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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.21 ■■■

五月の行事

「酉陽雑俎」を読むと、五月は「悪月」[→]とされていた上に、5月5日も「禁忌日」[→]だったりすることがわかってくる。
しかし、節日であるから、愉しく過ごしたに違いないのである。

そんな心のうちが見えそうな行事が記載されている。・・・
北朝婦人,常以
 冬至---正月---立春---;
 五月進五時圖、五時花,施帳之上。
 是日又進長命縷、宛轉繩,皆結為人像帶之;
 夏至---,
皆有辭。
  [卷一 禮異]
南北朝時代の、北朝の夫人の風習はこんなところだと言われている。
 冬至---正月---立春---。
 五月
  五時図と五時花を進呈。これを、帳の上に設置する。
  別途、長命縷と宛轉繩も進呈。皆、人形に結んで携帯する。
 夏至---。
すべて、辭句をつけるのが習わし


なんとはなしにだが、現代の日本の若い女性の風習に近い感じがしてくるから不思議である。

五時=立春+立夏+大暑+立秋+立冬であるから、五時図と五時花は四季の風景画と季節の花々の絵ということ。

一方、長命縷と宛轉繩だが、屈原伝説に由来する、続命縷こと五綵絲だろう。
人形に結ぶのではなく、腕輪として、今でもこの風習は続いていると見てさしつかえなかろう。
ただ、妻が姑に贈るのではなく、性別に関係なく、自分自身で身に着けるようになっているようだ。だからと言って、変わってきたと見るべきではなかろう。中華帝国はあくまでも、家存続と年長者優位社会。

そんな大原則を、5月5日に再確認させるというのが官の方針だったようである。・・・
今言梟鏡者,往往謂璧間蛛為鏡,見其形規而,伏子,必為子所食也。
《西漢》:
 “春祠黄帝,用一梟破鏡。”
以梟食母,故五月五日作梟羹也。
破鏡食父,如虎眼。
黄帝欲絶其類,故百物皆用之。
傅玄賦雲:
 “薦祠破鏡,膳用一梟。”
  [卷四 貶誤]
後述するように、梟は母、鏡[=]は父を喰らう悪獣。
往々にして壁の隙間に棲む蜘蛛もそのような生き物であり、鏡と呼ぶ。
一見すると、竹製の笊のような形をしているが、その下に子を忍ばせている。必ず、その子に喰われてしまう。
「西漢」書によれば、
 「春に行う、黄帝の祠での祭祀には
  一羽の梟と破鏡を供える。」
その理由は、梟が母を喰らうから。
それ故に、五月五日には梟の羹を作る。
一方、破鏡は父を喰らう。それは、虎のような目をしている。
(言うまでもないが、)
黄帝はこの類の生き物を絶滅したいと願っていたので、
すべての行事にこれらを用立てたのである。
傅玄の賦にこうある。
 「破鏡を祠に、一羽の梟を膳に供して。」


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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