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■■■ 古代の都 [2018.10.16] ■■■
[15] 軽嶋明宮

「古事記」中巻の最後の登場する、15代 品陀和気命/大鞆和気命応神天皇の宮は軽嶋明宮。
御陵は川内恵賀之裳伏岡。394年[甲午]に135歳で崩御。

尾張系の系譜なのだろうか。
天皇┬高木之入日売命(品陀真若王の娘1)
┼┼├─額田大中日子命
┼┼├─大山守命…狙撃
┼┼├─伊奢之真若命
┼┼├─妹大原郎女
┼┼└─高目郎女
天皇┬中日売命(品陀真若王の娘2)
┼┼├─木之荒田郎女
┼┼├─大雀命⇒皇位継承
┼┼└─根鳥命
天皇┬弟日売命(品陀真若王の娘3)
┼┼├─阿倍郎女
┼┼├─阿具知能三腹郎女
┼┼├─木之菟野郎女
┼┼└─三野郎女
┼┼五百木之入日子命志理都紀斗売(尾張連の祖 建伊那陀宿祢の娘)
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─品陀真若王
天皇┬宮主矢河枝比売(丸邇比布礼能意富美の娘)※↓
┼┼├─宇遅能和紀郎子…既指定皇位継承者
┼┼├─八田若郎女
┼┼└─女鳥王
天皇┬息長真若中比売(咋俣長日子王の娘)
┼┼└─若沼毛二俣王
天皇┬糸井比売(桜井田部連の祖 嶋垂根の娘)
┼┼└─速総別命
※↑橿原の軽の宮から宇遅野経由で近淡海国行幸し、丸邇(=和邇)の係累を娶ることになる。宴席での婚姻歌は、蟹(迦邇)の恋歌であり、楽浪路で運ばれて来た越前蟹での酒宴と想定される。かつて皇太子時代、激戦を制した後、禊のために建内宿祢命に連れられ、淡海(近江)、若狭国を経由し角鹿(敦賀)の行宮に至り、滞在した話と繋がっているのだろうか。

この時期は、海外との交流が特筆モノだったらしい。
【事績】
○海部、山部、山守部、伊勢部制定
○剣池@軽造成
○新羅人渡来
  使役(百済池@n.a.[設計名称(石造方池)]造成)…建内宿禰命担当
○百済国主照古王献上:牡馬一匹 牝馬一匹 太刀 大鏡
  馬飼 阿知吉師(祖:阿直史)渡来
○百済の賢人招致
  和邇吉師(祖:史首):論語 千字文
○献人
  韓の鍛冶 卓素 呉の織子 西素
○醸造術酒人渡来
  仁番/須須許理(祖:秦造、漢直)ら
なかなかに的確な見方と言えよう。
朝鮮半島の経済基盤が整っているのは半島南端多島海沿いの稲作地域と、平壌一帯だけ。前者は百済で後者は中華帝国領土かウングース系国土。新羅は鉱物資源で成り立ち、燃料も枯渇しがちで、貧しい軍事国家以上ではない。半島は戦乱無しにはいられぬから、高等難民が倭国に押し寄せるのは当然のことで、それを歓待した訳である。
ただ、地理的には新羅が圧倒的に近く渡航もし易いから、人数的には百済系は少なかった筈。

宮地は"軽"だが、嶋のように目立つ場所ではない。渡来人謁見に便利な奈良盆地内の交通の要衝ということだろうか。

↓曽我川
┼┼┼↓近鉄
┼┼┼↓R169
┼┼←衝田岡陵◇2
┼┼←畝火山北方白檮尾上陵◇1
←畝傍山 うねびごりょうまえ駅
┼┼←畝火山之真名子谷上陵◇4
┼┼←橿原神宮≒畝火之白檮原宮◆1
←畝傍山之美富登陵◇3
┼┼←深田池
──○──○←にしぐち駅 かしわらじんぐうまえ駅
┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼←剣池 剣池之中岡上◇8
┼┼┼┼┼←軽島明宮◆15
┼┼┼┼┼←法綸寺(軽寺)
├──┐←(大軽)丸山古墳◇29=軽之境岡宮◆4
┼┼←牟佐坐神社=軽之堺原宮◆8
┼┼┼←おかでら駅
┼┼┼
┼┼┼
┼┼┼↑檜前川

一方、御陵は海側である。
  《古市古墳群》
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←津堂城山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←喜志駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =河内多治比高◇21
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←島泉丸山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←市ノ山古墳
─○──○────○──┤   =河内之惠賀長枝陵◇19
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←仲津山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←古室山古墳 道明寺駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←岡ミサンザイ古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =河内惠賀之長江陵◇14
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←誉田御廟山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =恵賀之裳伏岡◇15
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←墓山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○─ ←古市駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←軽里大塚古墳=白鳥陵◇
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←高屋築山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼=河内古市高屋村陵◇27
↑高鷲駅
┼┼┼┼↑藤井寺駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼↑土師ノ里駅
【上記記載陵】 河内惠賀之長江陵◇14 恵賀之裳伏岡◇15 河内之惠賀長枝陵◇19 河内多治比高◇21 河内古市高屋村陵◇27
【鉄道駅名】[→]

   表紙>
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