■■■ 太安万侶史観を探る 2014.2.1 ■■■

古事記「国生み」は意味深

古事記上巻の第3期は淤能碁呂島での「国生み」である。
男女の性的営みで島が生まれるというのは、いかにも神話の世界とみなすこともできるが、極めて現実的な表現と言えなくもない。
一般的に、王の仕事は2つしかなく、民の支配者としての統治と、婚姻によって世継ぎをつくること。処女地に拠点を設定したら、王としては、イの一番に支配域拡大を手がけることになろう。しかし、魅力的な場所には、すでに別の民が存在していることが多いもの。まだ部族社会と呼べるほどの組織がない時代だとしても、先住民の地に入り込む行為はかなりのリスクを伴う筈である。島産み行為とは、御柱の霊力を頂戴しての、進出行動を始めたことを意味するのでは。

そんな感興に襲われるのは、最初の島産み行為が失敗に終わったからだ。水蛭子を産んでしまったのである。「葦船で流しすてつ」と実に淡々としたものだが、最初の試みはほとんど態をなさなかったのである。次は、流石にそこまでではなかったが、「淡島」でしかなく、期待とは程遠き状態。冷酷にも御子とは見なさなかったのである。
伊邪那岐命と伊邪那美命のビジョンというか、高天原の諸々の神々が命じたのは、大きな枠組みの統治。離島一つなど眼中になかったようだ。

ともあれ、高天原の神々が命じた、国を創る使命を帯びて天降したのだから、その失敗の原因を探るために、「天ッ~のみことを請ひたまひ」となる。そして、男女の誘いかけの後先の齟齬が問題との指摘を受ける訳だ。常識的には、この話が示唆しているのは、女系社会と男系社会の違いを踏まえないと民の統治は失敗するゾということだろう。
高天原の神々は、その辺りの文化的コンフリクトをすでに知っていたことになる。

そして、その指示に従うことで、次々と国土を広げることになる。

その順番が、最初の国家観を示すものとなっている。
先ずは、瀬戸内海の東端と南側、・・・
淤能碁呂島は同定困難だが、淡路島近隣なのは間違いあるまい。イの一番なのだから。
 (1) 淡道之穂之狭別ノ島(淡路島)
 (2) 伊豫の名ノ島(四国)
    [四面:伊豫、讃岐、粟、土佐]
次が日本海側
 (3) 隠岐ノ子ノ島(隠岐)
    ・・・実際は大きな島と3つの小さな島
 (4) 筑紫ノ島(九州)
    [四面:筑紫ノ國、豐國、肥ノ國、熊曾ノ國]
 (5) 伊岐ノ島(壱岐)
 (6) 津島(対馬)
そして、
 (7) 佐渡ノ島(佐渡島)
聖数とされていそうな、最後の番目が本州である。
 (8) 大倭豐秋津島(本州)
尚、いずれも「島」だが、「神」でもある。
上記すべてを包含する場合は「大島國」と呼ぶことになる。という数字は、尋殿でも使われているように、この時点で日本の聖数とされていたということか。

太安万侶時代の人々にとっても、このような情景は、遙か古代だが、それなりの時代感覚があった模様。
古事記下巻での記載になるが、天皇の「国見」で、これらの島が登場する。学者が実在すると太鼓判を押す天皇の事績の記載。
 <皇后に、国見に行かむと告いで出立。>
   おし照るや 難波の埼よ 出で立ちて
 <淡路島に、来てみれば、
  恋しい人のいる吉備方面を望まんとなる訳だ。
  そして、そこから、>
  我が国見れば
   淡島
   淤能碁呂島
   檳榔の島
    も見ゆ。
   佐気都島
    見ゆ。

突然、耳にしない島名が加わるので、混乱させられるものの、これが心象風景とは思えまい。現実に瀬戸内に実在していた島々と考えるべきでは。

話がそれたが、「大八島國」ということで、"網羅感"を確認するかのように、他の島々として六島が記載されている。
先ずは当然ながら、瀬戸内海。
  ・吉備の児島(岡山県児島半島)
  ・小豆島(香川県小豆島)
  ・大島(山口県屋代島)
  ・女島(大分県国東半島姫島)
「国生み」のシーンは、ほぼ全域を影響力下に収めたということだろう。そんなことが可能となった根拠は推測が難しいが、先進文化的な高天原のご威光ということだろうか。但し、それは国を治めたという意味ではなさそう。交流可能な範囲と見た方がよさそう。
さらに加えて、南シナ海に繋がる外港的な島々。
  ・知訶ノ島(長崎県五島列島)
  ・両児ノ島(長崎県五島列島南の、男女列島の男女島)
つまり、日本列島における地位確立の決め球は、瀬戸内海における海上交通差配力と考えヨというのが古事記の歴史観。海人による、瀬戸内海域制覇が日本史の出発点と主張しているのは明らか。日本の曙光は、玄界灘に面する北部九州と考えるなと言っているようにも思える。

「葦」が生える土壌をこよなく愛する人達とは異質な、山岳的な「粟」のような穀物を重視する時代ということか。それを十二分に理解した上で、すべての国々との交流を果たしながら、文化的な統合を進めてきたのが第3期「国生み」ということになろう。

(使用テキスト)
旧版岩波文庫 校注:幸田成友 1951---底本は「古訓古事記」(本居宣長)
新編日本古典文学全集 小学館 校注:山口佳紀/神野志隆光 1997

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