| →INDEX
■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.17] ■■■ [505] 天竺追尋聖跡大般若経の霊験譚グループに入っているので、なんという話でもなさそうに流してしまいがちだが、インターナショナル観があれば、貴重なお話であることがわかる。 ●[巻七#_6]震旦霊運渡天竺踏般若所在語
震旦僧 霊運/般若提婆は襄州人。聖跡を尋ねて、拝礼したく、南海の浜を越えて、渡天竺。📖震旦般若経霊験
聞きなれない名前なので、気に留めたりしないことになるが、このような渡天竺僧を義浄は高僧扱している。 霊運師者。襄陽人也。梵名般若提婆。志怀耿介情存出俗。 追尋聖跡与僧哲同游戲南溟達西国。 極閑梵語利物存怀。所在至處君王礼敬。 遂于那爛陀画慈氏真容菩提樹像。一同尺量妙簡工人。 賫以歸唐廣興佛事。翻譯経教實有堪能矣。 [義浄:「大唐西域求法高僧傳」691年]
天竺やソグドから震旦に入る僧は、教化の意志が強固。一方、震旦僧は経典・経論収集か、修行果確認の旅である。上記も文字上では"游戲"だが、決して本朝的な聖跡巡礼をしている訳ではないし、修行や修学が目的でもない。 そんな違いが、はっきりわかるようなお話に仕立ててあるが、余り気付かないように入れ込んである。こういうところが、「今昔物語集」のセンスのよさである。・・・
参詣地は仏教発祥の地ビハール州。 ○那爛陀寺/ナーランダで弥勒の尊容、菩提樹の像を描画。 ○伊爛拏鉢代多国/イラーニヤパルヴァタ@ムンゲール/蒙格埃爾の小孤山佛遺跡 [@「大唐西域記」巻十]参詣。
孤山は(景)勝地で、霊廟参詣者は多く、感応の話も大変多い。 7日か27日、心を込めて祈願祈請すると、 像の中から身が出現し、心を慰めてくれ、満願を得られる。 その傍に鉄塔が有り、大般若経二十万偈を収奉。 天竺の人々は、皆、競い合うようにして、 この像と経典を供養し奉っている。 そこで、霊運は、17日断食で、心を尽くして、願をかけて祈請した。 願としては3つ。 一 必ず悪趣を離れむ。 二 必ず本国に還て、心の如く仏法を弘めむ。 三 仏法を修行して、疾く仏果を得む。 すると、像中から光が放たれ、観自在菩薩自らが出現し 霊運に告げた。 「汝の3願は皆成就する。 汝、速に、鉄塔に入って、大般若経を読誦し、経が在る地を踏めば、 必ず三悪趣を免れる事ができる。 若し、心を尽くしてこの地を踏むなら、 歩むに随って、罪が滅失し、仏道を得ることができる。 我も、昔、般若を修行し、不退の地を得たのである。 若し、この経を受持し書写したなら、 必ず求むる所は、満足できることになる。」 説教の後、菩薩は消えてしまった。 と言うことで、 霊運は鉄塔に入って、37日間籠居し、経巻を読誦し、礼拝恭敬。 その後、年月を経て帰震旦。 仏法を広め、正教翻訳を、心のまま行うことができた。 「此れ、観音の助け、大般若経の力也。」 と、帰震旦の霊運が語ったと言われている。
(C) 2020 RandDManagement.com →HOME | |