■■■ 古事記を読んで 2013.12.13 ■■■

古事記の社会的位置付け

古事記をどの範疇の書と見るかは人ソレゾレ。
この辺りの話は触れておかねば、ということで一言。

○ 当たり障りなき取り上げ方は、歌に注目した文学書的な取り上げ方。一種の叙事詩として扱う訳である。
しかし、「序」を読めば、天皇家の事績と系譜を編纂した書として扱うしかないから、この書単独でそのように読むのは止めた方がよさそう。編纂の視点がよくわからない以上、時代が重なる万葉集と付き合わせて読まないと、勝手な解釈になりかねないからだ。だが、万葉集となると、素人はそうそう簡単に理解できないから骨である。

○ 一方、冒頭から神が登場するから、伝承神話の書としてみる立場もある。
しかし、神話とは、一般的には部族的集団が自分達の生活実態と齟齬をきたさないように創作したもの。国家のレベルに近い視点で編纂された書が扱う「神話」は、あくまでも歴史を描こうとしているに違いなく、日々の生活に係わる部族信仰が表出している神話とは少々違うような気がする。
それに、天皇家にしても、錯綜した婚姻関係があるから内部に様々な話を抱えていたに違いなく、そこから僅かな話だけに絞りこんだものが古事記。絶滅の憂き目にあったり、非支配層が抱えていた神話が記載されていることもあり得ない。そんなことを考えると、古事記の神話から、古代の多様性やダイナミズムを感じ取ることは原理的に無理があろう。それを前提にしない読み方は避けた方がよいと思う。

○ ソリャそうだろうと思われるのは、神道として、「経典」の一種として用いる姿勢。もともと、日本の土着信仰は経典を嫌う体質があるようだが、伝統を示すには、社家の歴史や事績を示す書か証拠品が必要となるから、用いるのは自然なこと。
ただ、西洋的な経典とは違うが。

○ そして、これとも関係してくるのが、「政治」の書としての位置付け。
これがなんといっても嫌われる訳である。皇国史観をバネとした軍事独裁国化の道を切り拓いた元凶は、古事記だと見る訳である。
この見方は現時点でも強固なものなのかも。
だが、この書は、天皇家にとっては「政治」の書以外のなにものでもなかろう。小生は、だからこそ第一級の歴史書と見なすべきものと考えるが、それを否定してどういう意味があるのかよくわからぬ。それと、この書を現代政治にどう活かすかは別の問題である。ここら辺りをゴチャ混ぜにするのはいかにも拙い。

小生の感覚では、古事記の魅力的な解説書が見受けられないのは、その辺りが原因ではないかと思う。どう見ても、膨大な研究者がいそうだが、反民主主義的人物と糾弾されたのではたまらないから、「訓詁学」という閉ざされた世界のなかで仕事をしているのではないか。たいした分量の書でもないから、おそらく、細かな点での議論をする以外に手がなかろう。そんな蛸壺生活を止め、広い視野で、一般人にも語りかけて欲しいところ。

こんなことを書けばおわかりだと思うが、小生は、古事記が振りまいた皇国史観がファシズム国家を作り上げたとは見ない。ファシズムを煽ったのはもっぱら日本のマスコミと考えるからである。はっきり言えば、戦争に追い込んだのは、ジャーナリスト達。
言うまでもないが、これを全く教訓化できていないから、再び危うい道に入り込む可能性は高い。

それと古事記とどういう関係があるの、ということになろうか。

古事記を読んで見ればわかるが、そこには、ファシズム的な独裁者による上位下達の管理社会などどこにも描かれていまい。つまり、この書の読み方を強制させられたにすぎない。「一つの見方」で凝り固まる人達が、その流れを作りあげてきたのである。
本来は、様々な意見を取り上げることで、偏った方向に走らないようにするためにジャーナリズムの役割があるが、日本は真逆。「官製マスコミ」でもないのに、政権とつるんで独占的地位を確立させることを最優先するのも不可思議な体質と言えよう。しかも、狭い視野で、勝手に「正しい」と考える方向に、国民を誘導したがる。その情報操作は国家以上である。ファシズム体制に抗して動くのではなく、それを招こうと動いているようなもの。

古事記の天皇像を見れば誰だって驚くのが普通ではなかろうか。無謬どころか、トンデモない姿があられもなく描かれているからだ。人倫に反するというより、まさに悪逆非道の反道徳的行為を行ったとはっきり記載してある。なかには、忌み嫌われる近親相姦をものともせず、恋に生きたお姿も。現代感覚からすれば、それこそヒトの性というものであり、思わずホロリとさせられる訳だが。
しかも、安定した皇位継承がなかったことが示されている。始終、天皇の地位簒奪の動きだらけ。兄弟での血みどろの抗争など当たり前。さらには、家臣から暗殺されたり、周囲から嫌われ、独裁どころか実権を奪われてしまうことさえある。
これが万世一系を誇るための内容としてピッタリと言える理由を教えて欲しいものである。
各地の平定にしても、騙まし討ちシーンだらけ。どう見ても、上手くやったぜ感芬々。ここには、日本人が好むと言われている武士道精神の欠片も感じられまい。

小生が一番面白いと思ったのは、日本社会の体質をよく表していそうな記載部分。・・・
国つ神の頂点に立つ神が、なんと天つ神からの「国譲り」要求に対して、返答できないのである。その権限は自分にはないと言い放つのだから、一体、コリャなんだの世界。土着神は一応ヒエラルキー上の地位はあるが、それは見せ掛けだけで、分散型権力が実態ということらしい。
それじゃ、天つ神なら違うかといえば、そうとも言えない。「天孫降臨」を命じられたら、常識的には光栄の極みと言い放って、即刻動くものではなかろうか。ところが、それを平然とお断りし、その役割を子供に回すのだ。思わす、唖然。
そこには現代の感覚とは違う世界があるということだろう。
繰り返すが、だからこそ、古事記は第一級の「歴史書」なのだと思う。

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