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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.3] ■■■
[431] 并州の仏教
つくづく感心させられた震旦の譚を取り上げてみたい。

ストーリーや登場人物のことではない。
話題としては、"造阿彌陀像感應"で、単なる引用翻訳に過ぎないが、この地域について見ておこうとの意向が見てとれるから。
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
  <像>
   《15-20弥陀仏》
  [巻六#18] 震旦并州張元寿造弥陀像生極楽語
  ⇒「三寶感應要略」上14并州張元壽為亡親造阿彌陀像感應
     
(出并州記)
  [巻六#19] 震旦并州道如造弥陀像語
  ⇒「三寶感應要略」上15釋道如為救三途衆生造阿彌陀像感應
     
(出并州記)

題名を見れば、并州@山西太原+隣接域(山西高原を南北に流れる黄河の支流汾河の辺り)での阿弥陀仏造像霊験の連続譚であることがわかる。しかし、読むと、それはそうだは、ナンダカネ、こんなつまらぬことに拘って題名をふるとは、との気持ちにならないでもない。
この仕掛けが秀逸すぎる。

と言うのは、前者のタイトルは原典の重要な箇所を削っているから。これでは、極楽往生するのは親ではなく、記載されている主人公と思ってしまう。このため、原典を知らなくても、不図、タイトルを見て読み始めると違和感を覚える訳だ。
後者でも、原典では記載されていないのに、わざわざ、并州を加えている。
どう見ても、連続譚の風情を醸し出すためだけの表題なのである。

このことは、太原での阿弥陀仏信仰を書いておかねば、ということであろう。
マ、考えてみれば、それは理解できる。実は、それが狙い。

ここ山西太原は交通の要衝。白楽天の本貫地でもあるが、浅学な小生だと、すぐに浮かぶイメージといえば刀麺。

しかし、この地の歴史は古く、隋・唐代なら、①長安 ②洛陽 ③太原が中華帝国の"京"的都市だった筈。
その太原の郊外に建立されたのが、石壁山玄中寺。
こここそ、曇鸞大師の地。そして、そこに建てられていた碑を見て感動を覚えたのが道綽で、その弟子が善導で、ここから都に出立するのである。
  [→震旦浄土宗祖曇鸞]
一言で言うなら、震旦浄土教の祖地。
従って、小生など、香積寺は終南山ではなく、本来的には、太原の地に建てられるべきだったと見るクチ。
  「過香積寺」 王維[701-761年]…太原祁県の人
 不知香積寺,數里入雲峰。古木無人逕,深山何處鐘。
 泉聲咽危石,日色冷青松。薄暮空潭曲,安禪制毒龍。


ちなみに、山西の北部大同にあるのが雲崗石窟であり、最初の廃仏宣旨@446年に対抗して、453年に仏教再興を図った地である。敦煌莫高窟-洛陽龍門石窟-大同雲崗石窟ということで、ソグド/胡から鮮卑につながる仏教の道に当たる訳で、同じく北部にあるのが五台山である。


 并州に住む張元寿は善根の心があったが、
 家業がもともと殺生だった。
 しかし、父母死去後、殺生の業を断つことにした。
 そして、ひたすら阿弥陀仏を念じ奉った。
 さらに、父母の後世を救うため、
 三尺の阿弥陀仏立像を造り奉り、
 家の内に安置奉り、
 焼香・散華の上、灯明を燈して、供養礼拝し奉った。
 その夜のこと。
 夢を見たのである。
  突然、空中に光。その中に、蓮台に20人ほどが乗っていた。
  その中の二人が、庭の上に近付いて来て、元寿を呼んだのである。
  元寿が「我を呼ぶのは、どなたか?」と尋ねると
  返答があった。
  「汝を呼んでおるのは、
   汝の父母なるぞ。
   我は、生れた時に、念仏三昧を悟ってはいたものの、
   酒肉の食が好きで、沢山、魚鳥等の殺生をしてきた。
   その故、叫喚地獄に堕ちてしまった。
   しかれども、念仏を修していた力のお蔭で、
   熱鉄にもかかわらず、清涼に感じている。
   そんな状況で、昨日、身長三尺の沙門が来訪してくれて
   説法をして頂いた。
   同じ悪業のため、地獄に落ちた輩、20人ほどがこれを聴聞。
   皆地獄を免れ、浄土転生できること
   このことを、告げるため、こうして来たのだ。
   空中に居るのは、地獄に墜ちていた同業の人である。」
  と言い終わると、即刻、西を目指して去っていった。
 そこまでで、夢から覚めた。
 その後、一人の僧に会い、夢の話をすると
 僧は説明してくれた。
 「それは、間違いなく、わかっていること。
  汝が造って奉った三尺の阿弥陀仏像は
  地獄の中へとお進みになり
  汝の父母をお救いになったのだ。
  同業の輩は説法聴聞したから
  地獄を免れ浄土転生したのである。」と。
 元寿はその後、ますます三尺像を礼拝し恭敬し奉った。

