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■■■ 古代の都 [2018.10.13] ■■■
[12] 纒向之日代宮

12代 大帶日子淤斯呂和気天皇景行天皇の宮は纒向之日代宮。
御陵は山邊之道上。137歳崩御。

倭建命に関する伝承話と関係する天皇として扱われている。北九州の筑後平野や東北の仙台平野まで統治したことになる。
各地を制圧した皇軍の将といえども、あくまでも中央政権の下での活動である。一段落してしまえば、当然ながら軋轢が生じた筈だが、巨大な墳墓で権威を高めることに成功を収めている天皇の地位を崩すことはできないかったということだろう。

記載されている系譜を示しておこう。

天皇┬針間伊那毘能大郎女(吉備臣の祖 若建吉備津日子の娘)
┼┼├─櫛角別王
┼┼├─大碓命
┼┼├─小碓命/倭男具那命…【太子】倭建命
┼┼├─倭根子命
┼┼└─神櫛王
天皇┬八坂之入日売命(八尺入日子命の娘)
┼┼├─【太子】若帯日子命⇒皇位継承[13]
┼┼├─【太子】五百木之入日売命
┼┼├─押別命
┼┼└─五百木之入日賣命
天皇┬(妾)
┼┼├─豊戸別王
┼┼└─沼代郎女
天皇┬(妾)
┼┼├─沼名木郎女
┼┼├─香余理比売命
┼┼├─若木之入日子王
┼┼├─吉備之兄日子王
┼┼├─高木比売命
┼┼└─弟比売命
天皇┬日向 美波迦斯毘売
┼┼└─豊国別
天皇┬伊那毘能若郎女(伊那毘能大郎女の妹)
┼┼├─真若王
┼┼└─日子人之大兄王
天皇┬訶具漏比売(倭建命の曽孫 須売伊呂大中日子王の娘)
┼┼└─大枝王/大江王┬(庶妹)銀王
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ├─大名方王
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ └─大中比売命
(御子:所録21王, 未記載記59王)  倭建命の系譜は別途見ることに。
さらに"入日"名が続いている。…
八坂之入日売命、【太子】若帯日子命⇒皇位継承[13]【太子】五百木之入日売命、五百木之入日賣命、(妾の御子)若木之入日子王。

倭建命による武力制圧話が中心なので、実行政策には、ほんの少々触れているにすぎない。
  【事績】
田部制定…農業監察組織
東の淡(安房)水門(港)…西は四国
膳の大伴部制定
倭屯家…中央直轄田圃
坂手池造成 堤に竹植栽
 ・・・おそらく田原本辺りの溜池と思われる。
    (現在も沢山の池が残存している。)

↓近鉄
┼┼┼┼┼┼↓桜井線
○石見┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼│  ←法貫寺池神社
┼┼┼┼┼○柳本
○田原本┼┼
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼○巻向
○傘縫┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼

ところで、天皇名に使われている和気だが、別でもある。淡路島や隠岐島を淡道之穂之狭別島や天之忍許呂別とも呼んでいるし、土佐は建依別、筑紫を白日別、豊国を豊日別、肥国を建日向日豊久士比泥別、熊曽国を建日別といった具合に使われている。どう考えても、一地域での神権を割譲した言葉だ。そうなると、本流ではない天皇というニュアンスを与えるための名称かも。
12代以降も使われているが。・・・
 [12]大帶日子淤斯呂和気命
 [15]品陀和気命/大鞆和気命
 [17]大江之伊邪本和気命
 [18]蝮之水歯別命
 [23]袁祁王之石巣別命

10代によって、政祭の掟が定められた訳で、広大も、宮地は三輪山〜巻向山〜柳本の山の辺道周辺になり、御陵もその近辺ということになる筈だとおもわれるが、11代の御陵は外れた地のようだ。
  師木水垣宮◆10⇒山邊道勾之岡上◇10
  磯城之玉垣宮◆11⇒菅原之御立野中陵◇11@尼ケ辻[佐紀の南西]
  纒向之日代宮◆12⇒渋谷向山古墳◇12

┼┼↓桜井線
┼┼↓R
┼┼┼┼ ←やなぎもと駅
┼┼ ←行燈山古墳=山邊道勾之岡上◇10
┼┼┼┼
┼┼┼┼
┼┼┼┼
┼┼┼┼
┼┼ ←渋谷向山古墳=山邊之道上◇12
┼┼┼┼ ←巻向山
┼┼ ←まきむく駅 磯城之玉垣宮◆11
┼┼└┐ ←穴師坐兵主神社
┌──┘ ←纒向之日代宮◆12
┼┼┼
│ ←箸墓古墳
┌────── ←巻向川
┼┼∨∨∨


 ←狭井神社
 ←大神神社 三輪山
 ←みわ駅
 ←御県神社=師木水垣宮◆10

┼┼ΛΛΛΛΛ
└─────────────── ←初瀬川


【鉄道駅名】[→]

この天皇にかんしては、影が薄く、もっぱら倭建命の各地征服の動きの歌謡だらけ。悲劇で話は締めくくられるのだが、魂は、八尋白智鳥(白鳥)となって能褒野@鈴鹿の御陵から飛んで行き、河内国志幾に降りてそこにも御陵が。いかにも想像のお話に聞こえるが、驚くことに、この白鳥陵の比定地が《古市古墳群》に存在する。しかも考古学的な年代推定では齟齬は感じられない。
しかし、場所はともあれ、なかなか意味深い話なのだ。倭を想いながら、往く先は奈良盆地外の古市なのだから。
従って、言いたいことはわかる。御子を地方に張り付ける統治の失敗のツケで出征せざるを得なくなったことの反省が込められているのだ。重要なのは祭祀システムを広げることではなく、祭祀を通じて偉大な武力を誇示すること。白鳥陵はそのような御陵として古市につくられたのである。
  《古市古墳群》
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←津堂城山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←喜志駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =河内多治比高◇21
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←島泉丸山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←市ノ山古墳
─○──○────○──┤   =河内之惠賀長枝陵◇19
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←仲津山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←古室山古墳 道明寺駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←岡ミサンザイ古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =河内惠賀之長江陵◇14
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←誉田御廟山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =恵賀之裳伏岡◇15
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←墓山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○─ ←古市駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←軽里大塚古墳=白鳥陵◇
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←高屋築山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼=河内古市高屋村陵◇27
↑高鷲駅
┼┼┼┼↑藤井寺駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼↑土師ノ里駅
【上記記載陵】 河内惠賀之長江陵◇14 恵賀之裳伏岡◇15 河内之惠賀長枝陵◇19 河内多治比高◇21 河内古市高屋村陵◇27
【鉄道駅名】[→]

   表紙>
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