表紙 目次 | ■■■ 太安万侶史観を探る 2014.3.21 ■■■ 古事記から見た山信仰 「太安万侶史観を探る」も【第10期】に達した。[→] ちょっと寄り道して、現在の神社に残る「山」信仰の痕跡を点検してみよう。(海ヒコ v.s. 山ヒコという意味で見ている訳ではないので、予めおことわりしておく。) イザナギとイザナミは35柱の神を生んだ。そのなかに、風の神たる志那都比古神、木たる神の久久能智神、山の神たる大山積見神、野の神たる野椎神が含まれる。さらに、山野で、天之狭土神・国之狭土神、天之狭霧神・国之狭霧神、天之闇戸神・国之闇戸神、大戸或子神・大戸或女神を生む。固有地域の神々というよりは、地域毎の原初的な自然信仰ということだろう。 とはいえ、【大山積見神】を祭神としているのは、 ○大山祇神社 大三島の宮浦の背後の山が御神体。島内の狭い土地とはいえ、山野で生きていく訳だから、山信仰はあって当然。しかし、天皇家の歴史から見れば、ここの山は特別だったということだろう。 場所的に、瀬戸内海における要石だからだ。従って、瀬戸内勢力が生きていく上での頂点的神だったと考えてもよいのでは。 ちなみに、瀬戸内勢力の力を十二分に発揮するには、イザナギが禊で生んだ玄海灘域の安曇氏の綿津見三神(渡海神)と、大阪湾域の湊である墨江の箇之男三神(津々浦々神)の補佐は不可欠である。 イザナミは出雲の奥地の黄泉の国に住むことになるが、イサナギは国生みの先頭に来る淡路の多賀に座すとされており、瀬戸内海は本貫地扱いされている訳である。 敗北して国譲りを強要された、いかにも軍神的な【建御名方神】が祀られているのは、 ○諏訪大社 山国たる科野国の歴史は古そうだし、蓼科山麓に存在するとはいえ、この神社が山信仰と関係しているとは言い難いのでは。木柱信仰が核で、鹿生贄儀式も存在するから、上記では、木の神や風の神が本流と考えるべきだろう。 同じ山の神でも、【山津見 八神】(正鹿山津見神、淤縢山津見神、奥山津見神、闇山津見神、志芸山津見神、羽山津見神、原山津見神、戸山津見神)は出自が異なる。イザナギが斬首した迦具土神の遺体各部から生まれるのである。 こちらの信仰の典型は、 ○三嶋大社 御島の山が御神体。火山信仰だが、その噴火の威力を称えるとか、鎮まって欲しいということよりは、黒曜石の存在が大きかろう。石を見つけて、それを本州に持ち込む力は超人的であり、その力の源泉たる神霊をお祀りしていると見るべきだと思う。山神と対として海辺の女神信仰があるのも理解できる。 ○白濱神社 従って、三嶋大社は、噴火する山を信仰対象とする流れとは合流しない。言うまでもないが、富士山信仰のこと。こちらは、【木花開耶姫】がご祭神とされている。(大山津見神の娘。邇邇芸命の妃。火照命、火須勢理命、火遠理命/日子種穂手見命の母。)由緒ありそうに映るが、山津見信仰と比較すれば、新興宗教といえよう。おそらく、仏教と習合した修験道だと思われる。小生は、原始の山信仰と習合していないと見る。 ○富士山本宮浅間大社 例えば、冬至のダイヤモンド富士で知られる高尾山は密教寺院である。 白山、月山、石鎚山、等の大きな山も、それぞれの地域で力を持った仏教宗派の布教の上に成り立ってきた信仰対象ではなかろうか。と言っても、神社もあるが。その場合は、山と言うより、源流信仰からでは。 ○白山比盗_社 そうそう、高尾山の特徴を見ると、天狗信仰の存在が特徴的。従って、神社でも天狗が登場する場合は、実態的には、山岳仏教系宗派の可能性があるのではなかろうか。 ○秋葉神社(ご祭神:迦具土神) ○愛宕神社 迦具土神斬首では、剣の柄に着いた血からも【闇淤加美神・闇御津羽神】が生まれている。