[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.10.2] ■■■ [1] 畝火 白檮原宮 【はじめに】 日本では、歴史の時代区分は政治の中心地の地名で記載することになっている。このことは何度か書いたことがあるが、お読みになったとしてもお気に留める人は滅多にいないだろう。 《先史[無文字]》 (無土器時代) (代表地を特定できない土器形式の時代) ("弥生"町で出土したパターンの土器が使われていた時代) 《プレ古代》 大和の時代(前方後円墳) 《古代[律令国家]》 飛鳥の時代(仏教伝来) 奈良の時代 藤原京(白鳳) 平城京(天平) 平安京の時代 大内裏(遣唐) 摂関邸(国風) 北面(院政) 《中世[中央集権国家]》 福原京(平清盛) 鎌倉の時代 室町の時代 京都北山 v.s. 吉野(南北朝) 京都東山(戦国) 《近世[封建制権力分散国家]》 安土城の時代(織田) 桃山/大阪城の時代(豊臣) 江戸の時代(徳川) 江戸屋敷+出島(初期:参勤交代+鎖国) 上方商家(中期:元禄文化) 江戸町方地(後期:改革) 《近代[市民国家]》 (幕末期:薩長) 東京宮城の時代 《現代[第二次世界大戦後の秩序]》 第一生命館の時代(GHQ) 永田町の時代 宗族宗教の大陸ではこのような感覚は生まれない。"神武期"とか"明治時代"という呼称は、中華帝国的な発想である。もちろん、それが東アジアの標準である。 「古事記」の記載は、上記から言えば、《プレ古代》"大和の時代(前方後円墳…正確には、非前方後円墳も含まれる。)"と《先史[無文字]》を対象にしている。 何故に、こんなことを書いているか不思議に思うかも知れぬが、センスの違いとしてご理解いただければ幸甚。 マ、そういう訳で、この感覚で"大和の時代"の「宮」地の変遷を眺めてみることにした。 (一般に通用する宮・御陵の比定地に信憑性ありと本気で考えている人は稀。もともと、文献記載名称、地名、伝承といったモト情報それ自体の信頼性に疑問があるものだらけだし、各地の政治的要求や様々な勢力の損得勘定を勘案して決めるしかないから当然と言えよう。古代に関しては、魏志倭人伝の漢字の読み一つでも、ヤマタイ、ヤマイ、ヤマトの3説があるし、「古事記」降臨モデル地にしても、霧島、高千穂、北九州の3説が存在するのが現実。素人から見れば非常識な論拠としか思えなくとも、強引に比定してしまうのがこの世界の常識。マ、「古事記」の歴史観を得たいなら、宮地と御陵地のだいたいの位置さえわかれば十分。) 【初代の宮】 初代天皇 神倭伊波礼毘古命神武天皇の宮は畝火之白檮原宮。御陵は畝火山之北方白檮尾上。137歳崩御である。 ただ、初代〜9代までのすべての天皇が、後世の仮託とされている。 宮の場所は示されてはいるが、即位後の事跡が何一つ語られていないから、そう見られても致し方あるまい。ただ、皆無ではない。狭井川川上の須気余理比売命と一夜を共にし3御子を授かったとされているし、その後の熾烈な皇位継承争い話はあるからだ。 マ、常識で考えられぬ137歳との記載もあるから、数合わせの創作と考えたくなるのはわからないことはないが。 それに、御陵地も江戸中期になって検討が開始されたと言う。宮地に至っては明治期に想定されたほど。忘れ去られていた伝承が突然復活した訳だが、そこらの経緯も有耶無耶な説明だらけなのも大きい。 しかし、伝承には荒唐無稽なものが多いのは当たり前で、それを現代の常識で判断してフィクションであると解説しても無意味なのは当たり前。