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■■■ 古代の都 [2018.10.11] ■■■
[10] 師木水垣宮

考古学的に実在と見てもよさそうな、10代 御真木入日子印恵命崇神天皇の宮は師木水垣宮。
御陵は山邊道勾之岡上。318年[戊寅]に168歳で崩御。

記載されている系譜を示しておこう。

天皇┬遠津年魚目目微比売(木国造荒河刀弁の息女)
┼┼├─豊木入日子命(祖:上毛野君, 下毛野君)
┼┼└─豊入日売命(伊勢大神宮を拝祭)

天皇┬意富阿麻比売(祖:尾張連)
┼┼├─大入杵命(祖:能登臣)
┼┼├─八坂之入日子命
┼┼├─沼名木之入日売命
┼┼└─十市之入日売命

天皇┬御真津比売命(大毘古命の息女)
┼┼├─伊玖米入日子伊沙知命⇒皇位継承[11]
┼┼├─伊邪能真若命
┼┼├─国片比売命
┼┼├─千千都久和比売命
┼┼├─伊賀比売命
┼┼└─倭日子命(初事績:陵に人垣)

"日子/日売"が、今迄の西側葛城地区を避け、朝日が昇る方向の三輪山〜巻向山の麓に、"入っていらした"ことを高らかに掲げた名前が並ぶ。
  [10]御眞木入日子印惠命(崇神天皇)
  豊木入日子(祖:上毛野君, 下毛野君)
  入日売命(伊勢大神宮を拝祭)
  八坂之入日子
  十市之入日売
  伊玖米入日子伊沙知命⇒皇位継承[11]

ついに、上毛野(群馬)/下毛野(栃木)と能登も平定され、国の統治に組み込まれたことも記されている。
各地を帰順させていったのである。
 大毘古命⇒越の道
 建沼河別命(大毘古命の子)⇒東方十二道
 日子坐王⇒丹波(玖賀耳之御笠を殺害)
ただ、順調という訳にもいかず、山城国建波邇安王の反乱の動きを越で知り対処に成功。
この親子は2方面から平定を進め、会津で出会う。

こうした話は、いかにも時代感覚を伝える話になっているが、伊勢神宮斎宮を示唆する系譜話だけはいかにも唐突。
祭祀専門集団の国家的管理を始めた象徴的事績ということだろうか。疫病蔓延への政治的対応策と言うことで。
 ○大美和の大神@御諸山…意富多多泥古命(神君 鴨君の祖)
 ○"天の八十平瓮"…伊迦賀色許男命
 ○天神・地祇の社神・河の瀬の神…幣帛

「古事記」では、"爾天下太平、人民富榮。"の時代と記載されており、国家の仕組みが整ったことを示していると思われる。
それを端的に示すのが"初令貢男弓端之調、女手末之調。"
国家の基盤である徴税制度が始まったことを意味しよう。そして、特記すべき事績は大和川下流の依網池(大依羅神社近辺(摂津住吉庭井)〜松原市北西(河内丹比依羅郷)に造られた大規模農業用水用溜池)と軽の酒折池(比定地が無いらしいから、流れ下る河の途中に池を造成する技法名と考えるべきか。ただ、それは名目であり、古墳創りの土の調達手段にすぎないとも言える。)の造成。

だからこそ「初國之御眞木天皇」と呼ばれて当然と言うのが「古事記」編者の見方。

宮も御陵も盆地西の葛城地区ではないし、北の現在の奈良中心街でもない。三輪山〜巻向山の西麓を通る"山の辺の道"沿いに造成されたのである。最近は風景が変わってしまったが、今もって残存古墳だらけの地域。

なんといっても注目に値するのは墳墓として目立つようになった点と、様式が標準化された点。葛城地区では部族集合体政権なため統一性を欠いていたようだが、ついに祭祀による統一国家がうなれたことになろう。

┼┼↓桜井線
┼┼↓R
┼┼┼┼ ←やなぎもと駅
┼┼ ←行燈山古墳=山邊道勾之岡上◇10
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┼┼ ←渋谷向山古墳=山邊之道上◇12
┼┼┼┼ ←巻向山
┼┼ ←まきむく駅 磯城之玉垣宮◆11
┼┼└┐ ←穴師坐兵主神社
┌──┘ ←纒向之日代宮◆12
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│ ←箸墓古墳
┌────── ←巻向川
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 ←狭井神社
 ←大神神社 三輪山
 ←みわ駅
 ←御県神社=師木水垣宮◆10

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└─────────────── ←初瀬川


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