[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.10.5] ■■■ [4] 軽之境岡宮 4代 大倭日子鉏友命懿徳天皇の宮は橿原の軽之境岡宮。 御陵は橿原の畝傍山之真名子谷上。45歳崩御。 天皇┬天皇賦登麻和訶比売命/飯日比売命(師木県主の先祖) ┼┼├─御真津日子訶恵志泥命⇒皇位継承[5] ┼┼└─多芸志比古命(祖:血沼別, 多遅麻竹別, 葦井稲寸) 軽という地名は萬葉集に登場する。頻繁に通る道筋だったようだ。現代で言えば、国道169号線の交通要衝地と言うことになろう。これは、概略、北側にある藤原京の西側を走る南北路"下ツ道"に該当する。(藤原京東側の"中ツ道"は天の香久山辺りに行き着く。) ▼柿本朝臣人麿が、妻の死りし後、泣血哀慟よめる歌二首、また短歌[巻二#207] 天飛ぶや 輕の路は 我妹子が 里にしあれば・・・ ・・・玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず・・・ ▼[巻十一#2656] 天飛ぶや 軽の社の 斎槻 幾代まであらむ 隠り妻そも 軽の境に、岡らしきものがあるようには思えないが、後世に造られた古墳がその跡を消滅したのではないか。 ┼↓曽我川 ┼│┼┼┼↓近鉄 ┼│┼┼┼│↓R169 ┼│┼┼⊥││←衝田岡陵◇2 ┼│┼┼⊥││←畝火山北方白檮尾上陵◇1 ┼│┼▲┼○│←畝傍山 うねびごりょうまえ駅 ┼│⊥┼┼││←畝火山之真名子谷上陵◇4☚ ┼│┼┼⛩││←橿原神宮≒畝火之白檮原宮◆1 ┼│┼⊥┼││←畝傍山之美富登陵◇3 ┼│┼┼■││←深田池 ──○──○│←にしぐち駅 かしわらじんぐうまえ駅 ┼│┼┼┼││ ┼│┼┼┼││┼┼┼┼■⊥←剣池 剣池之中岡上◇8 ┼│┼┼┼││┼┼∴←軽島明宮◆15 ┼│┼┼┼││┼┼卍←法綸寺(軽寺) ┼├──┐││┼∴←(大軽)丸山古墳◇29=軽之境岡宮◆4☚ ┼┼┼⛩│││←牟佐坐神社=軽之堺原宮◆8 ┼┼┼┼│○│←おかでら駅 ┼┼┼┼│││ ┼┼┼┼│ ┼┼┼┼↑檜前川 【鉄道駅名】[→] 【付記】 「万葉集」は簡単に意味がわかる歌集ではない点で、「古事記」と似ている。つまり、「古事記」を読み取るためには、同様なセンスを必要とすると言うこと。 「古事記」は公的文書の史書ではなく、神権政治の叙事詩であり、歌謡のための記録書として編纂されている。その観点で無用なものは削除されるし、優れて美的な話は推敲され尽くしている。伝承譚を昇華しつくした作品と考えるべきだ。当然ながら、漢字の読み方や、注釈がついているし、接続詞が多様される。語調によっては前後入れ替えもされている筈。だが、伝承"事実"には忠実な筈である。それが命だからだ。 中華帝国の文献等との整合性も考える必要があり、国家的威信が第一義の"国史"たる「日本書紀」とは目的が全く異なる。当然、内容は違ってくる。従って、他に情報原が無いからといって、参照しても意味は薄いし、古事記のセンスをつかみづらくなりかねない。 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |