→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.5] ■■■ [493] 大中臣輔親の歌 ●[巻二十四#53]祭主大中臣輔親郭公読和歌語 ○大納言藤原道長が一条殿にお住まいだった頃。 四月初め、暮れ方。 男共を呼び「格子を降ろせ。」と仰せに。 祭主の三位大中臣輔親はその時分は勘解由判官で 早速にやって来て格子戸を下げ始めた。 すると、珍しくも、ほととぎすが一声鳴いて、 南面の梢を通り過ぎて行った。 御堂がお聞きになって、 「輔親、今の鳴き声を聞いたか?」とお尋ねに。 格子を閉めていた輔親は 膝まづいてから「聞きました。」と答えたので、 「聞いた言うに、遅いではないか。」と仰せに。 そこですかさず詠んだのである。 足曳きの 山郭公(ホトトギス) 里馴れて 黄昏(誰そ彼)時に 名告りすらしも [拾遺#1076] 道長ベタ褒め。 着ていた衣を脱ぎ、即座に与えたのである。 伏し拝んで頂戴した輔親は格子をすべて下すと、 衣を肩に掛けて侍所に入って行った。 侍共はそれを見て「どういうことか?」と尋ねたので、 輔親は状況を説明。 皆、大いに褒めそやした。 【ネタ】詞書はこのようなストーリーではない。…延長七年十月十四日もとよしのみこの四十の賀し侍りける時の屏風に。 【参考】鳥の前生譚"時鳥(ホトトギス)と兄弟"は全国各地で見られる。その基本パターンが知られている・・・山芋を掘って来て、弟は不味い上の方を食べ、兄には美味しい方を食べさせた。兄は逆と見て弟を殺してしまうが、真実を知る。そして、時鳥となり山に入り、後悔し、"弟恋し"と鳴く。📖「托卵系はゴチャゴチャ」 ○何時も利用している車の牛が見えなくなり、 捜索したことがあった。 すると、あろうことか、 かつては親しかったが、 もう通うことも無くなってしまった女のもとに 牛が入り込んでいた。 女がその牛を引いて来て 「疎して見し心に増れり」と言う。 そこで、その返しとして詠んだ。 数ならぬ 人を野飼の 心には 牛(憂し)ともものを 思はざらむや [後拾遺#961] ○ある日、大勢の友と一緒に桂に行って遊んだ。 「また、此処に遊びに来よう。」と言いあっものの、 その後、桂には行かず、 皆で、月の輪という所に遊びに行った。 桂ではなく、月の輪に来たので、その訳を歌で詠んだ。 先の日に 桂の宿を 見し故は 今日月の輪に 来べきなりけり [後拾遺#1060] これを聞いた人々は大いに褒めたたえた。 ○祭主大中臣輔親は能宣の子。 能宣も優れた歌人であり、 才能が受け継がれたのである。 (祖父頼基から繋がる。[頼基─能宣─輔親─輔親─伊勢大輔]) 伊勢の祭主の家系。 中古三十六歌仙の歌だが、このまま受けとれば、月に桂の木は駄洒落に近かろう。📖"月の見方"@「酉陽雑俎」の面白さ どうして、皆が絶賛するかと言えば、王朝風と離れた風俗的にして、清廉な作風だからでは。しかも、神祇系本流の人の作。 ちなみに、ホトトギスの方は代表作で超傑作とされているようだ。 これを「今昔物語集」編纂者的に眺めれば、暗喩を駆使した政治的に卓越した歌ということになるのかも。残念ながら、具体的に何を意味しているかはっきりしないが。 ともあれ、この歌は、重用してもらう流れを上手に詠っていると見ることもできよう。 こうした才こそが、和歌の達人たる由縁でもあろう。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |