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■■■ 古代の都 [2018.10.18] ■■■
[17] 伊波禮若櫻宮

17代 伊邪本和氣命履中天皇の宮は伊波禮若櫻宮。
御陵は毛受(百舌鳥)。432年[壬申]に64歳で崩御。

系譜はこうなっている。
天皇┬黒比売命(葛城之曽都毘古の子 葦田宿祢の娘)
┼┼├─市辺之忍歯王
┼┼├─御馬王
┼┼└─青海郎女/飯豊郎女
皇后は葛城之曽都毘古の孫。一方、[16]大雀命の皇后 石之日売の父でもあるから、その御子[17]大江の伊邪本和氣命も孫である。葛城之曽都毘古が後見人的立場にあると見てよいだろう。

突然、宮の地に"イワレ(磐余)"が登場する。
現存名は、寺川に架かる橋と狭い町域位のもの。磐余神社はあるようだが廃れつつある名前かも知れぬ。枕草子で「池は磐余の池」とされていることなど、とても考えられない。
もともとの"磐余"はかなり広域。初瀬川が山間部から平坦地に流入する地点より南西側にあたり、香具山の東迄入っていたと見てよさそう。
清少納言が指摘しているのは、池邊宮@春日神社辺りだろうから、そこが丁度中心と言えるかも。もちろん、その地に風趣を見出した訳ではなく、初代の神倭伊波禮毘古の名称に取り入れらている点を題材にした話である。
そこは、大軍勢が盆地に入り、桜井駅辺りの小競り合いで先ずは勝利し、そこから南を見渡せば、西には伊波禮若櫻宮辺りの小山、東にはもう一つの小山。
(挽歌の)反し歌[「万葉集」巻十三#3325]
 つぬさはふ 磐余の山に 白たへに 懸かれる雲は 大君ろかも
太陽を背にしてとさらに西へと進撃し、白兵戦となり、香久山北麓へと追い詰めて勝鬨を上げたに違いなかろう。
従って、この戦域全体が当初の"イワレ"。
後世の藤原京時代になると、盆地東に当たる"磐余"は、西の"軽"同様に通行が多い交通の要衝だったようである。
同じ〔石田王卒之〕時、山前王の哀傷みよみたまへる歌一首[「万葉集」巻三#423]
 つぬさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ・・・

そんなこともあって、以後、ここらを宮地に設定する天皇続出。一方、伊邪本和氣命の御陵は盆地内ではなく、難波の海側が選ばれている。

中華帝国と違って、倭国は城壁を作らなかったので、宮地は転々。そんななかで、この地を選びたくなるのはわかる。海から攻められたら、大和川が流れる山峡での戦いになる。守る側優位である。ここを突破されたら、勝手知ったる盆地での白兵戦。戦況芳しくなく、宮に辿りつかれた頃には、宮の人々はとっくに初瀬川上流へと逃亡済とあいなる訳で。

┼┼┼┼┼┼↓初瀬川
┼┼┼┼┼┼│三輪駅
┼┼┼└┐┼┼┼┼ ←三輪山
┼┼┼┼└┐┼┼┼┼┼┼┼┼↓白川
┼┼┼┼ΛΛΛΛΛΛΛ ←長谷列木宮◆25
┼┼久大桜││┼┼┼┼┼┼┼ ←長谷朝倉宮◆21
┼┼山福└┐井│└┐∴┌─────── ←師木島大宮◆29
─┐駅駅└──────┬┴ ←他田宮◆30
───○───○─────○───────○─
──○────○┘┼┼┌┘大和朝倉駅│┼┼長谷寺駅
┼┼┼┼└─┐┌┘┼┼┼┼┼┼
──────────┘ ←R165
└┐┼┼┼ ←阿部文殊院
┼┼└┐┼┼ ←春日神社=池邊宮◆31
┼┼┼└┐┼┼┼
┼┼┼┼└┐┼┼
┼┼┼┼┼┼ ←伊波禮若櫻宮◆17 伊波禮玉穂宮◆26
┼┼┼┼┼↑米川 ↑寺川
┼┼┼┼┼ ←御厨子神社=伊波禮甕栗宮◆22
┼┼┼┼┼┼ ←香久山
┼┼┼┼┼┼┼└┬──■ ←倉橋池
┼┼┼┼┼┼┼┼ ←金福寺=倉橋柴垣宮◆32
【上記載宮】 伊波禮若櫻宮◆17 長谷朝倉宮◆21 伊波禮甕栗宮◆22 長谷列木宮◆25 伊波禮玉穂宮◆26 師木島大宮◆29 他田宮◆30 池邊宮◆31 倉橋柴垣宮◆32
【鉄道駅名】[→]

┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←大川
┌──────────┴────
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┌┐ ←大阪城
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└┘
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←難波宮
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼∴  ←難波之高津宮◆16
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼◎大阪上本町駅@近鉄──
┼┼◎難波駅┼┼┼┼┼┼
┼┼○今宮戎駅┼┼┼┼ ←四天王寺
┼┼○新今宮
┼┼┼┼┼┼┼┼┼◎──┐JR阪和線
┼┼○萩ノ 茶屋駅天王寺駅│
┼┼○天下茶屋駅┼┼┼┼┼○美章園駅
┌○┤岸里玉出駅┼┼┼┼┼
○帝塚山駅┼┼┼┼┼┌○南田辺駅
│粉浜駅┼┼┼┼┼┌○鶴ヶ丘駅
○住吉東駅┼┼┼┌┘ ←住吉大社
│住吉大社駅┼┼
○沢ノ 町駅┼┼┼○長居駅
│住ノ 江駅┼┼┼
○我孫子前駅┼┼○我孫子町駅
┼┼┼┼┼┼┼○杉本町駅
─│───────│──── ←大和川
│七道駅┼┼┼┼
○浅香山駅┼┼┼○浅香駅
○境東駅┼┼┼┼○堺市駅
└───────●三国ケ丘駅──┐南海高野線
○堺駅┼┼┼┼┼┼ ←《百舌鳥古墳群》◇16,17,18
○湊駅┼┼┼┼┼┼┼○百舌鳥駅
○石津川駅┼┼┼┼┼○上野芝駅
○諏訪ノ 森駅┼┼┼┼○津久野駅
○浜寺公園駅┼┼┼┼
○羽衣駅┼┼┼┼┼┼○鳳駅
○高石駅┼┼┼┼┼┼○富木駅
○北助松駅┼┼┼┼┼○北信太駅
○松ノ 浜駅┼┼┼┼┼○信太山駅
○泉大津駅┼┼┼┼┼○和泉府中駅
○忠岡駅┼┼┼┼┼┼
○春木駅┼┼┼┼┼┼○久米田駅
○和泉大宮駅┼┼┼┼○下松駅
○岸和田駅┼┼┼┼┼
○蛸地蔵駅┼┼┼┼┼○東岸和田駅
○貝塚駅┼┼┼┼┼┼○東貝塚駅
○二色浜駅┼┼┼┼┼○和泉橋本駅
○鶴原駅┼┼┼┼┼┼○東佐野駅
○井原里駅┼┼┼┼┼○熊取駅
○泉佐野駅┼┼┼┼┼○日根野駅 ←空港線
○羽倉崎駅┼┼┼┼┼○長滝駅
○吉見ノ 里駅┼┼┼┼○新家駅
○岡田浦駅┼┼┼┼┼
○樽井駅┼┼┼┼┼┼○和泉砂川駅
○尾崎駅┼┼┼┼┼┼
○鳥取ノ 荘駅┼┼┼┼○和泉鳥取駅
○箱作駅┼┼┼┼┼┼
○淡輪駅┼┼┼┼┼┼
○みさき 公園駅┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼○山中渓駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼○紀伊駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼○六十谷駅
└○孝子駅┼┼┼┼┼
└○和歌山大学前駅│
┼┼└○紀ノ 川駅┼┼
┼┼┼┼┼┼┌──────── ←紀ノ 川
┼┼┌───┘┼┼┼○紀伊中ノ 島駅
──┘◎─〇紀和駅─◎和歌山駅┐
┼┼┼和歌山市駅┼┼┼┼┼┼┼JR紀勢本線
↑南海本線

御陵の位置はこのように。・・・
《百舌鳥古墳群》
│境東駅@南海高野線
┌─┐┼┼┼┼┼
│⊥│┼┼┼┼┼ ←田出井山古墳=毛受野陵◇18
└─┘┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼│三国ケ丘駅
└─────────●─┐
┼┼┼┼┼┌───┐└┐┼┼┼┼中百舌駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└──────○┐
┼┼┼┼┼ ←大仙陵/大山古墳=毛受耳原陵◇16
┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼└───┘
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○百舌鳥駅@JR阪和線
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┌┘
┼┼┼┼┼┼┼┼┌┘┼┼ ←御廟山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┌┘
┌─┐┼┼┼┌┘ ←いたすけ古墳
│⊥│┼┼┌┘ ←上石津ミサンザイ古墳=毛受陵◇17
└─┘○┘
┼┼┼┌┘上野芝駅
┼┼┌┘┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼↓土師ニサンザイ古墳
┌┘┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┌─┐
┌┘┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼│⊥│
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─┘

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