■■■ 古事記を読んで 2013.11.22 ■■■

天の安河誓約での自然分類考

学者は、いい加減な推定だけでは、シナリオを書けない。しかし、なんとかして描いてみたい筈。だが、たいていは見果てぬ夢でしかなかろう。
内輪の酒の席では、ワシはこう見てるんだがネ、と語れても、実験科学ではないから、証拠提示は並大抵のことではできないからだ。

そうなると、入手可能で確かそうな情報でなんとか描こうとなるか、それを早くに諦めるかだ。後者なら、分析や情報整理に注力して、狭い分野であってもともかく新しい見方を打ち出そうと努力することになろう。
問題は前者。
当然ながら、恣意的なものになる。仮説だからよいではないかと考えがちだが、こと古代の話では、そうはいかない。公開情報が決定的に欠けており、並列的に仮説を並べて、正当性を評価することは滅多にできないから。情報を沢山かかえており、自説に都合のよい部分だけをピックアップして提示されれば、反論は難しい。しかも、対立関係に陥ったりすれば、情報アクセスができなくなりかねないから、そんなリスクを踏もうとの奇特な人も少なかろう。

と言って、素人が手を出しても、基本知識が極めて脆弱なので、勘違いしがち。自分の頭で考えるといってもかなり難しい分野なのだ。それに、インターネットリソーシスを参考にしがちなのも問題。陰謀史観やカルト宗教観の人達が書いたものは少なくないからだ。歪曲された情報を参考にしたりすれば、まともな思考に繋がるとは思えまい。

まあ、そんな感覚を持ちながら、3+5柱もの神々が生まれた、天の安河誓約を眺めて見た。どのような神々か、素人が極く普通に考えれば、こんな風に見えるという一例。

   ─・─・─・─・─・─

アマテラス大神は、スサノウ命が身につけている、
 十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕く。
   その吹き出した息の霧から・・・
  多紀理毘売命(たきり) - 宗像大社沖つ宮
  市寸島比売命(いちきしま) - 宗像大社中つ宮
  多岐都比売命(たきつ) - 宗像大社辺つ宮

"多紀理"ヒメは、別名、奥津島ヒメとされている。おそらく、河の激しい流れを表した言葉なのだろうが、それと同じような状況にある玄界灘の島を指すということか。
市寸島とは齋[いつき]役のヒメの島と見て間違いなかろう。所謂、イツク島である。
タギ津とは、タギリ同様に、速い潮流に洗われている湊ということで名付けられた地名のようだ。
いずれもヒメで、「剣」から生まれたから、海人武力勢力の象徴と見なすのが自然。対馬海流をものともせず遠くまで航海する交易民、玄界灘の漁撈民、天の安河に程近い沿岸部の半農半漁で暮らす人々を、武力とヒメの宗教的威力で纏めた氏族"宗像氏"の勢力を指すと想定できよう。倭の初期を支えていた訳だ。従って、宗像大社の三宮には、ヒメの御神体と言うか、身形として、古代の「玉」が祀られているのは間違いなかろう。越産の翡翠硬玉ではなかろうか。

一方、
スサノウ命は、アマテラス大神が身につけている、
 八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠を噛み砕く。
   その吹き出した息の霧から・・・
  [左角髪] 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳
     (まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみ)
  [右角髪] 天之菩卑能命(あめのほひ)
  [鬘] 天津日子根(あまつ)
  [左手] 活津日子根(いくつ)
  [右手] 熊野久須毘(くまのくすび)

"正勝"、"吾勝"、"勝速日"と、勝利宣言文のような、異常に長い名称それ自体が、この誓約が天下分け目の戦いだったことを示唆している。
鬢の毛というか、"耳”の頭髪とは、御身そのものと同等だろうから、この神の誕生でなにを言わんとしているかは歴然としていよう。「天」から来た、"忍穂"と"菩卑"の勢力ですゼということ。ホとは穀物栽培命を意味していると考えるしかなさそう。山麓に展開している勢力だと思われる。"菩卑"という文字も意味深。後に、「天」から、土着勢力の本拠地たる出雲に出立し、その勢力の一員になってしまった神だからだ。
続くのが"天津"と"活津"。ペアの"日子根"であり、「天」系と、それに協力的な「活」系の河に湊を抱えている農耕勢力に映る。海神勢力とは主導権争いがあってもおかしくない気がする。
そんな河や山麓扇状地の民と組んでいたのが、林野利用の「熊野」に住む「クス火」を操る勢力となろうか。
陸上交通路で連携している勢力のリーダー達なのだろう。

それにしても、「勝負」にしては、軍配をどちらにあげるべきか、はなはだよくわからない一番である。
海の女神達は、海原を治めるよう命じられたスサノウの持ち物の剣そのものと見ることができるが、太陽神アマテラスの息から生じたのだから、海の勢力が陸の勢力に従うことになったと見ることもできそう。スサノウ勝利宣言に繋がる勝利の男神が登場しているが、その性格が農耕神なのも面白い。漁撈民も農耕化へと踏み出すことを示しているともとれそう。
軍事的には、海人が引き続き海上交通を支配することになったが、政治経済的主導権は農耕民に移ったということか。

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