「古事記」は国家の正史ではないのだから、わざわざ作り話を入れ込む必要など無いのであり、そこに伝えたいことが含まれているに違いなく、その歴史観を読み取る必要があろう。 どのように歴史を見るべきか、貴重な示唆が含まれているに違いないのだから。 ┼↓曽我川 ┼│┼┼┼↓近鉄 ┼│┼┼┼│↓R169 ┼│┼┼⊥││←衝田岡陵◇2 ┼│┼┼⊥││←畝火山北方白檮尾上陵◇1☚ ┼│┼▲┼○│←畝傍山 うねびごりょうまえ駅 ┼│⊥┼┼││←畝火山之真名子谷上陵◇4 ┼│┼┼⛩││←橿原神宮≒畝火之白檮原宮◆1☚ ┼│┼⊥┼││←畝傍山之美富登陵◇3 ┼│┼┼■││←深田池 ──○──○│←にしぐち駅 かしわらじんぐうまえ駅 ┼│┼┼┼││ ┼│┼┼┼││┼┼┼┼■⊥←剣池 剣池之中岡上◇8 ┼│┼┼┼││┼┼∴←軽島明宮◆15 ┼│┼┼┼││┼┼卍←法綸寺(軽寺) ┼├──┐││┼∴←(大軽)丸山古墳◇29=軽之境岡宮◆4 ┼┼┼⛩│││←牟佐坐神社=軽之堺原宮◆8 ┼┼┼┼│○│←おかでら駅 ┼┼┼┼│││ ┼┼┼┼│ ┼┼┼┼↑檜前川 【鉄道駅名】[→] 《近鉄》 ┼│ ┼○八木西口駅 ┼│ ┼○畝傍御陵前駅 ┼│ ┌●橿原神宮前駅 └──────┐ ┼│┼┼┼┼┼○橿原神宮西口駅 ┼│┼┼┼┼┼│ ┼│┼┼┼┼┼○坊城駅 ┼│┼┼┼┼┼│ ┼│┼┼┼┼┼○浮孔駅 ┼│┼┼┼┼┼│ ┼│┼┼┼┼┼○高田市駅 ┼│┼┼┼┼┼│ ┼○岡寺駅 ┼│ ┼○飛鳥駅 ┼│ 【即位以前の宮】 海路の途中の宮もあげておこう。 高千穂宮◆ ↓ 日向国 出発 ↓ 足一騰宮@豊国宇沙◆ ↓ 岡田宮@筑紫国◆…1年 ↓ 多祁理宮@安芸国◆…7年 ↓ 高嶋宮@吉備国◆…8年 ↓ 速吸門…水先案内人 槁根津彦(祖:倭国造) ↓ 浪速水路 ↓ 白肩津 ↓ 楯津/日下蓼津 ↓ 血沼の海 ↓ 紀国 男水門…神倭伊波礼毘古命の兄 五瀬命崩御 ↓ 竈山陵@紀国◇ ┼南海本線┼┼┼┼JR阪和線 ┼│┼┼┼┼┼┼│ ┼│和歌山市駅┼○紀伊中ノ 島駅 ┼◎─〇紀和駅─◎和歌山駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼○田中口駅─○日前宮 ┼┼┼┼┼┼┼┼○宮前駅┼┼○神前 ┼┼┼┼┼┼┼┼│⛩⊥┼┼┼└─わかやま電鉄 ┼┼┼┼┼┼┼┼│↑竈山神社 円墳=竈山陵◇ ┼┼┼┼┼┼┼┼○紀三井寺駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼│ ┼┼┼┼┼┼┼┼JR紀勢本線 【鉄道駅名】[→] 【即位後の事績 須気余理比売命との婚姻譚に於ける狭井川の地名起源注記について】 其の河の佐韋(さゐ)河と謂ふ由は、其の河辺に山由理草(やまゆりくさ)多に在る故、其の山由理草の名を取り佐韋河と号也。山由理草の本の名は佐韋と云ふ也。 驚くことに、ヤマユリという植物の名前を"さゐ"と呼んだ例は無いそうだ。大神神社の祭り伝承があり、神楽の歌詞とすれば、"音"による暗喩の可能性も。暴論とことわっているが、笑いを呼ぶ冗談話と見なすこともできるそうだ。・・・ユリ(後に)は、実はもともとはサキ(先に)だった。[三浦佑之:「<佐韋>考−山由理草之本名をめぐって」大美和(大神神社) 96, 1999] "「古事記」中巻とは、その手の内容ですゼ"とご注意喚起文として挿入されている訳だ。 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |