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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.4] ■■■
[518] 祖師葬儀
本朝仏法部の冒頭は聖徳太子から始まる"三仏聖"譚だが、そこには涅槃・往生話は入ってこない。特に、聖徳太子については、天皇家の一員であるから書けることは限られるが、なんらか示唆する話を入れてもよさそうな気はする。

"三仏聖"から、入滅記載がないのだから、列伝の要件をはなから無視していると言ってよいだろう。

聖徳太子の場合、実態がはっきりしないようだが、推古天皇の御陵の近辺に葬られたと見てよいだろう。従って、全くわからない訳でもなさそうなのだが。

前方後円墳から離れる結節点に当たるのであるだから。・・・
【南河内】《奈良盆地西出入口 太子》 磯長谷古墳群 📖桜井時代@古事記
  太子西山古墳93m◇30🈡前方後円
  春日向山古墳63m[方]◇31
  唐臼山古墳(石室のみ残存)…小野妹子墓
  山田高塚古墳63m[方]◇33
  叡福寺北古墳55m[円]…(推定:聖徳太子)
  山田上ノ山古墳30m[円]◇36
《磯長谷古墳群@南河内 太子》 📖[33]小治田宮@古事記
↓上ノ太子駅
└──┐┼┼┼┼┌┘
─○─────┘近鉄南大阪線
┼┼┼└┐
┼┼┼┼└┐
┼┼┼┼┼└┐R166:竹内街道
┼┼┼┼└┐ ←山田上ノ山古墳(円)◇36孝徳天皇
┼┼┼┼┼└────────
┼┼┼┼┼┼┼┼ ←小野妹子墓
┼┼┼┼┼┼↑山田高塚古墳(方)=科長大稜◇33推古天皇
┼┼┼┼↑春日向山古墳(方)=科長中稜◇31用明天皇
↑太子西山古墳(前方後円)=川内科長◇30敏達天皇

よく見ると、この11巻には入滅が記載されている譚もある。但し、4祖師に絞られているのである。・・・

<道照>
 遂に命絶る時に臨て、
 沐浴し、
 浄き衣を着て、
 西に向て端坐す。
 其の時に光有り。・・・
 其の後、夜に至て、
 其の光、房より出て、寺の庭の樹を曜かす。
 久く有て、光、西を指て飛び行ぬ。
 弟子等、此れを見て、恐ぢ怖るる事限無し。
 然る間、道照、西に向て端坐して失ぬ。
 定めて知ぬ。
 極楽に参給ひぬと。

玄奘が特別扱いした直弟子であり、だからこその初の往生譚と言えないこともない。観想のほどや、口誦の様子には触れていない。

それを考えると、往生話をしたかったのではなく、記載していないとはいえ、本当のところは入滅姿勢の大転換を図った祖師として描きたかったのではあるまいか。
遺命により日本最初の火葬が行われたと伝わるからだ。繰り返すが、その点については一切触れられていない。

<鑑真>
 和尚、面を西に向て結跏趺坐して失給ひにけり。
 其______然れば、____の後、
 葬しけるに、
 時に馥き香、山に________宣ける様、
 「死て後三日まで頂の上暖ならむ人をば、
  此れ第二地の菩薩也と知るべし」と。
 然れば、
 「和尚は第二地の菩薩に在ましけり」と、皆人知にけり。

目立つのは欠字が多い点。虫食いかも知れぬが。
簡単に、"葬しける"と記載しているが、同時代の僧で葬儀が行なわれた形跡はないし墓も作られたとの話も耳にしない。(現在でも、南都では僧の葬式を行なわないようだし。)
従って、弟子達によって、釈尊同様の扱いがなされたと言ってよいだろう。その辺りを直截的に書く訳にはいかないので、意味の薄い欠字化をしたと考えることもできる。
ご存知のように、鑑真和上御廟(ストゥーパ@上部は現代・下部は鎌倉期再興)は境内に設置されている。

これを踏まえて、密教祖師譚を読む必要があろう。
11巻に記載される"往生譚"は上記2譚と、以下2譚に限られているのだから。

<空海>
 入定の所を造て、
 承和二年と云ふ年の三月廿一日の寅時に、
 結跏趺坐して、
 大日の定印を結て、内にして入定す。
 年六十二。
 弟子等、遺言に依て弥勒実号を唱ふ。

"入定"とは真言密教に於ける修法用語。(一般用語としての原義は"入禅定"である。)弥勒出世迄、奥之院で永遠の瞑想状態に入ったという意味。生身供は現在も続いている。
その辺りの状況についての記載が加わっている。
 般若寺の観賢僧正と云ふ人、・・・
 彼の山に詣て、入定のを開たりければ、・・・
 塵閑まりければ、大師は見え給ける。

高野山が衰退したので、このような大胆なことが行われたと見てよいだろう。しかし、これが引き金となり、弘法大師崇拝が一気に高まったとも言えよう。

4つ目は比叡山となるが、記述は曖昧である。
<最澄>
 入滅の時、
 兼て諸の弟子に知らしむ。
 其の日、奇異の雲峰に覆て久く有り。
 遠き人、是を見て怪むで、
 「今日、山に必ず故有らむ」と疑ひけり。

寺伝では、822年6月4日56歳で入寂。慈覚大師が854年7月浄土院に移し安置。(現在は江期再建の建屋。十二年籠山の僧が毎日、生身の大師に仕えるごとくに奉仕。)

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