→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.22] ■■■
[450] 感破鏡
🌗何故に、破鏡譚が国史の巻に収載されるのか?
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])📖「注好選」依存
  《16-27 武将・文官》
  [巻十#19] 不信蘇規破鏡与妻遠行語

実は、小生は、来るだろうナ、と予想していた。

さて、"破鏡"の意味だが、小生は「酉陽雑俎」で教わった。・・・
"中華帝国はあくまでも、家存続と年長者優位社会。そんな大原則を、5月5日に再確認させるというのが官の方針だったようである。"ということ。要するに、春に行う、黄帝の祠での祭祀には一羽の梟と破鏡を供えるのである。この鏡とは父を喰らう悪獣。[→五月の行事]
これが、中華帝国に於ける公的な国史が示す破鏡の意味。

ところが、一般には、この話はご参考程度であり、以下の詩が代表例とされる。解説和文は小生が勝手に書いたもの。そのおつもりで。
   「古絶句」@徐陵[撰]:「玉臺新詠」6世紀 巻十
  藁砧今何在, …砧を打っていた、あの夫君は、今どこに居られることやら。
  山上復有山。 …山また山の地に、お出(山+山)かけになったまま。
  何當大刀頭, …佩刀出征の、あの大刀柄頭の環は、ご帰還(環)されるのだろうか。
  破鏡飛上天。 …欠けた鏡は、天高く飛んで行き、十五日で戻ってくるというに。
ここでの破鏡とは、欠けた月のことであり、それ以上ではなかろう。

白楽天がそう見なしているから断言しているに過ぎないが。
   「湖亭望殘水」 白居易[772-846年]
  湖上秋寥,湖邊蕭瑟。登亭望湖水,水縮湖底出。
  清渟得早霜,明滅浮殘日。流注隨地勢,窪無定質。
  泓澄白龍臥,宛轉青蛇屈。
破鏡折劍頭,光芒又非一。
  久為山水客,見盡幽奇物。及來湖亭望,此難談悉。
  乃知天地間,勝事殊未畢。

   白居易:「白氏六帖事類集」 卷一4"月"
坎爲月。月者太陰之精。月光于西。夜光。望舒。月出皎兮。如月之縆。照臨。三辰、三光、七曜。盈必毀,天之道也。三五而盈。成象。無私照。代明。三日成魄。金精。陰靈。蒖莢。桂華。玉鉤。金波。峨眉。破環。破鏡。如圭。隨灰之暈。

ただ、男女関係に破鏡が全く無縁という訳ではない。
その朋友の詩でも登場する。
   「古決結調三首」其二 
  ・・・有美一人 於駕噴結 一日不見 比一日於三年・・・
  感
破鏡之分明 観涙痕之徐血・・・
長い詩なので、断片引用だが、高揚した恋歌である。

少し書いておこう。

「酉陽雑俎」の著者は、真面目几帳面に仕事をこなす官僚で、その姿勢を律しているのは儒教的"道徳"である。中華帝国統治の決め手である官僚機構の統制にそれは不可欠と見ていると言ってもよいだろう。しかし、こと信仰ということになれば、それは180度転換する。
何故にそうなるかと言えば、しつこく書いていることだが、宗族第一主義がすべての場面で強制されるからだ。風習ということではなく、個人の精神まで統制する宗教なのである。

それが、一番はっきりわかるのが、男女関係。
早い話、儒教では、宗族第一主義に抵触しないなら、それはどうでもよい話。極限すれば、恋愛感情に何の意味もなく、男女関係とは"性欲"を意味しているにすぎない。重要なのはあくまでも宗族繁栄だからだ。
本妻だろうが、妾だろうが、不倫だろうが、そんなことは些末なことで、どうでもよい。重要なのは男系血筋を絶やさず、他の血族より力が発揮できるように子孫を沢山揃えること。もちろん、血族の長の差配の下で、宗族祭祀の統制がとれることが大前提。
これらができさえすれば万々歳の世界。儒教信仰とは、そんな生き方を強制されることを意味する。

従って、白楽天にしても、「酉陽雑俎」の著者にしても、宗教としては、反儒教にならざるを得ないのである。それは下手をすると、祖先を敬わない輩とレッテルを貼られかねず、危険極まりないから、十分に用心しながら生活していたに違いない。
「今昔物語集」編纂者も同じ感覚だろう。