この場合は、山津見信仰に付随する源流地信仰と見てよさそう。 典型は、 ○貴船神社 鞍馬山尖峰が御神体だろうが、水神信仰と見た。 一方、黄泉国でのイザナミの遺体から生まれた【八雷神】(大雷 、火雷 、黒雷 、柝雷 、若雷 、土雷 、鳴雷 、伏雷)への信奉も篤いものがあろう。もちろん、山津見信仰に付随しての話。 こちらは、 ○賀茂別雷神社 背後の神山が御神体。と言っても、カモ氏の部族祖信仰のシンボルである。三輪山御神体たる大物主の子であり、蛇神でもあるオオタタネコが祖と記載されており、三輪山の代替山とされているのだろう。 前述したように、大山積神は一般的でもあるが、天皇家の歴史からすれば、瀬戸内での力の神でもある。従って、その娘神大市比売命とスサノヲとの間に生まれた御子神は、特別な山信仰を意味することになろう。 【宇迦之御魂】 ○伏見稲荷大社 【大歳神】 ○大歳神社 前者は稲荷山が御神体である。その後、空海が精力的に布教したきらいもあるので、習合の影響で大変身してしまったが、出自としては、耕作技術をもたらした氏族の信仰だった可能性が高かろう。 後者は、山津見信仰にかぶせていないように見えるが、その系譜は凄まじいものがある。天知迦流美豆比売神との間に10御子神を生んだからだ。(奥津日子神、奥津比売命/大戸比売神、大山咋神/山末之大主神/鳴鏑神、庭津日神、阿須波神、波比岐神、香山戸臣神、羽山戸神、庭高津日神、大土神/土之御祖神) 【大山咋神】は近淡海国の日枝山と葛野の松尾に座すとされる。 ここまで時代が進むと、山は地域開発のシンボルと化しているように見える。 ○日吉大社 背後の比叡山が御神体で、近海淡海地域の地主だろう。最澄の布教活動で地域社から大きく発展したということだと思う。 ○松尾大社 背後の松尾山が御神体で、山城・丹波地域の地主のようだ。 前述したオオタタネコの父が【大物主大神】だが、御諸の山の大国主の幸魂とされる。 三輪山のことであり、御神体としている神社は、 ○大神神社 拝殿だけしかないので、神社の原型とされている。 と言うことは、本家本元の【大国主命】も、もともとの名称オオアナムジが八雲山出自を示している可能性も。国ッ神でありながら、天ッ神にも近い位置に住む場を与えてもらったから、山の話は微塵も記載されていないが。もっとも、降臨するのはお社中心の心御柱で山とは無縁だが。 ○出雲大社 そんな風に考えると、仏教と習合した歴史のため、系譜がよくわからなくなっていても、同様な山信仰が原点にあると見てよさそうな神社がある。象頭山と由加山は瀬戸内展開では重要な位置を占めており、大三島だけではなかったと思えるから。ただ、こちらは古事記には触れられていないようだ。 ○金刀比羅宮(ご祭神:大物主命) ○由加神社 金刀比羅の元であるクンビーラはガンジス川に棲む鰐の神格化した水神。古事記における、因幡と隠岐間の塊状移動話の鰐とつながりがあるのかも。 尚、熊野大社も、神倉山麓に鎮座していたと言われたり、山信仰に映る。しかも、ここは、霊剣の威力が発揮され、カムヤマトイワレビコが「天つ神御子」となる場所だから、当然の山信仰と考え勝ち。しかし、どう見ても、ご祭神は、木の精霊(河原の森)、海の魂(速玉)、水源神(那智滝)である。 鹽竃神社を山の神と見る訳にはいかないが、祀られている場所は一森山。それと似たようなものかも。 後、ご祭神がスサノヲで山信仰風の神社もあるが、これはかなり近代になって始まった厄病退治のご祈祷の流れで生まれたものだと思う。荒ぶる神ならご利益ありという発想であり、古事記の世界ではありえないのではなかろうか。 古事記を読んで−INDEX >>> HOME>>> (C) 2014 RandDManagement.com |