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■■■ 太安万侶史観を探る 2014.7.27 ■■■


古事記上巻に龍の記載無し

ウガヤフキアエズ尊は山佐知毘古と豊玉毘売(海神 ワタ津見神の娘)の御子だが、このヒメは鰐だったとされている。
この鰐だが、海神の宮からの帰還を担当した訳だし、稲葉之素莵の話にも登場してくるから、驚くような話ではないが、天皇の系譜に直接関係するのだから、特別扱いされている筈である。
それに、古事記では極めて限定的な記述内容でもあり、注意を払って読むべき箇所だと思う。もっとも、そう感じない人もいるかも。

小生は、ここでの鰐は、中華帝国の「龍」に該当していると見る。
逆に言えば、龍という概念は倭になじまなかったので、そのまま鰐という表現になっているということ。
想像力を働かせた架空の動物の存在を信じる「龍」文化は拒絶され、あくまでも図鑑に載せることができる動物だけが存在する世界に生きていたと言えよう。

しかし、100%そうだとは言い切れない。
「八俣ノ大蛇」が登場するからである。日本では鰐の化石は出土しているが、大蛇が存在したという話は聞いたことがない。従って、大蛇は伝聞の動物であるが、頭と尾が8つある動物が存在していると信じたとは思えない。
それは明らかに空想上というか、別世界でしか通用しない代物。

常識的に考えれば、年中行事的に氾濫を繰り返す斐伊川の表象であり、尾から刀を得たところを見ると、鉄鉱石の存在を暗示していると見るのが自然。
しかし、空想で突拍子もない動物を創作することを好まない風土だとしたら、こうした記述は異常。
となると、「八俣ノ大蛇」とは、大陸から「龍」の概念をそのままもってきたと考えるのが自然では。つまり、この事績は外来思想の「龍」退治でもある。

但し、これは中華帝国の皇帝標章である「龍」とは似ても似つかぬものとして描かれている。「龍」といっても、それはチグリス-ユーフラテス地域で崇められていたような多頭ドラゴンなのである。もっとも、少々の違いはある。あちらは、7頭の大蛇(多分、大きなコブラ)だからだ。
このような表象を持ってきたのは、中国の「龍」の発祥元はココということなのでは。その感覚は、少々わかりにくいかも知れぬが。

こうした見方に飛躍を感じてしまう理由は単純で、中華帝国の主流である「龍」は、空を飛ぶ帝王の乗り物イメージが強いからだ。天から下りてくるものと、地上を這う蛇とは違いすぎる。
実際、古事記でも、魂を運んでいるかのように感じさせる箇所で登場するのは鳥。天から下りるのも鳥船。蛇が関与することはない。

それに、「八俣ノ大蛇」と「龍」の大きな違いは、「珠」の有無。中華の龍に珠はつきものだが、それとは全く異なる剣が出てくるのだ。
しかし、これこそが倭の解釈とはいえまいか。
中華帝国とは天帝が治めるのだが、それは言葉の綾であり、基本的に武力支配で成り立っているのは明らか。つまり、実態としては、珠で治める風土ではなく、剣が差配する世界なのである。
要するに、中華帝国の本性は血を流し地を蠢く蛇だと指摘しているようなもの。中華の龍とは「赤龍」であり、倭はそれを受け入れないと宣言したようなもの。

葦原色許男神の根の国での対応を見てわかるが、倭の蛇は比礼(スカーフ)で鎮まるもの。決して、殺す必要はないのである。
それは、ムカデにしても同じ。それなりの態度で臨めば穏やかに併存可能なのだ。
こちらは「黒龍」かも。山地の暗い岩戸内に棲むということで。

そういうことだと、冒頭で述べた鰐は「青龍」に当たる。東に位置する水辺の王者ということ。怒らせたりしなければ、実に優しそうな動物といったイメージが作られていそう。

このように眺めると、赤、黒、青のどれも地の王者。河、泉、海ということで、水神的な表象にはなるが、天空を飛ぶイメージは皆無。しかし、中華帝国では、皇帝を天に運ぶ役割を果たすから、これらとは違う系譜で生まれたに違いない。
なんと言っても不思議なのは、羽が無い点。雲に運んでもらうということなのだろうか。
それはともかく、飛翔イメージが強いから、白鳥あるいは鷲も「龍」と見なしてもよいのかも。そうなると、それは「白龍」か。
ここまでくると、滅茶苦茶な見方と言ってもよかろうが、実は、このハチャメチャこそが「龍」という概念の持つ本質では。習合を実現するために、新たな表象を考案する訳で、なんでもありなのだ。要するに、習合することで、龍がすべての頂点に立つことになる。それだけの話。
これぞ「漢化」というか、「中華」思想の真髄だと思う。
太安万侶はこの思想を嫌っていたというか、口誦伝承はそれとは正反対の心情から成り立っていたことに気付いたのだと思う。

ちなみに、龍の頂点は、赤、黒、青、白を含んだ巨大表象たる「黄龍」。黄河の龍だ。
西域から渡来したドラゴンのように、蛇信仰の分派を、頭を増やして習合するようなことをせず、様々な標章を習合させることで、統合を図ったのである。
中原にも蛇は存在したが、コブラのような恐ろしさはなかった筈。従って、最初の習合は、恐ろしさを欠くものだった可能性は高い。地を這うのではなく、空中を飛び跳ねるタイプから始まった可能性が一番高そう。そうなると、角を持つ「鹿」と、牙を持つ「野猪」が有力候補である。

古事記にも、「鹿」と「野猪」が登場してくるのは言うまでもない。しかし、倭では、それらを習合させるようなことはしないのである。これらが、神の標章を運ぶことはあっても、それ以上の役割を果たすことは無いのだ。

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