたサロンの談論はどうなるのだろう。
本朝では、上陽宮の女の不憫さに同情がつのるということで、皆、共感というのがお決まり事かも知れぬが、おそらくそうはなるまい。

もともと、主題は、帝の寵愛を独り占めしようとの妃の悪行の方。悪行を取り上げても意味は薄い訳で、問題はそれを放置する姿勢。そこに批判するために練られた作品。
にもかかわらず、皆で揃って情緒的な反応をすることを喜ぶのでは、せっかくの良さを殺しかねませんな、といった意見が必ずでてくる筈。
そして、白楽天は一女性の嘆き苦しみを描くことで、そのような社会を痛烈に批判した訳ですが、そのために熟考して生み出された完璧なフィクションでしょうな、とも。

わざわざ年号を記載して、幽閉されて「楼東賦」を玄宗に送った梅妃の存在を想起させる仕掛けを組み込んでいることを知るインテリだからだ。(天寶五年梅妃終於被玄宗貶到上陽宮)
尚、「今昔物語集」では年号はカットされている。

小生は、この頃の上陽宮は、天寶四年契丹に勝利し凱旋した安祿山のためのハーレム化していてもおかしくないと見る。ソグド人の猛将とされるが、生贄を捧げる部族宗教の神権者でもあるからだ。

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