つまり、男女の恋愛感情がからむ破鏡譚は、儒教ベースである史書にはそぐわないということ。
だからこそ、是非にも入れておこうとなったのではなかろうか。ヘンテコ孔子談で揶揄するだけではもの足りない、と言うことで。
そのような破鏡話としては2タイプあるようだ。・・・
片や別離、片や元通りと全く別な話に見えるが、実はたいしてかわらない。生活費が捻出できなければ、奴婢になるしかないからだ。

【破鏡之嘆】
  ⇒李ム:「太平御覧」984年 卷七百十七服用部19[1]鏡
 (東方朔:)「神異經」曰:
 昔有夫妻將別,破鏡,人執半以為信。
 其妻與人通,其鏡化鵲飛至夫前,其夫乃知之。
 後人因鑄鏡為鵲安背上,自此始也。

【破鏡重圓】
  ⇒李ム:「太平広記」卷百六十六氣義1[2]楊素(出「本事詩」)
 陳太子舍人徐コ言之妻,後主叔寶之妹,封樂昌公主,才色冠
 コ言為太子舍人,方屬時亂,恐不相保,
 (589年、最後に残った陳が隋軍により滅亡させられる直前のこと。)
 謂其妻曰:「以君之才容,國亡必入權豪之家,斯永矣。
   儻情未斷,猶冀相見,宜有以信之。」
 乃破一鏡,各執其半。
 約曰:「他日必以正月望賣於都市,我當在,即以是日訪之。」
 及陳亡,其妻果入越公楊素[隋の武将]之家,寵嬖殊厚。
 (「酉陽雑俎」から想像するに、奴婢身分の妓女。)
 コ言流離辛苦,僅能至京。
 遂以正月望訪於都市。
 有蒼頭賣半鏡者,大高其價,人皆笑之。
 コ言直引至其居,予食,具言其故,出半鏡以合之。
 乃題詩曰:
   鏡與人去, 鏡、人と共に去る。
   鏡歸人不歸。 鏡帰るも、人帰らず。
   無復嫦娥影, 嫦娥の影も見えない。
   空留明月輝。 空しく留まるは、名月の輝き。
 陳氏得詩,涕泣不食。
 素知之,愴然改容。即召コ言,還其妻,仍厚遺之。
 聞者無不感歎,仍與コ言陳氏偕飲,
 令陳氏為詩曰:
   令日何遷次,新官對舊官。
   笑啼不敢,方驗作人難。
 遂與コ言歸江南,竟以終老。


この手の話を読む場合、現代人は、貞淑な妻か否かという視点から見がちなので注意したほうがよい。当時の本朝での貞淑観は今とは全く違っていたし、ましてや、これは震旦である。

元ネタと粗筋を書いておこう。
  ⇒「注好選」上75蘇規破鏡
 此人為勅使行外州。即談妻云。
 吾鏡破二半令得君半吾_由者若語吾娶他女。
 此半鏡飛来。君鏡合。若君有_男亦以如此。妻許諾。
 約之置箱内。思惟。実難然焉。即蘇規出家十日。
 有妻有犯。半鏡飛来蘇規所。来而合如約矣 。

 蘇規は国王の命で遥かに遠い州へ使節として派遣されることに。
 そこで、妻に、遠方に赴くので長く会えなくなるが
 我は他の女を娶るつもりはないから、
 汝も他の男に近付いたりせぬよう、と申し渡した。
 その上で、一面の鏡を破壊して、二人で分け
 片方を妻に預け、もう一方は持って行くことに。
 そして、契を交わした。
 「もしも、我が、他の女に娶いだりすれば、
  持っている片方は、必ず、飛んで行って汝の鏡に合わさる。
  逆に、汝が不義をすれば、
  汝の片鏡が我の片鏡のもとに飛んで来る。」と。
 妻は喜んで、破鏡を箱内に納め安置。
 蘇規も、身から離さずに、家から出立。
 その後ほどなくして、家に残った妻は他の男に娶とわれた。
 そんなこととは知らず、蘇規は外地に居たが、
 突然、妻の破鏡が飛んで来て、蘇規の半鏡に合わさった。
 妻が誓約を破って、他の男に娶とられたことがわかり、
 誓約違反を恨んだのである。


 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME