■■■ 古事記を読んで 2013.12.10 ■■■

倭の川筋

初代天皇の名前は、神倭伊波礼毘古。どう見ても地名だけの、一般名。場所は自明ではなく、現代の地図を参照すると、イワレ(磐余)は桜井駅から南に下った場所の地名。この地名の背景や歴史の情報が得られないので、これ以上はなんとも追求のしようがないので、ココとしよう。
おそらく、初代天皇にとって、一番土地勘が働く場所だったということか。常識的に言えば、ココを天皇家の本貫地と定めたことになろう。それを示唆する史跡はないようだが。
倭の伊波礼に入った道筋は、吉野河の河尻から、踏み跡なき山中を経て、宇陀に入るというもの。その先は記載がない。ただ、ここら辺りは「木津川〜名張川〜宇陀川〜室生川」水系の上流地帯。大和盆地とは異なる。従って、この流れの原辺りから、初瀬川の源流に入り、桜井へと一気に下ったと見る以外にありえそうにない。

ちなみに、伊波礼地区に宮が築かれたこともある。
第17代天皇[伊耶本和気王]は伊波礼の若桜宮。
皇后も皇子なき第22代天皇[白髪大倭根子命]は伊波礼の甕栗宮。
継承者が傍にいないため、近江から招聘された第26代天皇[袁本杼命]は伊波礼の玉穂宮。
従って、宮に向かない地だったとは思えないが、初代天皇の宮や御陵は今に地名が残る伊波礼近辺を避け、どういう訳か畝傍地区の橿原なのだ。(ここも磐余同様に、古代とは環境が一変しており、そこからなんらかの情報を読み取るのは無理だろう。)

たとえ、なんらかの事情で違う場所を選ぶにしても、伊波礼の北を流れていた、初瀬川を渡ってすぐ北側の三輪山西山麓でもよさそうなもの。ここの、山野辺の道沿いに宮と御陵を設定したのは第10〜12代の天皇達。おそらく、天皇家の支配地域がこの辺りだったということだろう。そして、この頃になって、中華帝国が呼ぶ倭国とは、ヤマト地区の王権のことと公的に認められたのだと思われる。

そんな風に考えれば、初代天皇が、せっかく作り上げた本貫地伊波礼から離れた場所に宮を置いたのは、姻戚関係構築のためと考えるべきだろう。皇后との契は、狭井河の上の家。そこ辺りが執政の場所になったわけだ。葦の茂る地だったようなので、その辺りの開発に大成功したのだろう。皇子の名称もすべて、狭井河に関係しそうなものばかりだし。
  日子八井
  神八井見耳命
  神沼河耳命

こうして見てみると、宮と御陵の場所を記載すること自体が極めて重要だったということかも知れぬ。ところが、残念なことに素人には、地名がさっぱりわからない。古事記の解説書は五万とあるようだが、断片的な説明は詳しそうだが、大和盆地の全体像が書いてないのでなにがなにやらである。しかも、本によって違うことが書いてあったりする。こうなると、素人はお手上げ。

と言うことで、大和盆地の状況を整理してみた。

地域分類は、現在の行政区画ができた経緯がわからないと、間違ったイメージを与えるので、素人には使えないから、川筋で分けるしかない。土木工事で流れが大幅変更ということも十分あり得るが、それなりに古代の川の雰囲気は保っているだろうと勝手に期待するしかない。残念ながら、素人はこの程度のことしかできない。

一寸、川筋を眺めるとすぐわかるが、矢鱈に細流に分かれている上、盆地のなかを南北に流れていることが多い。おそらく、倭の先駆者達は、そこが自慢だったのだろう。思うに、大型河川の大土木工事を行い、大規模水田開発を手掛ける技術を持っていなかったということだろう。細流の扇状地的な狭い地域だらけの盆地で、労働集約的な農耕を進めていた訳だ。その割には生産性は矢鱈高かった地域だったのだろうから、職人芸的な稲作を進めたいたのだろうか。あるいは、大和盆地は病虫害が少なく、暴風雨のような自然災害の影響が軽微ということだけかも知れぬが。

(間違いもあるだろうから、以下の記載内容にはご注意のほど。)

<全体観>
大和盆地からは、南北に延びる西側山地の切れ目から、流れだして、大阪湾に注ぐ。現在の流路だと、墨江津が湾港。
大きな流れは盆地内を東西に流れており、これに南北からいくつかの支流が注ぐ。
 −切れ目の北側の山々は、信貴山・生駒山
 −切れ目の南側の山々は、二上山・葛城山・金剛山

<湾岸側南側から大和川に流入する支流>
○石川(千早川、石見川、天見川)
○東除川、西除川

<盆地内で北から大和川に流入する支流>
○龍田川[三室山]〜平群川〜生駒川[生駒山]:平群氏
○富雄川
○佐保川
  ・高瀬川〜楢川[和邇]:和邇氏
  ・菩提仙川[正暦寺]
  ・地蔵院川
  ・岩井川[高円山〜白豪寺]
  ・(唯一西側から流入)秋篠川
  ・(最上流)[東大寺北側〜春日山]

<盆地内で南から大和川に流入する支流>
○葛下川[当麻寺〜葛城]:葛城氏
  ・滝川
○佐味田川
○曽我川
  ・高田川[広陵〜大和高田]
  ・葛城川[御所]:葛城氏
  ・高取川[畝傍辺りで分岐]
  ・(最上流)[巨勢〜吉野口]:巨勢氏
○飛鳥川[橿原〜甘橿丘〜橘寺]:曽我氏
  ・細川[多武峰]
○寺川〜米川〜倉持川[桜井駅南側]
  ・(分岐)[耳成山]
○初瀬川
  ・布留川[石上神宮]:物部氏
    −西門川
  ・纏向川[巻向山西]:天皇家
  ・三輪川[三輪山]:土着氏族+天皇家
  ・烏田川:大伴氏?
  ・(最上流)[初瀬〜原辺りの山地]
    −(分岐)[巻向山東〜滝倉]


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