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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.27] ■■■
[332] 「俊頼髄脳」好み
源俊頼[1055-1129年]:「俊頼髄脳/俊頼朝臣無名抄/俊頼口伝集1113年は、関白藤原忠実が娘の勲子(⇒鳥羽天皇皇后高陽院泰子)向け作歌手引書作りを依頼したことで成書。そのため、作歌心得が中心で、詞ではなく心であることを力説している。趣向を凝らすことの重要性も語っており、その解説として歌の故事が収載されることになり、どうしても説話集的様相を帯びてしまう。
従って、和歌逍遥の説話集と呼んだ方がよさげ。

但し、"序"から見ると、伝統を保ちながら、新しい和歌を創出する営為が極めて難しくなってきた状況で、一石を投じたとの位置付けのようだ。
思うに、実態的には、大斎院サロンでの歌談義・ご指導メモをまとめ、歌論書に仕立て上げた書ではなかろうか。
サロンメンバーの各々が抱える情緒が絡み合いながら、場の雰囲気で知られた故事を解釈したに違いない、従って、勝手な解釈も少なくないと考えるべきだと思う。

ただ、情緒と言っても、おそらく理知的なもので直接的な感情表現を嫌う方々と見てよいのでは。
【参照】橋本不美男[校注訳]源俊頼:"俊頼髄脳" @「歌論集」日本古典文学全集50 小学館 1975年

歌論の世界は全く知らないが、「俊頼髄脳」を通して眺めると、摂関政治が行き詰まってきた時代に歌で生きるための苦悩が見てとれる。集団としての歌の価値を云々する政治的時代は早晩終焉し、個人の精神性を謳いあげる道具としての和歌の魅力が光ってくるようになると見ているようだから、その道を切り拓くべく苦闘を余儀なくされたのだろう。

そうそう、校注者によれば、歌論の内容は別として、状況解説文には誤謬が散見されるそうで、教養レベルは高くは無いそうだ。
そもそも、「今昔物語集」は歌論書とは目的が異なるから、お話を取り上げる視点が全く違う。にもかかわらず、説話でかなりの同一性が見られるようだ。和歌集の巻ならそれは当然かも知れぬが、震旦国史と銘打った巻でそんな状況。ナントモ言い難し。
震旦史の本質はこの程度なのですぞ、ということか。「酉陽雑俎」の王朝史逸話と似た印象。・・・
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  [巻十#_1] 秦始皇在咸陽宮政世📖始皇帝
  ⇒「俊頼髄脳」秦皇二世
  [巻十#_4] 漢武帝以張騫令見天河水上
  ⇒「俊頼髄脳」張騫
     浮木に乗った張騫は天の川の水源へ。そこで、牽牛・織女に出会う。
     地上から見ると、天の川の辺に見知らぬ星が出現していた。

  [巻十#_5] 漢元帝后王昭君行胡国📖王昭君
  ⇒「俊頼髄脳」王昭君
  [巻十#_7] 唐玄宗后楊貴妃依皇寵被殺
  ⇒「長恨歌伝」(白居易:「長恨歌」)(「旧唐書」「新唐書」)
  ⇒「俊頼髄脳」楊貴妃
  ⇒「注好選」上101漢皇涕密契
  [巻十#_8] 震旦呉招孝見流詩恋其主
  ⇒「俊頼髄脳」呉招孝
  [巻十#_9] 臣下孔子道行値童子問申📖孔子
  ⇒「俊頼髄脳」孔子
  ⇒「注好選」上85孔子却車
  [巻十#29] 震旦国王愚斬玉造手
  ⇒「俊頼髄脳」卞和
  [巻十#30] 漢武帝蘇武遣胡塞
  ⇒「注好選」上71蘇武鶴髪
  ⇒「俊頼髄脳」蘇武

《「俊頼髄脳」と「今昔物語集」との関係》 -橋本不美男注記から-
【序】
  ・・・あはれなるかなや。この道の目の前に失せぬる事を。・・・
  あけくれは身の憂へを嘆き、起き伏しは人のつらさを怨む。・・・
  かくれたる信あれば、あらはれたる感あるものをや。

