古事記の天皇名を眺めて 古事記での名前から、天皇の命名ルールを推し量るのは難しい。どうしても○○天皇という漢字名で書きたくなる。便利ではあるが、諡号/おくり名は、中国王朝に対応し、後から急いで始めたものでしかなかろう。従って、諡号創作時点での各天皇の位置付けと、その漢字イメージに引き摺られて、見る目が曇る気がしてくる。 そこで、古事記での名称を一覧にして眺めてみた。 諡号で「神」として扱われるのは、神武[1]、崇神[10]、応神[15](+神功皇后)であるが、古事記は冷徹であり、初代と次代のみ。 「天」は、初代以前が天津日高日子との名称で使われるのみで、当然のこと。唯一、第29代に「天国」となっているのはどういうおとなのだろうか。時あたかも、百済より仏教伝来。 (註:天智[36]は殷紂王の焼身自殺の携帯品天智玉」から。天武[40]は周武王から。) 和の武勇伝的お話として喜ばれるのは、「倭建」だが、上巻ですでに明らかになっているように、武力的に猛々しい特徴があると、「建」という文字があてがわれる。(尤も、降臨を命じられ拒否して子にその役割をさせた天津日高日子波限建鵜葺草葺不合は建物の意味のようだが。) 中・下巻で該当するのは、大長谷若建[21]、広国押建金目[27]、建小広国押楯[28]である。第21代は倭王国の力を列島に広げた立役者。第27/28代は老齢で即位したと思われる上、短期間であるから、軍隊派遣に熱心だったということではなかろうか。もちろん、半島の傭兵として。 古事記では「建」とされていないが、一般的にはその範疇と考えられているのが第25代[武烈]。驚くべき悪逆非道ぶりを示しており、現代のセンスならソリャそうだとなるのかも。古事記の世界では、それは「建」ではなく、皇子無き状況を悲観して精神的に安定していなかっただけとされていそう。だからこその鳥の「雀」という漢字ではないかと。音を表すだけなら、他の漢字でもよかった筈で、場当たり的な動きだらけの体質を示しているような気がする。 第32代も同様かも。蘇我氏の操り人形的状態で即位したものの、すぐに敵対者とみなされて暗殺される始末。 そして、第16代も。寵愛する妃をあれこれと代えたゴタゴタ話の張本人である。 こんな風に見ていくと、古事記の歴史書としての全体構造も自然にわかってくる感じ。 「神」の2代を除けば、天皇家の歴史で画期をなした天皇とは、初の「大倭」出自たる第4代と、下巻の筆頭に記載される第16代ということ。 前者の「大倭ヒコ」とは、日本列島を代表するのが大和地区であり、そこで王権を握っている血族が国家の象徴となるというルールを作り上げた天皇ということ。中巻は、そのルール定着化に係わる事績のハイライト。・・・奈良盆地外に都が築かれたこともあるが、ともあれ大和地区を支配していることが日本列島を支配することと同義という考え方が定まった様を中巻で描ききったのである。 一方、後者は、そんなルールが定着した状況で、天皇家が抱える文化・風土の固定化を図った初代ということになろう。 天皇とは、列島の象徴という見方が定着してしまえば、次は治世中身の充実化である。その新時代の先頭が第16代ということ。世間的には「徳」という視点で見勝ちだが、象徴役として国見儀式というか、的確な国褒めで幸せを招くのはいわば中巻のつなぎ。それも天皇家としての役割だが、最も重要な任務は婚姻関係による、勢力バランス調整であると、はっきりさせたことだろう。換言すれば、世を安定させるには、天皇家はかならずしも最強集団でなくてもよいとうこと。皇后出身氏族が最強でもよい訳である。それを滞りなく進めるために、政治に"公式に"娶り「歌」文化が持ち込まれることになったのである。 これが、下巻の真髄。小生は、下巻を読んで、仏教や儒教的倫理観が埋め込んであるとは感じなかった。と言って、叙事詩という風合いでもなく、そこには独特の風土が描かれていた。 (註:儒教的な諡号は、懿徳[4]、仁徳[16]があげられよう。) ─・──・──・──・──・──・──・──・─ <古事記で記載されている天皇一覧> *******<上巻>******* 曽祖父 - 天津日高日子番能邇々芸能[あまつ](ほのににぎの) 祖父 - 天津日高日子穂々手見(ほほでみ) or 火遠理(ほおり) 父 - 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(なぎさたけうかやふきあえず) *******<中巻>******* 子 - 若御毛沼/豊御毛沼(わかみけぬ/とよみけぬ)【@日向】 ‖ or 山佐知毘古(やまさち) 初 代 - 神倭伊波礼毘古(いわれ) 第2代 - 神沼河耳(ぬなかわみみ) 第3代 - 師木津日子玉手見[しきつ](たまてみ) 第4代 - 大倭日子鉏友(すきとも) 第5代 - 御真津日子訶恵志泥[みまつ](かえしね) 第6代 - 大倭帯日子国押人(くにおしひと) 第7代 - 大倭根子日子賦斗邇(ふとに) 第8代 - 大倭根子日子国玖琉(くにくる) 第9代 - 若倭根子日子大毘々(おおびび) 第10代 - 御真木入日子印恵[みまきいり](いにえ) 第11代 - 伊久米伊理毘古伊佐知[いくめいり](いさち) 第12代 - 大帯日子淤斯呂和氣(おしろ) 倭建 第13代 - 若帯日子(─) 第14代 - 帯中帯日子(─) 息長帯日売 第15代 - 品蛇和氣(ほむだ) *******<下巻>******* 第16代 - 大雀(おほさざき) 第17代 - 伊邪本和氣(いざほ) 第18代 - 水歯別(みづは) 第19代 - 男淺津間若子宿禰(をあさづまわくご) 第20代 - 穴穂御(あなほ) 第21代 - 大長谷若建(おほはつせ) 第22代 - 白髪大倭根子(しらに) 第23代 - 袁祁之石巣別(をけのいはす) 第24代 - 袁祁(をけ) 第25代 - 小長谷若雀(おはつせのわかささ) 第26代 - 哀本柕(おほと) 第27代 - 広国押建金目(ひろくにおしたけかなひ) 第28代 - 建小広国押楯(たけおひろくにおしたて) 第29代 - 天国押波流岐広庭(あめくにおしはるきひろにわ) 第30代 - 沼名倉太玉敷(ぬなくらふとたましき) 第31代 - 橘豊日(たちばなのとよひ) 第32代 - 長谷部若雀(はつせべのわかささぎ) 第33代 - 豊御食炊屋比売(とよみけかしきや) 古事記を読んで−INDEX >>> HOME>>> (C) 2013 RandDManagement.com |