尚、原文は簡素である。…張元壽并州人。雖有善心。其家以殺生為業。双親亡沒。後斷殺生業。修念阿彌陀佛。發心為救双親。造阿彌陀佛三尺像。安置舊室。香花燈明。供養禮拜。其夢室中有光。光中乘蓮臺者二十餘人。於中二人。近於庭上呼元壽。壽即問誰。答吾是汝父母。雖解念佛三昧。好酒肉食。殺生魚鳥等多故。墮叫喚地獄。雖墮地獄。以念佛力。熱鐵融銅如涼水。昨日沙門身長三尺。來説法。同業者二十餘人。聞沙門説。皆離地獄。方生淨土。時熟以是因縁來告。在空中人者。即地獄中同業者也。説此事已。指西方而去。以所夢語僧。皆謂所造像。往地獄中救苦矣。

晋陽は太原の晋代の名称である。この地から始まった"曇鸞⇒道綽⇒善導⇒"の系譜を示唆するかの如き話である。・・・

 并州の僧 道如は晋陽の人。
 道綽法師に連なる孫弟子。
 慈悲心深く、諸々の人を哀ぶ心があった。
 自から浄土往生のための修行をしてはいたものの、
 「先ずは他の人の為に行うこととしよう。」との願を発し、
 ひたすら、三途に沈められた衆生を、苦から救うべく
 丈六阿弥陀仏の金色仏像を造って奉った。
 身は貧しかったが、三年かけて造り終えた。
 そして、専心し、供養し奉ったのである。
 その後、際限なきほど、礼拝恭敬し奉った。
  そうこうするうち、その像の御前で夢に見た。
  金紙の牒書を持った冥官が、一人でやって来て、道如に告げた。
  「これは、閻魔法王の、法師の願を随喜しなされた牒書である。」と。
  道如、その書を、披って見てみた。
  「法師は、三途で受苦する衆生を救う為、阿弥陀仏を造像した。
   今、その像は、地獄の中に入っており、
   受苦の衆生を教化されているが、生身の仏と違いは無い。
   それに、光を放って、説法されている。まさに、不思議な事。
   地獄の衆生はこれを聞いて、皆、苦を逃れて楽を得ている。」と。
 夢が覚め、ますます、その志を強め、礼拝恭敬し奉った。
 すると、その御仏が、御胸よから、正しき光をお放ちに。
 とは言え、その光を見る事ができたのは、十人の中、五〜六人だが。
 見た者は、希有の思ひを致した。
 そんな時、道如が金色の身体となり、説法教化する夢を見る者も。

原典には、この手の霊験多数、云々の感想があるが、そこも訳している。ただ、以下の大乗的【ご教訓】は無い。
 誠の心を発せる人は、
 我が出離の計をば、暫く止めて、
 先づ他を利益する事、此の如し。
 此れを仏は菩薩の行と説き給へる也。

…釋道如是并州晉陽人也。乃是道綽禪師懸孫弟子。心含慈仁。悲四生苦。雖修淨業。先欲度他。發願為救三途衆生受苦。造阿彌陀丈六金像。貧道之力三年方成。精勤供養。在於像前夢。一人冥官。將金紙牒書曰。此是閻魔法王。隨喜師願牒書也。如即開見云。阿師為救三途受苦衆生。造阿彌陀像。入地獄教化衆生。宛如生佛。放光説法。利益不思議。地獄衆生業微輕者。皆離苦得樂。夢覺彌專其志。齋日像胸放光。但十人五六得見。或人夢。道如現金色身。入地獄中説法。或為餓鬼説法。以如此感應蓋多。定知所願不虚矣。

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