【二】和歌の種類
  (1)短歌
 聖徳太子⇒[巻十一#_1]聖徳太子於此朝始弘仏法📖本邦三仏聖 📖弥勒菩薩
  (2)旋頭 (3)混本歌 (4)折句 (5)沓冠 (6)廻文 (7)長歌 (8)俳諧歌 (9)連歌 (10)物名
【三】歌病
 浅香山(安積山) かげさえみゆる 山の井の 浅くは人を 思ふものかは
   ⇒[巻三十#_8]大納言娘被取内舎人📖歌物語(飼い葉桶)
【四】歌人の範囲
 婆羅門僧正⇒[巻十一#_7]婆羅門僧正為値行基従天竺来朝📖渡来高僧
 三輪の明神⇒[巻三十一#34]大和国箸墓本縁
 我が宿の 松はしるしも なかりけり 杉むらならば たづねきなまし
   ⇒[巻二十四#51]大江匡衡妻赤染読和歌📖和歌集
【五】和歌の効用
【六】実作の種種相
 蝉丸 世の中は とてもかくても ありぬべし 宮も藁屋も はてしなければ
 世の中は とてもかくても すごしてむ みやもわらやも はてしなければ@今昔
   ⇒[巻二十四#23]源博雅朝臣行会坂盲許📖琵琶の名手 源博雅[蝉丸]
 老いはてて 雪の山をば いただけど しもとみるにぞ 身はひえにける
   ⇒[巻二十四#55]大隅国郡司読和歌📖和歌集
【七】歌題と詠み方
【八】秀歌等の例
 人しれず たえなましかば なかなかに なき名ぞとだに いはましものを
   ⇒[巻二十四#47]伊勢御息所幼時読和歌📖和歌集
【九】和歌の技法
【十】異名
【十一】季語・歌語の由来
 鬼のしこぐさ⇒[巻三十一#27]兄弟二人殖萱草紫苑📖鬼の醜草
 あさもよひ きの河ゆすり ゆく水の いづさやむさや くるさやむさや
   ⇒[巻三十#14]人妻化成弓後成鳥飛失📖歌物語(飼い葉桶)
 役の行者⇒[巻十一#_3]役優婆塞誦持呪駈鬼神📖本邦三仏聖 (後半欠文)
 秦皇二世⇒[巻十#_1]秦始皇在咸陽宮政世📖始皇帝
 蘇武⇒[巻十#30]漢武帝蘇武遣胡塞
 張騫⇒[巻十#_4]漢武帝以張騫令見天河水上
 卞和⇒[巻十#29]震旦国王愚斬玉造手
 "雌燕不嫁他人"⇒[巻三十#13]夫死女人後不嫁他夫📖歌物語(姥捨山)
 藤原惟規 かみがきはきのまろどのにあらねどもなのりをせねば人とがめけり
   ⇒[巻二十四#57]藤原惟規読和歌被免📖和歌集 📖紫式部の父弟
 をば捨山⇒[巻三十#_9]信濃国姨母棄山📖歌物語(姥捨山)
【十二】表現の虚構と歌心
 見る人も なき山ざとの 花の色は なかなか風ぞ をしむべらなる
   ⇒[巻二十四#38]藤原道信朝臣送父読和歌📖和歌集
【十三】連歌の表現
【十四】歌語の疑問
【十五】歌と故事
 王昭君⇒[巻十#_5]漢元帝后王昭君行胡国📖王昭君
 楊貴妃⇒[巻十#_7]唐玄宗后楊貴妃依皇寵被殺
 呉松孝⇒[巻十#_8]震旦呉招孝見流詩恋其主
 孔子⇒[巻十#_9]臣下孔子道行値童子問申📖孔子
 藤原惟規⇒[巻三十一#28]藤原惟規於越中国死📖紫式部の父弟
 彰子・頼通 こぼれて匂ふ花さくらかな
   ⇒[巻二十七#28]於京極殿有詠古歌音📖京極殿の和歌

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